2005/10/04

(大学)史学科大学生の素朴な疑問

・アンケート 立正大学でわたしの授業がはじまりました(わたしの担当授業は後期授業です)。そこではいくつかの設問をのせたアンケートを配りました。その回答を匿名でみなさんにご紹介することにしましょう (学生にはそのことは了解を得ています) 。設問中「歴史のことでふだん疑問に思っていることはありますか?」という欄に対し、主に6つのすばらしい回答を得ました。やってみるものですね。

①なぜ私の友達に歴史嫌いが多いのか。
②昔の失敗を知っているはずなのに同じ失敗をしていることがあるような気がするところ。
③江戸時代の天ぷらについての技術。
④幕末の志士は会合で、どのような酒(どこの産の)を飲み、どのような料理を食べていたのか。姉小路公知卿を暗殺したのは本当は誰か。
⑤個人的なんですが、祖母の家に「浅間神社もどき」があって碑文もあったんですが、何故農家のうちが、それを管理しているのかが不思議です。疑問です。
⑥歴史はどこで始まりどこで終わるのか。

 個人的なふとした疑問でも、そこからおおきな論文に仕立てることは可能です。研究者の方々でもそんなことをしてきました。論文をよむことも大切ですが、まずは自分本位で考えることが大切です。

・歴史を学ぶ意味 「①なぜ私の友達に歴史嫌いが多いのか」「②昔の失敗を知っているはずなのに同じ失敗をしていることがあるような気がするところ」の2回答は、ふかいところで繋がっています。実はわたしも同じようなことを考えていました。
 現在の世の中というのは「過去を喪失した世の中」であって、つまり常にイマという点のうえに立っていて、そこから未来という〝空白〟に生きているのが現代人の特徴です。たとえばこれからの国政・これからの外交・これからの教育・これからの株価など……。あまり過去を振り返ろうとはしていません。従来の日本が「右大将頼朝公以来」や「東照宮以来」や「明治大帝以来」や「先祖伝来の田畑」などと、様々な過去に縛られてきたことを考えてみるに、これはかなり風変わりなことではないでしょうか。
 しかしその反面、「日本人の誇り」をもつことを主張し、アジア・太平洋戦争の日本をいちぶ肯定するような議論もでてきました。これは、先ほど述べた「過去を喪失した世の中」とは関連性のある現象で、「歴史をもういちど作りなおそう」という動きだといえます。もちろん「日本人の誇り」自体がわるいわけではありません。しかし、それによって①さんの友達が「歴史好き」になったとしても、もし夜郎自大で自分勝手な歴史観がすこしでも含まれれば、②さんのいう「昔の失敗」は頭の中から消えてしまうから、そこはおおきな落とし穴です。また試しに戦前・戦中のむかしの歴史教科書を読んでみて下さい。大河ドラマ調というか、劇画調というか、講談調というか、けっこう面白い本なのです。ところが吹き出したくなるようなばかみたいなウソばかりです。だから面白けりゃいいというわけではありません。歴史はマンガじゃないんだから。

・日常への視点 「③江戸時代の天ぷらについての技術」「④幕末の志士は会合で、どのような酒(どこの産の)を飲み、どのような料理を食べていたのか」という疑問は、むかしの日常生活に関するものです。こういった日常生活を明らかにすることも、歴史学での重要なテーマです。徳川家康が天ぷらをたべて腹痛をおこしたというのは有名な譚ですが、歴史はふるい筈です。江戸の出店でも売っていて絵ものこっています。幕末の志士が集う京都ではどのような食事が出たのでしょうか。もし「幕末の志士」で史料がなければ、もし興味があれば「料理」というところに重点をおいて、「幕末京都における○○の料理」という課題でもいいわけです。京都の庶民の日記でもみれば何かわかるかもしれません。京都のお酒ならばちかくの池田・伊丹・灘などが名酒を産する土地です。伊丹は京都の近衛家領でした。近衛家は酒造業を積極的に保護し、近衛家が鑑札などに使用した合印文は、いまも伊丹市章として使われています。近衛家出入りの志士ならば伊丹の酒かもしれません。
 これは自分の家に関する疑問。「⑤個人的なんですが、祖母の家に「浅間神社もどき」があって碑文もあったんですが、何故農家のうちが、それを管理しているのかが不思議です。疑問です」。そうですね、これも不思議です。まず石碑に何が書いているのかを調べてみて下さい。その石碑に富士山のマークは入っていませんか。大きさを測って様子を写真におさめてみましょう。つぎにむらにふるい書き物はのこっていませんか。むらのご老人や旧村役人家などの旧家を訪ねれば、何かわかるかもしれません。文字だけではなくむらにふるい言い伝えなどはのこっていませんでしょうか。大学にはたくさんの本があって、民俗学や歴史学などの書棚に浅間神社や富士信仰や屋敷神に関する本がありますから、それを繙いてみてください。このようなふとした日常の疑問は大切にしてください。是非レポート提出はこの事例でお願いします。

