2007/05/24

(お知らせ)「歴史学関係ブログ集成」について

関係者各位

 関係者各位には益々ご活躍のこととお慶び申し上げます。さて現在、歴史学研究者・歴史学サークル・歴史学関連業者の方々のブログを、「歴史学関係ブログ集成」というかたちでリンクをしております。5月24日に更新がひと段落し、現在251個のリンクが完成しております。うちわけは以下の通りです。

○日本史85

○東洋史15

○西洋史19

○考古学56

○博物館27

○文書館・アーカイブズ関係10

○史料紹介6件

○学会・研究会・大学研究室40

○出版社・書店3件

 編纂方針は運営上明らかにはしておりません(あくまで歴史学というてんに拘り、歴史マニア的なものなどは範疇外とさせて頂いております)。そして、インターネット社会の国際上の慣例に従い、リンクは原則的に作成者の方には一々ご連絡を差し上げてはおりません。ただ、作成者の方の中で、「リンクを引かれたくない」というご要望、あるいはリンクの引き方についてのご要望などがございましたら、拙宅のメールか、あるいはこのブログのコメント欄までお寄せください。ただし、ご要望にはお応えできない場合もあります。

「歴史学関係ブログ集成」

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2006/01/12

(講演)江戸東京博物館企画展示「江戸の学び-教育爆発の時代-」関連講座やります

 去年は江戸東京博物館の友の会(「えど友」)で講演をさせて頂きましたが、今年も同館とご縁があります。
 ことし江戸東京博物館2月・3月の企画展示(平成18年2月18日(土)~平成18年3月26日(日))は「江戸の学び-教育爆発の時代-」です。「教育爆発」という言葉は、教育学分野ではよく使われる言葉です。江戸時代は「教育爆発」がおきた時代でした。この「爆発」を見学者に実感させられるか否かが展示の勝負の分かれ目になるでしょう。
 東京都公式ホームページでは「生涯学習社会の本格的な到来を迎えつつある現在、「学び」に生き甲斐を見いだそうとする人々が多くなってきました。こうした変化は社会の成熟のようにみえますが、歴史をひもといてみると、江戸時代にも「学び」を楽しみとする多くの人々を見いだすことができます。この展覧会は、江戸時代の人々が「学び」とどのように向き合っていたのかを、寺子屋関係資料・和算奉納額・俳句奉納額・昌平坂学問書(原文ママ)関係資料などの資料を中心に再発見するものです」とあります。
 わたしはこの企画展示で関連講座の講演をすることになりました。

第6回「文字を知った人々-江戸時代の読み書き事情-」
講師:高尾善希(立正大学非常勤講師)
日 時 3月2日(木) 14:00~15:30 (定員130名)
講座コード 0601-5-06
応募締切 2月14日(火)
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/culture06fuyu.html

 なぜわたしが? 教育史?
 そう、実はわたしは江戸時代の識字論に関する論文を書いたことがあるのです(教育史ではありません、むしろ教育という観点では追えない識字論を意識しました)。「近世後期百姓の識字の問題」(『関東近世史研究』50号)という論文です。この論文を面白がって引用くださったのは青木美智男さんという研究者のみで、あとは沈黙に近い扱いのまま、何年かが過ぎ去りました。
 この論文では村に残る江戸時代の選挙投票用紙(村役人を選出するときに使ったもの)などを使って江戸時代の百姓の識字の実態分析をしています。このわたしの論文で使われた選挙投票用紙が企画展示の展示品リストにあり、それでわたしが講演を頼まれたわけなのです。やっとわたしの成果が日の目をみました。
 この論文、なかなか面白いんですよ。講演では論文の内容をわかりやすく説明したいと思っています。応募締め切りは2月14日(火)、くわしくは江戸東京博物館のホームページでどうぞ。

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2005/10/18

(募集)東京都国分寺市で考古資料倉庫火災、復旧ボランティアを募集

 先日8日午前0時過ぎ、東京都国分寺市で史跡出土品倉庫で火災があったそうです。「朝日新聞」によれば下記の模様です。

国指定史跡出土品倉庫焼ける、対策本部設置
 国分寺市西元町1丁目の国指定史跡「武蔵国分寺跡」の出土品を収めた倉庫で8日未明、火災があり、倉庫や収納箱などが焼けた。同市は11日に対策本部を立ち上げ、被害復旧に全力を挙げている。……8日午前0時過ぎ、煙が上がっているのに気づいた近くの住民から119番通報があった。火は約4時間後に消し止められたが、倉庫2棟が全焼、1棟が一部焼けるなど計55平方メートルが焼けた。倉庫内や倉庫脇に積み上げてあったプラスチック製の収納箱1200箱や、武蔵国分寺跡などから出土した瓦や土器、遺跡調査結果を記した紙や写真などが被害にあった。市は、……ぬれてしまった紙の資料などの復旧に取り組むという。(10/13)インターネット「朝日新聞」多摩版
http://mytown.asahi.com/tama/news02.asp?kiji=4282

