・インターネットって? 予備校は不思議な教育施設である。予備校といえば偏差値競争を煽る悪玉のように考えるひともいるが、けっしてそれだけではない。男女関係から天下国家のことまで、人生と世の中の機微をいろいろそこで教わった。予備校時代の先生はこんな衝撃的なことをいった。
―あのパソコン通信というやつね、あれはもっと大きくなるんだ、いまはオタクしかやっておらんがね、みんながパソコン通信をやるようになるんだ
それはわたしにとってインターネットという世界を知った最初の出来事であった。そのときはそんな世の中が本当にくるのだろうか、正直この〝予言〟に半信半疑だった。
あれから何年たっただろう。
・ちょうど一年 ちょうどいまから1年前にこの「江戸時代研究の休み時間」というブログをたちあげた。その第1回目の書き込みは次のとおりであった。
2004/09/29ブログをはじめました
わたしは江戸時代史の研究人です(研究人と表現するのは「研究者」と名乗るにはまだ駆け出し身分だからです)。主に関東の村落史を研究してきましたが、最近は仕事柄、江戸のことも少し調べています。ここでは、研究の過程で知り得たちょっと興味深い話や、本の紹介(歴史関係本以外も含む)・日常雑感などを、気軽に書き込んでみたいと思います。題して「江戸時代研究の休み時間」。わたしの実名を公開し、かつ詳しいプロフィールも公開しています。実名公開でブログを立ち上げている(歴史)業界の方は、あまりいらっしゃらないかと思いますので、あえて公開してみました。ブログに対するコメントも可能で匿名でも構いません。いろいろご教示をお願いします。ただし、悪質・問題のあるものは、わたしの判断で削除させて頂くことがありますのでご了承ください。また、「史料を読んでほしい」等のご依頼には、おこたえしたいところなのですが、十分な回答を用意するいとまがありませんので、ご遠慮頂くようお願いします。わたし、あまりマメな方ではありません。できるかな? どうかな? ……さてさて。
最初はこんな短い文章だったのである。このときのブログのデザインはピンク一色、とても閑散としたものだった。うれしいやら恥ずかしいやら、このころのアクセス数は一日僅か30くらいだったと思う。文中「「史料を読んでほしい」等のご依頼には、おこたえしたいところなのですが、十分な回答を用意するいとまがありませんので、ご遠慮頂くようお願いします」とあるが、コメント欄に出されたご質問にはたいていお答えするようにしている。
・運営 これ以来3日に1回の執筆を心掛けた。1年を経過したいま、現在123個の記事を書きあげたから、3日に1回のペースを若干うわまわった計算になる。その結果ほぼテキスト・データだけで約5.3MB(メガバイト)、フロッピー・ディスク5枚分を喰い散らかしてしまった。400字詰原稿用紙にして500枚ちかくになる。トラックバック数も25個頂き、ブログをみて電話をしてきたテレビ局も3~4局くらいある (ちなみに去年12月の「御用納」に関する記事は、日本テレビ「おもいッきりテレビ」「きょうは何の日」<2004年12月28日放送>に提供した調査記録をもとにしている) 。
今後の参考のためにアクセス数増加のきっかけについて書いておく。やはり、①日本振興銀行社長で経済評論家の木村剛さん(「週刊!木村剛」)に3回ほどお取り上げ頂いたこと、②ブログ収集サイト「ウェブログ図書館」におとりあげを頂いたこと、③『「ブログ」入門』(滝田誠一郎著、ベスト新書)というブログ入門書にご紹介を頂いたこと、④niftyココログの紹介ホームページにご紹介頂いたこと、が主なきっかけであったと思う。それらがアクセス数のきっかけになったことは間違いないが、むろん急増とはいえず、ゆるやかな漸増カーブを描いているので、このうちどれがどのくらい貢献したのかはわからない。ちなみに一番アクセス数が多かったのは「週刊!木村剛」からのリンクであった。
1年前わたしがブログ開設を決めたのは『AERA』(2004.7.12号)「ブログの時代がやって来た」のブログ特集記事を読んだからだった (木村剛さんのお名前を知ったのもこの記事が最初である) 。これを一読して「これはいけるな」と感じた。それで歴史学系ブログなるものが世の中に存在するのかどうか、懸命になって一週間もGoogleで検索してまわってみたが、その結果、2つ・3つほどがみつかっただけで、本格的なものは皆無であることがわかった。そのため「開設しよう」と決心したものの、やはりいままでないものを作ろうとすることはとても勇気の要ることだった。なにしろ論文執筆や研究発表しかやらない人間が、自分から好んで世の中のグジャグジャに身を投じようというのだから世間の反応が気になった。とりわけ研究者仲間の反応が心配だった。わたしのどうしようもないパソコン音痴も大きなネックであった (そこで職場の同僚のTさんには、インターネットの基本、HTML言語の基礎知識について、長時間にわたってレクチャー頂いた。この場で謝意を表したい) 。
運営はハンドル・ネームではなく実名でおこなった。匿名では「2ちゃんねる」と変わりがないし、従来の個人紹介用ホームページと同じように、ブログ・ツールを使おうと考えたからである (実は本家版ホームページ「江戸時代研究の窓」を開設予定であったが、ブログの運営に忙しくて中止した) 。ただ開設して半年の間は顔写真や業績をのせたこのブログが恥ずかしくてしょうがなかった。正直いって自分のブログをみるのもイヤだと思う時期もあった。しかしそれから追々歴史学系ブログが増え始め、いまでは実名・仮名とも60以上のサイトが出現し、わたしの恥ずかしさも幾分かやわらいだ (歴史学系ブログの多くを当ブログ右サイドの「歴史系ブログ一覧」というリンク集におさめている) 。なかには「高尾さんのをみてブログを開設した」という方もいて心強くおもった。
それでわたしはだんだん厚顔無恥になって、最初は敬遠しようと考えていた時事問題・政治問題にまで口を出すようになった。しかし、①画像添付せずテキストのみ、②内容も固めに、③史料をなるべく紹介する、という3方針は堅持しておだやかに一年が過ぎた。このようなおふざけなしの記事執筆はつらくもあり楽しくもあった。
交流には記事毎のコメント欄が活躍した。間違いについては主にコメント欄に書き込んで頂いたりした(なかにはこっそりメールで指摘してくれる方もいらっしゃる)。リンクの貼り間違えのご指摘、運営に関する有益なご教示、あるいは記事に関連する該博な知識を披露して下さる方もいる。また驚くべきことに記事でとりあげた歴史上の人物の御子孫からコメント欄にお書き込み頂くことも、一回・二回ではなかった。またわたしの指導教授とは同門の、えらい先生からのお書き込み(もちろんハンドル・ネーム)に感激することもあった。
・世の中の広さ それにしても世の中はひろい。歴史学系ブログの中には脱帽の猛者がいて、「歴史と地理な日々」運営者の中村武生さんもそのひとりである。中村さんとは一面識もないが、飯を食うように何事かを発見し続け、その一々をブログにアップされている。その精力ぶりには驚かされた。はるか年上である中村さんには失礼な表現だが、上には上がいるものだと舌を巻くおもいであった。職場の同僚であり先輩でもある小林信也さんの「江戸をよむ東京をあるく」にも、現代の問題において歴史学を考える態度を学ばせて頂いた。趣味の多彩さにも圧倒される。研究には好奇心が欠かせないのである。一読をおすすめしたい。
この場をかりて、のべアクセス数3万4千の関係者各位にあつくお礼申し上げます。これからもよろしくお願いします。
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