・歴史のはじまりとおわり 「⑥歴史はどこで始まりどこで終わるのか」。これはなかなか深い疑問です。
 歴史には必ず文脈があります。「歴史」と2文字でおわる歴史はありえません。つまり「○○の歴史」とか「××の歴史」とか、必ず枕詞がつくわけですが、たとえば「日本の歴史」はいつからなのでしょうか。
 さきほど亡くなった網野善彦というひとは、このことにたいへん疑問をもった歴史家です。「日本」という国号や「天皇」という称号は7世紀になってつくられました。「日本」がつくられた当初は列島全部が「日本」の支配下ではなくて、東北などは「日本」の範囲の外にありますね。そのうえ「日本」成立以前の聖徳太子は当然「日本人」ではありません。⑥さんが「どこで終わるのか」と「終わる」という視点もいれたことはすごいことです。「『日本』だけではなく別の国号もあってもいい」というのが網野さんの議論だったからです。この世の中すべからく未来永劫という事柄はありません。必ずどれにもはじまりとおわりがあります。それを意識することも歴史学の目的のひとつです。

・大学生の問題意識 このように大学生の問題意識はなかなか先鋭的です。たぶん自分はあまり先鋭的だと意識しておらず〝天然的先鋭〟なのかもしれません。しかしもしそうであったとしても、先鋭的だと教えてあげることは必要です。「勉強してないネ」ということは簡単ですがそれだけでは何の問題の解決にもなりません。
 以下は「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」でノーベル生理学医学賞をとった利根川進さんと立花隆さんとの対談集『精神と物質』(文春文庫)から (わたしの愛読している本です、遺伝子の知識がないと内容はかなり難解ですが) 。利根川さんは大学生の頃生物の細胞を知りませんでした (質問者は立花さん、返答者は利根川さん)

―理学部の化学科の出身でしたね。もともと生物に対する興味から分子生物学に入っていかれたわけじゃないんですか。
「ぼくは高校で生物をとってないんです。だから生物学の知識なんて、はじめは何もなかったですね。たとえばね、この人間の体がみんな細胞でできてるなんてことは、大学に入って一般教養の生物をとるまで知らなかったくらいなんですよ。それを聞いたとき、へえーって思ってね、すぐ友達にその話をしたら、お前そんなことも知らなかったのかって、すごくバカにされましたけどね(笑)。こんな話書かないでくださいよ」
―いやあ、その話いいですね。ノーベル賞の利根川さんが細胞を知らなかったなんて傑作ですよ。ぜひ書かせてください。 (第1章「安保反対」からノーベル賞へ)

 ノーベル生理学医学賞研究者が、大学生時代に細胞を「知らなかった」ということもさることながら、同時に「へえーって思ってね、すぐ友達にその話をした」というところも重要です。こう考えると昨今喧しい大学生の学力低下問題って何なのでしょうか。

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2005/08/14

(大学)ハッピーキャンパス ―「レポートの心配はもういらない」―

 ハッピーキャンパスというホームページがある。
 これは大学の授業に提出するレポートにつかうねたを紹介しあうホームページで、これをみたとき「なるほど」と唸った。これはいいアイデアじゃないか。大学ではよく友達同士でノートの貸し借りなどがあるが、ここではそれをもっと大きくして、大学をこえて学生間で知的相互扶助組織をつくろうという意図をもっている。キャッチフレーズはずばり「レポートの心配はもういらない」。大学生時分にレポート大好き人間であったわたしにいわせれば、レポート如きが何故人間の頭を苦しめるのか理解に苦しむけれど、世の大学生にとってはとても難物であるらしい。
 このホームページはどうやらポイント制をとっているらしい。ねたを紹介するとポイントをもらえ、そのポイントを消費することによって、ほかのひとが提供したねたを使うことができる、というもの。レポートを登録すると図書券がもらえるというキャンペーンも期限付きでやっている。わたしにはこんなホームページでどのように儲けを出すのかわからないが、ハッピーキャンパスとはよくいったものだ。いまの〝大学=遊園地化〟論とうまく平仄(ひょうそく)があっていて何となく可笑しい。なるほど遊園地たるキャンパス・ライフにとって、後顧の憂いはレポートで、レポートをさっさと片付けて完全に「ハッピー」になりたいということだろう。そのうえ大学入学まえの偏差値ゲームでは、如何に少ない労力で効率的な学習効果が得られるかが重要だが、その発想の延長線上にこそハッピーキャンパスがある。
 ただ大学の先生が眉をひそめそうなホームページではある。実際に苦情のメールを出す先生もいるらしく、わたしもその気持ちがわからないではない。しかしその苦情の理屈をたてるのは難しい。その難しさを以下具体的に言葉にしてみたい。 