 この「午前0時過ぎ」に煙があがるというのはどういうことでしょう。それに、どうして考古資料の倉庫で火災なのでしょうか。ともあれ、これに対して東京都国分寺市ふるさと文化財課では、復旧ボランティアを募集しています。下記サイトをご覧ください。

■ 火災被害を受けた市文化財施設の復旧ボランティアを募集します。 
 10月8日深夜の遺跡調査会の火災により市内遺跡発掘調査資料の一部が被害を受けました。教育委員会ふるさと文化財課ではこれら資料の早急な保存処理をするために専門知識を有する方のボランティアを募集しています。
【資格】史・資料取扱経験者 博物館学芸員資格所持者 考古学専攻 日本史専攻 調査員経験者
担当:ふるさと文化財課(内線479) 
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/ptl_bosyu/70bun/kasaikinkyuutaisakuvora051017/index.html

 わたしの大学の先輩がこのふるさと文化財課にお勤めなので (以前博徒「小金井小次郎」の史料の所在を教えて頂きました、拙稿、立正大学史学会編『宗教社会史研究Ⅲ』(2005.11刊行予定)「石碑からみた『慶応水滸伝』―武蔵国北多摩郡周辺の博徒勢力範囲―」参照) 、拙宅にボランティア募集の情報が入ったのですが、妻が出産間近なので家を空けるわけにもゆかず困りました。協力して頂けるという方がいらっしゃいましたら、是非御駆けつけください。

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2005/09/14

(記念)ブログ「江戸時代研究の休み時間」1周年、回顧と展望

・インターネットって? 予備校は不思議な教育施設である。予備校といえば偏差値競争を煽る悪玉のように考えるひともいるが、けっしてそれだけではない。男女関係から天下国家のことまで、人生と世の中の機微をいろいろそこで教わった。予備校時代の先生はこんな衝撃的なことをいった。

―あのパソコン通信というやつね、あれはもっと大きくなるんだ、いまはオタクしかやっておらんがね、みんながパソコン通信をやるようになるんだ

 それはわたしにとってインターネットという世界を知った最初の出来事であった。そのときはそんな世の中が本当にくるのだろうか、正直この〝予言〟に半信半疑だった。
 あれから何年たっただろう。

・ちょうど一年 ちょうどいまから1年前にこの「江戸時代研究の休み時間」というブログをたちあげた。その第1回目の書き込みは次のとおりであった。

 2004/09/29ブログをはじめました
 わたしは江戸時代史の研究人です(研究人と表現するのは「研究者」と名乗るにはまだ駆け出し身分だからです)。主に関東の村落史を研究してきましたが、最近は仕事柄、江戸のことも少し調べています。ここでは、研究の過程で知り得たちょっと興味深い話や、本の紹介(歴史関係本以外も含む)・日常雑感などを、気軽に書き込んでみたいと思います。題して「江戸時代研究の休み時間」。わたしの実名を公開し、かつ詳しいプロフィールも公開しています。実名公開でブログを立ち上げている(歴史)業界の方は、あまりいらっしゃらないかと思いますので、あえて公開してみました。ブログに対するコメントも可能で匿名でも構いません。いろいろご教示をお願いします。ただし、悪質・問題のあるものは、わたしの判断で削除させて頂くことがありますのでご了承ください。また、「史料を読んでほしい」等のご依頼には、おこたえしたいところなのですが、十分な回答を用意するいとまがありませんので、ご遠慮頂くようお願いします。わたし、あまりマメな方ではありません。できるかな? どうかな? ……さてさて。

 最初はこんな短い文章だったのである。このときのブログのデザインはピンク一色、とても閑散としたものだった。うれしいやら恥ずかしいやら、このころのアクセス数は一日僅か30くらいだったと思う。文中「「史料を読んでほしい」等のご依頼には、おこたえしたいところなのですが、十分な回答を用意するいとまがありませんので、ご遠慮頂くようお願いします」とあるが、コメント欄に出されたご質問にはたいていお答えするようにしている。