 ちなみにわたしの非常勤講師としての授業では、このハッピーキャンパスは糞の役にもたたない。そもそもわたしの課すレポートは授業に出ないとわからないし、何処かのホームページから剽窃することもできない。だからわたしの授業をうける学生にとってハッピーキャンパスなんかあってもなくてもどちらでもいいシロモノである。要は学生が容易につくれるようなレポート論題を出題しなければよいだけのはなしではないだろうか。
 しかし依然として大学の授業には安易なレポート論題がたくさんあるから、インターネット画面でコピー・アンド・ペースト(所謂「コピペ」)してレポートおわり、ということも可能であって、だからハッピーキャンパスにもそれなりの需要がある。それに、このハッピーキャンパスをもちだすまえに、わたしのブログだって大学生のレポートねたの喰い物にされていないとも限らない(アクセス解析記録にはそれとおぼしき検索ワードがある)。ハッピーキャンパスがあろうがなかろうが、インターネットで検索すればレポートのねたくらいはいくらでもみつけることができる。そのくらいの狡賢い知恵は昨今の大学生諸君ならもっているにちがいない。問題はそんな状況に対して大学の先生がどう対応するかではないかと思う。

 そもそもの問題の根本は大学の授業の無気力にある。
 無気力は大学の先生・学生の両方にある。学生は平気で授業中に私語をしていて怠学のムードが蔓延っているし、先生のほうもそれにたいして無関心な方々が多い。これについては大学関係者ならずとも誰でも知っていて、周知の事実と化しているが、この無気力さはいったい何処からきているのか。……結局ここには、「自分の研究をやらせてくれよ」という大学の先生側と、「怠けさせてくれ」という大学の学生との、きわどい暗黙の了解、もっというなれば暗黙の共謀関係が成立しているのではないだろうか。このようなレポートねた紹介業はその両者の間隙に偶々現れたに過ぎず、いまの大学の問題にたいする強烈なアイロニー(皮肉)、あるいはブラック・ユーモアに思えてならない(もっともハッピーキャンパスの作成者がそこまで考えているかどうかはしらない)。この両者のうち、どちらかといえば教育者の立場である先生の責任は重いのではなかろうか。
 ハッピーキャンパスを非難するまえに、そういった大学の根っこにある問題そのものからじっくり考え直さねばならない。でないと目の前の「大学全入時代」に大学という業界自体が生き残ってゆけないだろう。このハッピーキャンパスの出現によって、大学生側の問題というよりもむしろ、大学側の問題を垣間みたような思いがする。

 ところでハッピーキャンパスの画面をよくみてみよう。意外なことにこのハッピーキャンパスにはなかなか殊勝な面もあって、当を得た指摘も多いことは見逃せない。たとえば「レポート作成法」というPDFファイルがあってA4で5枚の長文にわたるものである。その一部にはこういう文章がある。

1)誠実性 まず誠実性について考えてみると、[誠実]という言葉は[一所懸命]という言葉と相通するといえます。つまり先生たちが期待するのは該当課題に対し一所懸命に調査して勉強することです。誠実性に高い評価をおくレポートの課題は[~について調査]が多いです。先生の方はすでに知っている内容で学生たちにそれを直接調査するようにすることで学生たちが情報を収集して整理し、分析する力を育つため(原文ママ)のことです。
(中略)
2)独自性 次は独自性に対して考えて見ましょう。すでに述べたように先生たちは当該分野の専門家です。したがって当該分野の専攻書籍及び関連資料をずっと読んできたのでもう出されたものと変わりないもののレポートを読み興味を引き出すことはできません。また新鮮感をもたらせない資料を読むということは100回以上も同じ映画を見ることと違いありません。すなわち先生たちは学生の考え方が知りたいこと(原文ママ)であり、今まで出された数え切れないほどの既存の知識を繰り返したいわけではありません。

 文意のとりずらいところはあるものの、概ねこれらのいっていることに間違いはない。たしかに「レポートの心配はもういらない」というキャッチ・フーズからは一見いやな印象をうけるが、しかしながらよくよく内容を読んでみると、ちゃんとレポート作成の自助努力や作法を教えている部分もある。特に「一番良くないレポートはあっちこっちでコピーしてそのまま張り付けただけのもの」という一文さえもある。ただし利用者が実際どう利用するかは別問題であって、これがみそかもしれない。しかしハッピーキャンパスにはこのような主張があることもここで確認しておきたい。
 それにしてもこれらレポート作成の基本は、ほんらい大学の先生が教えるべき仕事ではないのか。もし大学の先生がこの種のことを教えていないのであれば、ハッピーキャンパスの是非論よりもむしろ、「大学の先生方がもっとしっかりしなさいよ」ということになりはしないだろうか。むろん非常勤講師たる自分も肝に銘じたい。何れにせよ大学はもっと変わらなければならない。

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2005/07/12

(見学)江戸考古学は夜ひらく

 「圭子の夢は夜ひらく」(藤圭子)らしいが、東京都区部の江戸考古学も夜ひらくらしい。
 去年の夏、わたしは豊島区の遺跡報告書を執筆するため、同区の考古発掘現場に週一回ていど見学に足を運んでいました。といっても発掘時間はなんと夜10時以降の深夜である。わたしは職場が6時におわるから(わたしは東京都公文書館非常勤職員)、レストランにでも入って、その10時まで適当に時間を潰さなくてはいけなかったのです。
 それにしても何故わざわざ深夜に考古発掘なのでしょうか。

 ―東京都豊島区巣鴨。
 ひっきりなしに車が行き交うひろい国道(白山通り)の片側がその発掘現場です。
 もちろん昼間や夕方は発掘しません。発掘現場はあつい鉄板に覆われたままでその上を乗用車がうなりをあげて通っています。しかし夜10時以降になると道の片側が通行止めになって、焼けんばかりの白熱燈に照らされながら重い鉄板がクレーンによっておもむろにとりあげられる。そうすると凸凹した茶色の発掘現場、つまり江戸時代の地表が姿をみせる。そのさまたるや「壮観」の一言に尽きる。この感動をどうお伝えすればよいのか。わたしにはうまく表現することはできません。白熱燈・クレーン・様々な計測機器という<浮世>に囲まれながら、<浮世離れ>した江戸時代がたいせつに扱われている。もっともこの遺跡は地下鉄のエスカレーター工事にともなう発掘で、しょうらい工事のためこの遺跡を毀さなくてはいけないのです。遺跡を〝成仏〟させるための発掘であり、発掘する側はとても複雑な心境です。

 この感動を先日東京大学の院生に話したら、わたしの話し方がわるかったせいもあるのか、怪訝なかおをされてしまった。やはりここらへんの感動は写真でも見ないと伝わりません。あるいはフランス料理の会食中に言ったからいけなかったのかもしれない。「百聞は一見に如かず」というからみないと感動はわかりません。
 もちろん何でも感動するひとは馬鹿みたいですが、〝当を得た感動〟であればいくら感動をしても差し支えないのではないか。学問はあつい感動からはじまるからです。

 そんなわけでわたしは感動することしきりでした。

 おい、すごいなあ…

 とわたしは大学の後輩であるSくんに話しかける。
 Sくんは豊島区の非常勤身分で、若いながらもこの現場の指揮をとっている。Sくんはわたしにヘルメットをわたすと、毎回いろいろ教えてくれた。これが穴蔵です、これが柱の穴です、これが中山道と住宅地の際です、などなど。
 なるほどこれが江戸時代のひとの歩いていた地表か。

 それで足跡なんかないの?

 の如きアタマのおかしい先輩の質問はSくんを戸惑わせた。時々帰宅途中の赤い顔をしたサラリーマンも「なんだろう?」とフェンス越しに興味深げに覗きにくる。そんなときにきまって出てくる質問が「ねえ、小判出た?」です。一時期の埋蔵金ブームの影響らしい。残念ながら小判は出てこないが銭なら出ました。
 「埋納銭」(まいのうせん)といい、屋敷と屋敷の境と想定されるところから出ています。呪術的な意味合いで埋めたらしい。出土物には「埋めた物」「埋まった物」「捨てた物」の3つがありますが、埋納は「埋めた物」の意です。ていねいに穴窪に何文かが置いてある。だからまさか誰かの財布から落ちてしまったわけではないでしょう。銭をすてる酔狂なひとなど「銭形平次」くらいですから。
 わたしも、①わたしの発見した文久元年(1861)「巣鴨町軒別絵図」によれば、いま発掘している区域の幕末の居住者がわかり、それは植木屋家持弥三郎・弥三郎店車屋勘次郎・植木屋源五郎地借三四郎・髪結源五郎地借市五郎・鍛冶屋家持源五郎であろう、②机上の理論値ではあるが1軒あたりの間口は3間~3間半だろう、という意見を述べておきました。もっともあとの調べによって、幕末の地層は削られており、発掘した地表はもっと前の時期のものだったことがわかりました。

 さて、考古学というと、わたしにはひりひり胸が痛むような想い出がある。
 わたしは変な作図をする天才で、大学の授業でちゃわん (スーパーで買ってきたちゃわんをわざと毀して接合させたもの) の実測図をつくっていたとき、実物とは似ても似つかぬ図ができあがった。
 そんな苦い経験もあって、わたしには考古学はだめだ、と思っていたのです。写真家がカメラをいじくれないと商売できないのと同じように、やはり文献史学は古文書が読めないとだめだし、考古学は図面がひけないとだめだろう。
 わたしが唯一考古学に貢献したことがあるとすれば、わたしが考古学を専攻しなかった、ということでしょう。もしわたしが考古学をやっておれば、めちゃくちゃな報告書を書いて失笑を買うか、考古学諸賢を怒らせていたに相違ない。「それ(作図の話)はね、考古学において本質的なことじゃありません」と橋口定志さん(豊島区教育委員会学芸員)になぐさめて貰ったけれど、苦手意識はきえていない。それでとんでもない考古学音痴になってしまいました。
 だから、さあ、これから考古学を例の豊島区のSくんから教えて貰おうか、と思っていたところ、ことし水戸市の学芸員として就職されてしまい、まんまと逃げられた。
 わたしが「なんだ、オレを置いていくのか」と憤慨したら、こまった顔をしていた。優秀なひとだから、しょうがないのです。