・運営 これ以来3日に1回の執筆を心掛けた。1年を経過したいま、現在123個の記事を書きあげたから、3日に1回のペースを若干うわまわった計算になる。その結果ほぼテキスト・データだけで約5.3MB(メガバイト)、フロッピー・ディスク5枚分を喰い散らかしてしまった。400字詰原稿用紙にして500枚ちかくになる。トラックバック数も25個頂き、ブログをみて電話をしてきたテレビ局も3~4局くらいある (ちなみに去年12月の「御用納」に関する記事は、日本テレビ「おもいッきりテレビ」「きょうは何の日」<2004年12月28日放送>に提供した調査記録をもとにしている)
 今後の参考のためにアクセス数増加のきっかけについて書いておく。やはり、①日本振興銀行社長で経済評論家の木村剛さん(「週刊!木村剛」)に3回ほどお取り上げ頂いたこと、②ブログ収集サイト「ウェブログ図書館」におとりあげを頂いたこと、③『「ブログ」入門』(滝田誠一郎著、ベスト新書)というブログ入門書にご紹介を頂いたこと、④niftyココログの紹介ホームページにご紹介頂いたこと、が主なきっかけであったと思う。それらがアクセス数のきっかけになったことは間違いないが、むろん急増とはいえず、ゆるやかな漸増カーブを描いているので、このうちどれがどのくらい貢献したのかはわからない。ちなみに一番アクセス数が多かったのは「週刊!木村剛」からのリンクであった。
 1年前わたしがブログ開設を決めたのは『AERA』(2004.7.12号)「ブログの時代がやって来た」のブログ特集記事を読んだからだった (木村剛さんのお名前を知ったのもこの記事が最初である) 。これを一読して「これはいけるな」と感じた。それで歴史学系ブログなるものが世の中に存在するのかどうか、懸命になって一週間もGoogleで検索してまわってみたが、その結果、2つ・3つほどがみつかっただけで、本格的なものは皆無であることがわかった。そのため「開設しよう」と決心したものの、やはりいままでないものを作ろうとすることはとても勇気の要ることだった。なにしろ論文執筆や研究発表しかやらない人間が、自分から好んで世の中のグジャグジャに身を投じようというのだから世間の反応が気になった。とりわけ研究者仲間の反応が心配だった。わたしのどうしようもないパソコン音痴も大きなネックであった (そこで職場の同僚のTさんには、インターネットの基本、HTML言語の基礎知識について、長時間にわたってレクチャー頂いた。この場で謝意を表したい)
 運営はハンドル・ネームではなく実名でおこなった。匿名では「2ちゃんねる」と変わりがないし、従来の個人紹介用ホームページと同じように、ブログ・ツールを使おうと考えたからである (実は本家版ホームページ「江戸時代研究の窓」を開設予定であったが、ブログの運営に忙しくて中止した) 。ただ開設して半年の間は顔写真や業績をのせたこのブログが恥ずかしくてしょうがなかった。正直いって自分のブログをみるのもイヤだと思う時期もあった。しかしそれから追々歴史学系ブログが増え始め、いまでは実名・仮名とも60以上のサイトが出現し、わたしの恥ずかしさも幾分かやわらいだ (歴史学系ブログの多くを当ブログ右サイドの「歴史系ブログ一覧」というリンク集におさめている) 。なかには「高尾さんのをみてブログを開設した」という方もいて心強くおもった。
 それでわたしはだんだん厚顔無恥になって、最初は敬遠しようと考えていた時事問題・政治問題にまで口を出すようになった。しかし、①画像添付せずテキストのみ、②内容も固めに、③史料をなるべく紹介する、という3方針は堅持しておだやかに一年が過ぎた。このようなおふざけなしの記事執筆はつらくもあり楽しくもあった。
 交流には記事毎のコメント欄が活躍した。間違いについては主にコメント欄に書き込んで頂いたりした(なかにはこっそりメールで指摘してくれる方もいらっしゃる)。リンクの貼り間違えのご指摘、運営に関する有益なご教示、あるいは記事に関連する該博な知識を披露して下さる方もいる。また驚くべきことに記事でとりあげた歴史上の人物の御子孫からコメント欄にお書き込み頂くことも、一回・二回ではなかった。またわたしの指導教授とは同門の、えらい先生からのお書き込み(もちろんハンドル・ネーム)に感激することもあった。

・世の中の広さ それにしても世の中はひろい。歴史学系ブログの中には脱帽の猛者がいて、「歴史と地理な日々」運営者の中村武生さんもそのひとりである。中村さんとは一面識もないが、飯を食うように何事かを発見し続け、その一々をブログにアップされている。その精力ぶりには驚かされた。はるか年上である中村さんには失礼な表現だが、上には上がいるものだと舌を巻くおもいであった。職場の同僚であり先輩でもある小林信也さんの「江戸をよむ東京をあるく」にも、現代の問題において歴史学を考える態度を学ばせて頂いた。趣味の多彩さにも圧倒される。研究には好奇心が欠かせないのである。一読をおすすめしたい。
 この場をかりて、のべアクセス数3万4千の関係者各位にあつくお礼申し上げます。これからもよろしくお願いします。

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2005/09/11

(近況)「江戸東京博物館友の会」講演

・「えど友」講演  江戸東京博物館「友の会」(通称「えど友」)から講演のご依頼があってご承諾しました。日取りは12月なのでまだまだ先です。ネタはわたしの発見した「巣鴨町軒別絵図」をお願いします、とのこと。下世話な話ですがこの「巣鴨町軒別絵図」のおかげでかなりお金を稼ぎました。子どものおむつ代やおやつ代やおもちゃ代に使ってももちろんまだまだ余っている。そのあまりはこつこつ学資保険や貯金にまわしています。
 この講演セミナーのシリーズは、わたしの分はさておいて人選も演目もなかなか魅力的なものが多くて感心させられます。さすがに江戸東京博物館という大手博物館ともなるとスケールがちがう。わたしも「友の会」に入ってみたくなった。興味のある方は「えど友」に入会されては如何でしょう。

「江戸東京博物館友の会」セミナー
4月9日「江戸の犯罪白書」重松一義さん(元中央学院大学教授)
6月26日「武士の家計簿」磯田道史さん(茨城大学人文学助教授)
7月 20日「ホタル帰る 特攻隊物語(知覧)」赤羽礼子さん(富屋食堂主人次女)
9月 23日「旧制高等学校物語」秦郁彦さん(元大蔵省在籍)
12月15日「よみがえる巣鴨の町なみ」高尾善希(東京都公文書館非常勤職員)
「江戸東京博物館 友の会」の「えど友」サイトより
http://www.edo-tomo.jp/nrep01.html

 この江戸東京博物館は建物もべらぼうだしひとも多くて驚きです。つかうお金もふつうの博物館とは桁違いでしょう。この博物館には以前アルバイトに通っていましたが、職員の方々のお名前も覚えられず何処の何方かわからずじまいでした。この博物館の館長は何をかくそうわたしの指導教授なのですが、今回の講演依頼は館長の意向とは関係ないようです。
 さっそく「えど友」広報部におくった講演の概要は以下の通り。

「よみがえる巣鴨の町なみ―皇女和宮のおくりもの―」講師:高尾善希(立正大学文学部非常勤講師)
 みなさんはテレビやテーマパークなどでよく江戸時代の江戸町方の様子をご覧になることと思います。米屋・呉服屋・料理屋・魚屋……、賑やかで活気あふれた町なみ。しかし意外なことにその景観はほとんどがナゾです。わたしは最近、幕府公文書の中に江戸御府内の場末巣鴨の町方絵図を発見しました。これをみると巣鴨の町方約240軒の景観を正確に再現することができます。この絵図をめぐって「おばあちゃんの原宿」豊島区巣鴨でシンポジウムもひらかれました。この絵図が語る江戸町方の様子とは? 江戸時代の巣鴨と現在の巣鴨との関係とは? そしてこれからの巣鴨はどこへゆこうとしているのか? について語ります。
 講師略歴:たかお・よしき 東京家政学院大学人文学部非常勤講師をへて、現在、立正大学文学部非常勤講師・東京都公文書館非常勤職員。共著に『番付で読む江戸時代』など。

 これを書くのに「えいやっ」と消費時間10分くらい。論文とはちがいこういうお仕事はわりあい手際よくパッパッとこなせる。 

・講演といえば… さて別の話題。博物館の講演といえば、以前の品川区立品川歴史館におけるわたしの講演では、何とテレビ・カメラがきていました。講演始まる直前に「きょうはテレビ撮影なので…」と博物館の職員の方にお知らせ頂き少々あたまを掻いた。
 テレビ番組出演は以前頼まれたことがあったけれど、ある事情でお断り申し上げていました。それ以来です。出演すること自体はいやな気持ちはないが、もうちょっときれいに髭を剃っておくべきだったかなという後悔があった。しかしあまりカメラを意識せずに好き勝手なことを喋り続けました。

そういうとき緊張しませんか?