(付記)豊島区遺跡調査会『巣鴨町Ⅵ』はもうすぐ発刊です。「巣鴨町軒別絵図」を紹介・分析した拙稿が掲載されています。また、わたしの発見した史料を契機に、豊島区などのバックアップで、3月にシンポジウムもひらかれました。その報告書もつい最近仕上がりました。この場をかりて関係者各位にお礼申し上げます。

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2005/06/12

(学問)役に立つか、立たぬか

 マイケル・ファラデー(Michael Faraday)は、いまわれわれが生きている電気文明の源泉をつくった、お釈迦様かキリスト様くらいに有り難いおひとです。鉄線コイルの中で磁石を動かすと電気が発生する、所謂「電磁誘導」というおもしろい現象を発見したひとです。貧しい家庭に生れて、14歳から製本屋で働きながら独学で科学を勉強、イギリスの王立研究所の助手に採用され、立派な科学者になっていった、立志伝中の人物です。なかなかのアイデアマンだったらしい。この「電磁誘導」によって、ひとは「運動」を「磁力」の変化によって「電力」に変換することを知ったから、彼を「電気の父」とたたえて感謝しています。
 しかし、発見の当時は、周囲のひともそしてファラデー自身も、それがほんとうに役に立つ知識なのかどうか、判然としなかったらしい。
 それを示すこんな逸話があります。

……ある日、ファラデーが群衆の中で電磁誘導を実験してみせた。そのとき、その中にいたおばさんがファラデーに「そんなの何の役にたつのさ?」と問いつめた。するとファラデーは「それをいうなら、生まれたばかりの赤ん坊も、何の役にたつのかわからない」と言い返した、という。

 とりあえず、この話の真偽は問わないこととしましょう。何れにせよ、この話は、おばさんの「不明」ぶりを対照しつつ、ファラデーの賢明さをたたえる逸話として紹介されています。しかしわたしはこのおばさんの疑問も正面からうけとめたい。
 もちろんファラデーの発見は「偉大」でした。しかし何故「偉大」かといえば、たまたまファラデーの発見が後世に有益であったからでしょう。もし無益な発見であったのなら、「偉大」ではなかった。つまり「偉大」か否かは「結果論」にすぎない。たとえば、現代社会におけるニュートリノの発見にしても、将来に役立つのかどうか、さっぱりわからないけれど、とにかく「ノーベル賞」ものらしい。
 すぐに役立つ知識を貴重とする、ふつうの日常生活に生きる、話の中の「おばさん」のような人たちにとって、ファラデーの発見がすぐに自分たちの生活を救ってくれるわけではない。したがって、「そんなの何の役にたつのさ?」という質問も、ある種の正当性をもっているわけです。

 そう考えれば、研究者感覚(ファラデー)に軍配をあげるか、生活者感覚(おばさん)に軍配をあげるか、なかなか難しいところではないでしょうか。まずは、この両者の価値観のバランスを保ちながら、知的レベルを支えることが肝要、ということでしょうか。
 現在の日本では、生活者感覚(おばさん)のほうの価値観が、もっぱらに認められています。したがって、理系でも基礎研究分野には税金が配分されず、その分野の大学研究室などは貧乏しています。「役に立たぬ」最右翼たる文系諸学、たとえば歴史学なども苦しいこと限りない。
 いったい何がいけなかったか。「役に立たぬ」と偉そうにあぐらを掻く学問がいい学問なのだろうか。そして「役に立て」とばかりいう世の中もいい世の中なのだろうか。

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2005/03/05

(大学)女子大学、いまはむかし

 林真理子さん『本を読む女』(新潮社)は、山梨県の菓子屋「小川屋」令嬢小川万亀(大正4年生まれ)の、大正から昭和(終戦まで)の体験を綴ったものです。万亀は林さんのお母さんがモデルになっています。これはNHK月曜ドラマ『夢みる葡萄』(主演、菊川怜)として放映されていました。
 小川万亀は親から「アカになるから」といわれて女子大を諦め、東京のお嬢様教育学校である「女子専門学校」に通います。学校生活の描写は、大正期東京におけるお嬢さま生活の一端がうかがえ、興味深いものです。特に院長先生がおもしろい。夏休みを迎える前、女生徒たちに訓辞を与える場面。この場面は林さんの創作なのかどうなのか。