 とよくいわれますが、あまり緊張はしません。「一人の人間に話すことは苦ではないのだから、100人や200人が束になってきたってどうということはない」と思えば緊張はしないものです(しかしプロ連中を前にしての学会研究発表などは別です、わたしは未だにそういう場に不慣れです)。
 どこのテレビ局かはわすれました。地元のケーブルテレビ局だそうです。

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2005/03/03

(お祭り)いま、明らかになる幕末の巣鴨とその将来像(第9回「中山道すがもまつり」)

 またまた巣鴨でお仕事が入りました。興味のある方は是非どうぞ。原稿も書かねばならないしブログも更新しなければいけない。最近とても忙しいです。以下は巣鴨地蔵通り商店街公式ホームページより。

「第九回中山道すがもまつり 講演とシンポジウム『いま、明らかになる幕末の巣鴨とその将来像』」
(主催)中山道すがもまつり実行委員会(特別共催)巣鴨地区街づくり委員会(共催)巣鴨地蔵通り商店街・巣鴨駅前商店街振興組合・巣一商店会・巣鴨信用金庫(後援)豊島区・豊島区商店街連合会・豊島区観光協会・とげぬき地蔵尊高岩寺・江戸六地蔵尊眞性寺
(月日)3月27日(日)巣鴨信用金庫メモリアルホール 3:00 開場
3:30 実行委員長挨拶
3:35~4:25 基調講演(1):「巣鴨町軒別絵図」にみる巣鴨の街並み 講師:高尾善希(東京都公文書館非常勤職員)
4:25~5:15 基調講演(2).:巣鴨街並みの変遷と今 講師:辻野五郎丸((株)修景社)
5:15~5:30 休憩
5:30~7:00 シンポジューム:「巣鴨の将来像」(中心市街地活性化事業と街づくりの方向)
コーディネーター: 辻野五郎丸
パネラー: 内田雄造(東洋大学教授)・宮崎牧子(大正大学助教授)・斎藤賢司(豊島区商工部長)・チームオキラマン(ワークショップ参加チーム)
7:00 準備
7:10~7:30 セレモニー
7:30~8:30 懇親会
 今回、「巣鴨の街並み」の新資料の発見と共に、千川上水道の役割を通して、江戸時代より行われてきた社会基盤整備の実態を、その時期の世界の都市と比べつつ、当時の都市計画を知ることを主題に、また活力のある町づくりを目指して、現在計画されている「中心市街地活性化事業」に期待するところを、講演会とシンポジュームを通して、地域住民に喚起し、一層の地域の活性化と個性ある地域の発展を目指す事、並びに全国へ街づくりの情報発信を事業の主たる目的とします。
 講演というから「はい、いいですよ」とお答えしましたが、こんなおおごとだったとは知らず、吃驚りしました。それにしても巣鴨地蔵通り商店街のみなさんのパワーには驚かされます。歴史などの文化遺産をうまく利用して町を盛り上げているなあと感じます。偶然はじめた自分の研究と町おこしがタイアップしてくるのははじめての経験で、大学のゼミや学会ではありえない状況でしょう(もっとも社会学や建築学などならありえそうですが)。研究上の目的は町おこしはもちろんですが、今回見出した「巣鴨町軒別絵図」に出てくる人名のご子孫を探すことです。そのためには労を惜しみません。どこへだって飛んでゆきましょう。

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2005/02/10

(講座)豊島区文化財講座「江戸の町の発掘調査~日本橋から巣鴨まで」(『広報としま』1308号、平成17年2月5日発行)

 豊島区教育委員会では、2月から3月にかけて、考古学に関する講座を開催します。わたしも講師になっています。
 わたしは、発見・分析した幕末巣鴨町の町なみ絵図「巣鴨町軒別絵図」について、ご紹介する予定になっています。くわしくは『広報としま』1308号をご覧ください。
 話すことは『巣鴨百選』2月号で書いたものとほぼ同じですが、ここでは、そこに書き漏らした考古学(モノ資料)と文献史学(文字史料)との関係、発見の裏話などを披露します。興味のあるかたはぜひどうぞ。

豊島区文化財講座「江戸の町の発掘調査~日本橋から巣鴨まで」
平成17年2月24日~3月17日 木曜日(全4回) 午後7~9時
会場「生活産業プラザ」(豊島区東池袋1-20-15)
「お江戸、日本橋の町屋!」講師・仲光克顕(中央区教育委員会)
「加賀藩邸内の長屋」講師・堀内秀樹(東京大学埋蔵文化財調査室)
「巣鴨町町家の発掘調査」講師・成田涼子(豊島区教育委員会)
「よみがえる巣鴨の町なみ~皇女和宮のおくりもの~」講師・高尾善希(東京都公文書館)
○定員50名…全回出席できる方。 ○申し込み方法…往復はがき(『広報としま』のはがき記入例参照)で2月15日(消印有効)までに「生涯学習課文化財係」(〒170―8422 豊島区東池袋1―18―1 豊島区教育委員会生涯学習課文化財係)。 ○一人1通…応募者多数の場合は抽選。 ○文化財係…℡3981―1190。
※念のため『広報としま』1308号で実際にお確かめください。 『広報としま』
 わたしの演題だけ浮いているような……? まあ、いいか。性格なんです。

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2004/12/23

(書籍)竹内誠監修・大石学編『都市江戸への研究視座』(名著出版)

 またもやわたし・身内の宣伝になってしまい、申し訳ございません。きょう、竹内誠監修・大石学編『都市江戸への研究視座―大江戸八百八町展・武家拝領地・江戸首都論―』(名著出版、定価3200円+税)が自宅に届きました。拙稿も所収されており「江戸東京博物館企画展示『大江戸八百八町展』をめぐって」です(53~68頁)。その内容の一部を、このブログ内でご紹介したことがあります。
 この本は、2003年2月7日江戸東京博物館で開催された東京学芸大学・立正大学合同研究会での成果を中心にして、両大学関係者によって1冊にまとめられました。諸般の事情により、その研究会からずいぶん日が経っての刊行とはなりましたが、江戸研究のそして竹内・大石門下の記念碑として、意義深い一冊になったのではないか、と思います。監修者の竹内誠先生・編者の大石学さん・事務局担当の細野健太郎さん・名著出版平裕治さんに、あつくお礼を申し上げます。
 コンテンツは以下の通り。どれも力作ばかりです。

監修のことば(竹内誠) はじめに(大石学) 第1章「大江戸八百八町展」をめぐって (1)巨大都市江戸における交換と消費―『大江戸八百八町』展と都市史研究の接点―(市川寛明) (2)コメント江戸東京博物館企画展示「大江戸八百八町展」―江戸観へのまなざし―(高尾善希) 第2章「武家拝領地」をめぐって (1)幕臣所持屋敷の画期と諸相(渡辺絵里子) (2)江戸幕府の拝領武家屋敷下賜の実態(山端穂) 第3章「江戸首都論」をめぐって (1)「江戸首都論」と「江戸時代論」(大石学) (2)方法論としての「江戸首都論」をめぐって―大石学著『首都江戸の誕生』に寄せて―(細野健太郎) (3)討論 第4章 都市江戸をめぐる考察 (1)徳川政権の「首都」と天皇(野村玄) (2)加賀藩牛米邸上地一件―明暦期における江戸の屋敷地再編― (3)東京における首都官僚組織の再生過程―官員録・官員全書の分析から―(三野行徳) 第5章 講演 江戸開府四〇〇年を迎えて―江戸東京博物館の理念―(竹内誠) あとがき(細野健太郎)

 市川寛明さんの経済道徳論は刺激的でした。これについてはいつかわたしも言及してみたいと思っています。
 拙稿は、題名通り、大入りだった江戸東京博物館企画展示「大江戸八百八町展」のコメントです。実はわたし、アルバイトで、ちょこっとだけお手伝いをしています(図録にも後ろに名前が載っています)。その縁でなのか大石学さんにコメントを頼まれ、3ヶ月位の急ぎ仕事で完成させました。以下は拙稿の書き出し部分。

東京学芸大学の大石学さんから、「大江戸八百八町展」の展示評を喋って欲しい、という突然のお申し付けを頂いたのは、たしか去年の一一月頃であったかと思う。わたしは、短期間の博物館調査員等の仕事以外に博物館勤務の経験がなく、そのうえ―江戸に関心がないわけではないが―「江戸研究者」でもない。確かに少しだけ近世史の端っこ(村落史)を囓っているし、展示担当学芸員の市川寛明さんの下働きをさせて頂いたが、それ以外には批評する資格に乏しく、少し戸惑いを感じた。しかし、せっかくお話を頂いたことでもあるし、また乏しいながら自分の考えをまとめるいい機会になるかもしれないと考えたため、ありがたくお引き受けすることにした。もし、博物館に疎いわたしに、このシンポジウムで果たせることがあるとすれば、展示評というよりも、展示内容に関するコメントを披瀝しながら、江戸に関する展示・研究の展望等を示すということだろうと思う。まことに勝手ながら、この場はそのような内容にさせて頂き、わたしなりに重たい責を塞ぎたいと考える。何卒ご海容頂きたい。
「はじめに」より