「みなさん、ようございますか。夏休みにご郷里に帰られる方も多いと思いますが、どんな時にもわが校の学生だという誇りを忘れないでくださいまし」(中略)「たとえばお友だちとご一緒に汽車に乗ったといたします。窓から綺麗な風景が見えます。けれども『まあ、ちょっと見て、見て、素敵じゃなァい』などとは、絶対におっしゃってはいけません。こうやってですねぇ……(中略)『何々さま、まあ、ご覧あそばせよ。綺麗な景色じゃこざいませんこと』『まあ、本当。見ていて心がせいせいいたしますわねぇ……』こういう会話が望ましいのでございます」(中略)「それから環境が変わりますと、健康ということがとても大切になってまいります。健康を害するものは、まず便秘でございますよ。女性の大半は便秘に苦しんでおりますが、これは自分の力で克服しなければなりません。このようにして、両手を握り……」〝うん〟と大きな声を出した。「頑張れ、頑張れと、自分を励ますのでございます(略)」
(『本を読む女』「放浪記」より)
 この「女子専門学校」が現在の東京家政学院大学。創設者は大江スミ先生です。ここでの「院長先生」とは大江先生のことでしょうか。もしもこの場面が本当だとすると、大江先生はとても親切でおもしろい方だったことになります。
 それは措くとして、この大学の非常勤講師を勤めていたことがあります。そこの授業でこの話を話したのですが、いまの学生たち、なんと『本を読む女』も『夢みる葡萄』も知らない。自分の母校のことなのに! もうちょっと誇っていいんじゃないだろうか! 大学の図書館では『夢みる葡萄』のチラシが置いてありましたが、学生のみなさんはみていないのでしょう。宣伝に使えるものはなるべく使って宣伝したほうがいいように思います。
 現代の「小川万亀」たちは興味深げに聞いていました。いまの学生さんも比較的おっとりした方が多いようでした。特に女性の先生方がお上品で驚きました。わたしの講師も2年で無事終えました。わたしの通っていたキャンパスは町田市相原の山中にあり、雰囲気がのんびりしていて実にいい大学した。

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2005/02/18

(人生の岐路)国家公務員「日本史を研究したい」、どうする?

 ひとから「こんなのがあるよ」と、インターネットの某匿名掲示板を教えてもらいました。
 この掲示板では、あるひとが質問文を書き、それに対して多くのひとが返事を書く、というシステムをとっています。もちろん双方匿名。本で調べることができない性質の疑問、いまさら恥ずかしくてひとに聞けない疑問は、誰しもあるものです。その場合にはとても便利な掲示板です。
 さて、その掲示板にこんな質問が出されていました。25歳、女性の方(全文を引用しますので掲示板名・ハンドルネームも伏せておきましょう)。

 25歳の国家公務員です。最近、子どものときから興味のあった日本史を専門的に学びたいという気持ちが強くなり、退職を考えています。いずれは研究職に就きたいというのが希望です。18歳の大学受験の際は恥ずかしながら「いい大学」に受かることに必死で、学部よりも大学名で選んだ結果、卒業したのは経済学部です。そのため、まずは史学科の3年次に編入する予定です。不安はただひとつ、研究職に就ける可能性はあるのか、ということです。人文系の研究職といえば大学の教員くらいですが、18歳からその分野を学んでストレートに博士課程までいった方でも採用されるのは難しいと聞いています。わたしのように研究分野に関係ない回り道をしている場合は年齢的な面からもさらに不利になることもあるかと思います。研究職に就く方法を自分なりに調べてはみたのですが、情報自体が少なく実態が掴めません。可能性がゼロでなければ突っ走るつもりですが、それでも実情がわからないままでは不安で、つい質問してしまいました。20代半ば以降から研究職を目指された方がいらっしゃいましたら、体験談などぜひお聞かせください。宜しくお願いします。
 大学は「大学名で選んだ」というから、おそらく偏差値の高い高名な大学を卒業された方でしょう。大学では経済学を学ばれ、現在は職業は国家公務員。本人はどういうかわかりませんが、絵に描いたようなエリート・コースを歩まれている、といっても過言ではありません。それが「子どものときから興味のあった日本史を専門的に学びたいという気持ちが強くなり、退職を考えています」とまで思い詰めてしまった。
 ご本人は年齢のことを気にされているようですが、現在25歳というからまだまだお若い。わたしは、史学科に学士入学なぞせずに、いきなり大学院史学専攻に受験されることをおすすめしますが、その場合、計5年間(修士課程2年・博士課程3年)の大学院全課程をおえる頃には、彼女は30歳です。概ね35歳が就職のリミットとされていますから(といっても34・35歳で就職される方も多い)、それにはまだ5年も余裕があるわけです(!)。まだまだです。
 それより問題は「研究職につけるかどうか」でしょう。かなり困難な道だといわざるを得ません。若くして良質の論文を出し、単著を出したりしている方でも、就職できていない方はゴマンといます。もちろんこの菲才なわたしも現在31歳、妻持ち子持ちの非常勤身分です。
 けれども、学問は研究職につくためにするわけではありません。お金儲けをするためでもない。「研究をするぞ」という信念が自分を支えます。もちろんそれで一生安泰に飯が食えれば文句はありませんが、せめて非常勤身分でも、世の中の片隅に置いて頂ければ有り難いと思わねばならない。あるひとが「筆は1本、箸は2本、〝衆寡敵せず〟と知るべし」といいましたが、まさにそのとおりです。この相談者の方も、エリート・コースを捨ててまで学問の世界に身を投じようと考えるほどですから、漠然と覚悟はされていることと思います。わたし個人的には、是非そんな方に我々の仲間になって欲しい、と思っています。
 それにしても、寄せられた返事コメント中に、「絶対無理だ」などという否定的見解が多いことに驚かされます(匿名掲示板の情報は玉石混淆です)。もし彼女が天才だったら、どうするつもりなのでしょう? 彼女もまだ自分がわかっていないということもありえます。
 また、もし彼女が不幸にして夢敗れたとしても、彼女自身、悔いのない人生を歩んだことに満足して一生をおえれば、それはそれで価値のあることです。これから先は彼女の人生観に属することですから、他人がどうこういう話ではありません。