(付記)同書「討論」においてわたしは「関西出身」ということになっていますが、正しくは千葉県、関東出身なのです。ちなみにわたしの両親が三重県四日市市の出身です。

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2004/12/22

(記念)8年前の卒業論文、やっと出る

 先日『立正史学』96号(立正大学史学会)が自宅に届きました。拙稿が掲載されているのですが(高尾善希「村役人の選出と村の自治―武蔵国入間郡赤尾村名主林信海日記から―」)、これはなんと、わたしが8年前大学を卒業するときに書いた論文なのです。8年ものあいだ久しく机に眠らせておいたままでした。
 この論文は大学の代表として第38回日本史関係卒業論文発表会(地方史研究協議会)で口頭発表しています。ちなみに、この「日本史関係卒業論文発表会」なるものは、学部卒業論文を提出したひとたちが、大学毎に発表しあう、卒業論文コンテストのようなものです(もちろん「コンテスト」といっても、学会ですから、順位がつくわけではありません)。東日本の大学が参加しています。歴史学系の卒業論文を書こうという方は、いちど見学してみるといい刺激になると思います(毎年春になると『地方史研究』誌上に案内の文章が載ります、大学等でもポスターの掲示があると思います)。
 論文の副題にもあるように、武蔵国入間郡赤尾村名主林家の史料で執筆したのですが(注1)、発表当日には、その林家の御当主の方にも見学に来て頂きました。御当主にはたいへん喜んで頂き、発表のあと、お食事までご馳走になってしまいました。研究冥利に尽きるというものです。こんなときは、あらためて、歴史学をやっている意義を発見する思いです。
 『立正史学』96号掲載論文は、その当時の原稿ほとんどそのままにしてあります。大学出たての気負いが丸出しになっており、自分にとっては気恥ずかしい感じもありますが、記念の意味をこめて、あえて特に大きな加筆・修正は加えずに掲載しました。以下は書き出しの部分。

近世村落の自治・自律性に関する研究は、主に一九八〇年代以降、村方騒動・村法・村入用等の研究を通じて成果が積まれてきた。それらの中で、特に村役人の位置付けに関しては、「領主支配システムの末端」「橋頭堡」「槓杆(こうかん)」としての性格を前提としながらも、村に責任を負う者として、村の代表者的な性格へと次第に変容してゆく過程を重視する傾向がある。本稿ではそれらの成果を踏まえ、武蔵国入間郡赤尾村(現、埼玉県坂戸市)の村役人の選出に関する事例を材料に、近世後期の村の自治のあり方を、領主川越藩との関係で明らかにしてみたい。ここでは単なる些末な一村落の制度論を語るつもりはない。村落秩序が動揺し、惣百姓の合意を得ることが難しくなった近世後期的状況の中で、百姓たちが―従来の自治の伝統を引き継ぎつつ―蹉跌し悩みながら、新たな自治を発見・開拓してゆく姿に着目したいと考える。(「はじめに」より)

 なお、『立正史学』96号の「日本近世史特集」、拙稿を含めた5本の論文は、指導教授竹内誠先生の退職に寄せられたものです(「編集後記」参照)。どれも力作ばかりです。コンテンツは以下の通り。

『立正史学』96号(立正大学史学会)
<論考>
黒田日出男「肖像としての源頼朝」
<日本近世史特集>
石山秀和「江戸近郊農村にみる豪農の文化活動―安川家三代の事例―
高尾善希「村役人の選出と村の自治―武蔵国入間郡赤尾村名主林信海日記から―」
西光三「近世大名家における葵御紋使用統制令の受容と展開―「御威光」の統制から藩主権威の形成へ―」
滝口正哉「幕末維新期の納札活動―江戸趣味の系譜―」
渡辺絵里子「江戸拝領町屋の拝領者規定―元禄中期を中心に―」

(注1)ちなみに、この林家の史料は、今年、NHK歴史教養番組『その時歴史は動いた』に紹介されました。おもしろい文書群なので、いろいろな方に知って頂ければと思っています。

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2004/12/01

(研究会)例会報告についてお知らせ

 アジア民衆史研究会という研究会で、幕末期における博徒についての研究報告をします。
 最近、村落史の一環として、博徒の研究をしています。「博徒を調べている」というと、たいていの人から笑われるのですが、最近、文献調査・現地の聞き取り調査を通じて、博徒の問題が、民衆史にとってかなり重要なポイントであったことがわかってきて〝驚愕〟しています。これについては徹底的に調べようと思っています。当日ぶあついプリントを用意します。
 以下はアジア民衆史研究会のホームページからの引用です。

アジア民衆史研究会「東アジアにおける民衆の世界観(4):移動・接触からみる空間認識」第5回研究会
報告 :高尾善希「幕末期における博徒・博徒集団の実証的研究」
日時 :2005年2月5日(土)午後2時半から
会場 :早稲田大学文学部(戸山キャンパス)39号館(第二研究棟)第5会議室
資料代として200円をいただきます。
事前のお申込みは必要ありません。みなさまのご参加をお待ちしています。
PDFファイルの[ビラをダウンロード]できます(1.4MB)。ご自由に掲示・配布してください。
午後1時から同会場にて幹事を行う予定です。
連絡先:事務局 中嶋久人 電話:090-3062-1319 Email: MAF01405@nifty.ne.jp

アジア民衆史研究会2004年度テーマ
移動・接触からみる空間認識:東アジアにおける民衆の世界観(4) 2004.05.11更新

 アジア民衆史研究会では2001年度以来、中長期的なテーマとして「東アジアにおける民衆の世界観」を掲げている。空間・時間・人間に関わる意識総体を<世界観>として把握し、そこからアジア地域における民衆の主体形成の問題を検討することを課題としている。
 このテーマのもと、2001年度は民衆の<世界観>の一側面として「君主観」の問題を取り上げ、続いて2002年度・2003年度は、「他者をめぐる空間認識」の問題を取り上げた。民衆は自らの所属している空間をどのように認識しているのか、という問題意識のもと、2002年度は大きく視野を広げ自己と他者との関係の中における空間認識を検討した。さらに2003年度には特に権力関係の中での空間認識の問題を検討し、支配層と民衆との認識のズレの問題について検討することが出来た。また、「境界」というものがアプリオリに存在するのではなく、「他者」との出会いを通じて形成されていくものであること等についても、幅広い議論をすることが出来た。
 しかし、一昨年度及び昨年度における空間認識というテーマは、アイデンティティの問題に回収される可能性があるという問題点が浮き彫りとなった。また、「空間」というものを、日常的な空間から、宇宙や世界といった意識的にしか理解出来ない空間、さらには「国民的共同体」といった仮想的空間にまで幅広く設定したために、議論の焦点が絞り切れないという問題が生じた。
 そこで本年度は、昨年度までのテーマである空間認識の問題を継承しつつも、より焦点を絞り、さらに具体的なものとして「移動」の問題に着目したい。移動の結果として起こる接触の場面は、空間認識という視点から見れば「対面空間」と言うことも可能である。移動によって生じる接触は、それまで保持していた<世界観>の変容を迫りうる。あるいは接触により、それまでの<世界観>をさらに強固なものに再編していくことも考えられる。「対面空間」すなわち出会いの場面でどのような認識が形成され、あるいは変容を遂げるのか。移動・越境・接触の場面での<世界観>の形成と変容に着目することで、こうした問題に迫ることが可能であると考える。
 またここでは、「国家を背負った人間同士の接触」という認識を前提とせずにひととひととの接触による<世界観>の形成過程と変容を検討し、その経験がさらに意識・移動(実践)を規定してゆく過程を検討していくことにしたい。ここでは、時代設定を「近代移行期」のみに限定せずに、その前後の時期を含めて幅広く見ることで、「前近代」と「近代」との差を浮き彫りにしていきたい。特に、植民地等の「近代」特有の問題を考えるためにも、時代設定を小さく限定せずに長期的視野で検討することが有効であると考える。地域設定においても、欧米との接触によって「近代」への対応を迫られた地域としての「アジア」を対象としながら、その「アジア」という空間認識自体がこの時期に作られていくという過程をも視野に入れて議論を深めていきたい。
 具体的には、漂流・移民・交通・観光などの事例をもとに、民衆の<世界観>を知るための方法を模索しながら、移動の結果として起こる接触の場面で、民衆の<世界観>がどのように構築されていくのかという問題に取り組んでいきたい。
アジア民衆史研究会2004年度趣旨文より

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