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2005/01/28

(学位)博士のみちはコンセントから

 400字詰原稿用紙にして700枚にもおよぶ「博士(文学)学位請求論文」の執筆。「今までの苦労が走馬燈のように……」といいましたが、わたしのささいな苦労話をひとつ。みなさんにとって、どれほど意味があるかはわかりませんが。

 700枚の文章を書くといっても、ぶつ切れの日記やエッセイの寄せ集めとはわけが違います。博士論文とて論文の寄せ集めであるにしても、一方で、論旨の一貫性を保たねばなりませんからたいへんです。トランプ・タワーの積み上げのように、精密に書いていかないと、途中で崩れてしまうかもしれない。そのため、その執筆はかなり骨の折れる作業で、かなり時間も費やします。
 まず、執筆するには、仕事のおわる6時以降、深夜まで執筆できる環境がなければなりません。必須の執筆道具はノート・パソコンです。これが深夜まで使えるスペースを確保する必要があります。パソコンのバッテリーはすぐに電気が切れてしまう。そのためコンセントが繋げる場所が何としても欲しい。
 職場はすぐ閉まってしまうので居残りはできません。家に帰っても子どもがいます。また、都内にある出身大学の図書館が便利そうですが、コンセントを使っていいスペースが少なく(現在は新しい図書館が建設され、コンセントも多くて便利になりました)、書籍はあるけれども不便。しかも、夏休み等の長期休みは開館日が限られているし、おまけに夜になると早く閉まってしまうのです。大学の研究室などの設備をもたないわたしにとって、まずコンセントが悩みの種だったのです。
 そこで、わたしは喫茶店が好きなので、喫茶店で執筆することにしました。好きな場所でやるのが精神衛生的によいと考えました。勤務のおわった6時以降、東京の新宿を徘徊し、コンセント使用可の喫茶店(例えば「ルノアール」)を複数店探すことから始めました。……なぜ複数店かというと、①1店だけに長居するのも店員に迷惑、こっちも気がひけてしまう、②店のコンセントの数は限られていて先客がいたら使えない、③時には店を違えて気分転換をするため(知的労働にはこれが意外と重要)、という理由です。
 それで、コンセント使用可の店を3・4店以上、みつけました。最近の喫茶店は、客の長居を嫌うためか、コンセントを貸さないところが多く、ずいぶんウロウロしました。途中大学の先輩にばったり出会って、ずいぶん不審な顔をされました。
 それで喫茶店にて夜10時くらいまで執筆しました。毎日そんなことをやっていると鬱屈します。ほかの客がうるさかったり、いやな煙草のケムリが流れてくると、何が何だかわからなくなってしまう。独り言も多くなります。「うーん、違うなあ」とか、「おれ、馬鹿だなあ」とか。ヘンな客だったのではないかと思います。
 看護婦をやっていた女房から「あなた、そんなことやってたら死ぬよ」といわれましたが、おかげさまで、何とか生きながらえております。

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2005/01/25

(学位)博士号あれこれ

 旧年3月には博士(文学)の学位を母校から頂きました(注1)。壇上に上がって学位記を頂いたときは、今までの苦労が走馬燈のように思い出され、感慨ひとしおでした。小学校以来、格別学校から褒められたり何かを頂いたりした経験のないわたしにとって、とりわけ衝撃的なできごとでした。

 ところで、博士号には2つの種類があります。それが所謂「課程博士」(課程博、カテイハク)と「論文博士」(論博、ロンパク)です。何処かで聞いたことがあるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。ちなみにわたしは「課程博」の方です。
 この2つに軽重はなく、単に、学位のとりかたが違うだけです。「課程博」は、大学院博士後期課程の課程期間内に、ある一定の業績があれば、大学院に認められて授与されます。一方、「論文博士」は、「課程博」のような期間の拘束は一切なく、業績をあげるのにどれだけ時間をかけてもよく、長年積み重ねた業績を大学院に認められれば授与されます。陸上競技に例えるならば、「課程博」は短距離競走で、「論博」はマラソン、といったところでしょうか。
 どちらにしても、「博士学位請求論文」という学位論文の提出が必須で、わたしの所属する文系では、概ねですが、「課程博」は400字詰原稿用紙換算で500枚以上、「論文博士」は同じく1000枚以上が相場だといいます(これはあくまで「概ね」であって、各大学によっても様々です。また、枚数の多寡が価値の全てでない、ということもいうまでもありません、枚数よりも「審査論文」<審査制度のある雑誌に掲載された論文>何本、という内部規定のある場合も少なくありません)。わたしはだいたい700枚ほど書いたと思います。
 さきに「2つに軽重はな」いといいましたが、本当はいろんな意見があります。……たとえば、「課程博」の方が期間内に業績を挙げなければならないから難しいんだ、「論博」なんて書くのに何年費やしたっていいんだからずるい、という意見があります。一方、いやいや「論博」の方が本数も枚数も多く書かなければいけないんだから、こっちの方がホンモノだ、「課程博」なんて枚数が少ないうえに、大学院博士課程を出たばかりの若造じゃないか、という意見もあります(わたしもその若造のひとりですが)。……わたしにはどちらが正しいのかわかりませんが、まあ、2つにはたいした違いはないと思って頂いて間違いありません。

(注1)博士(文学)と文学博士とは同じものです。ある時期に制度改変があり、それ以後「××博士」を「博士(××)」と称するようになりました。

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2005/01/16

(専門書拾い読み①)「たまんないんだよ」(『専修史学』37号)

 学術論文・雑誌には意外とおもしろいことが書いてあるものです。その幾つかをこれからご紹介しましょう。シリーズものにしたいと考えています。

 今回は『専修史学』37号「編集後記」から。執筆者「M・Aさん」は、雑誌をみればすぐわかることですが、同誌の「編集兼発行人」の任にある専修大学教授青木美智男さんでしょう。青木さんといえば、ずいぶん前にわたしの大会報告批判の労をとって頂いたり、本の執筆にお誘い頂いたりと、たいへんお世話になっている方です。
 この文章には青木さんらしさが文章に滲みでています。読んでみて下さい。

……大学院生からも論文の投稿があったが、内容が残念ながらもう一歩というところだった。次号に期待したい。そんな雰囲気が生まれつつある。歴史学専攻と言いながら、院生たちが、時代や地域を越えて研究しあうことがほとんどなかった。みんな一ゼミ内に閉じこもって小さな世界にうごめいている。そんな院生ばかりなのにうんざりしてきた。そしてこれじゃ看板倒れではないか、といつも怒鳴り散らしてきた。それが変わりつつある。何人かの博士後期課程の院生たちが中心になって、時代や地域を越えた研究会を組織し毎月月例会を開くようになった。フランス革命あり、近世村落史あり、ファシズムあり、……もっともこんな研究会の案内にそっぽを向き、我が道を行く院生もいる。いていいよ、本当に努力しているなら。しかし大半はそれほど大きく深く自分のテーマを探究しているわけでもない。何を考えているのかと思いたくなる。これからどう生きていくのか、なんて問うと、まあまあとか、えへらえへら笑って言葉を濁す。たまんないんだよ、そんな院生が多くて。これじゃ博論なんて、とてもとても。後発の大学院なんだよ。それでなくとも院生の就職はきびしい。二重の重荷を取り払わなければ展望がない。そんなとき、時代や地域を越えた歴史学専攻のメリットを生かし、グローバルな知識や歴史観をお互いに培いあい、他大学院の院生との違いを際立たせるのも、展望を開く一つの方法だ。文部科学省は今年度、大学院教育COEを募集するという。独自性ある豊かな大学院教育を育成するのに力を貸そうというわけだ。しっかりやろうよ。

 青木さんは「日本近世史の大家」といってもよい方ですが、いい意味で「大家」らしくなく、『専修史学』のバック・ナンバーを拝見するに、自ら率先して大学の陣頭指揮にたっているようです。
 ここで言及されているオーバー・ドクター問題は、いまに始まったはなしではありません。しかしこのごろは特にきびしくなりました。わたしもこのきびしく冷たい風にさらされているひとりです。わたしも何年か前は引用文にある「まあまあ」「えへらえへら」でした。しかし結婚して子どもができて、何かがかわったように思います。なんとかしようと必死にもがいているところです。博士の学位をとりましたし就職試験も幾つもうけています。それでも菲才、何ともなりません。ただ精進の毎日です。
 それにしても、この青木さんの文章の迫力はどうでしょう。学生にたいするむきだしの愛情が伝わってくるようです。専修大学の学生さんも、この幸せを噛みしめなくてはいけない。
 最近、『専修史学』の論文には、活気が漲っているような気がします。今後の専修大学の動向に注目したいと思います。

(付記)『専修史学』のエントリーを書いた矢先、専修大学文学部人文学科歴史学専攻教授新井勝紘さんのゼミのブログをみつけました。歴史系ブログリンクに入れておきました。
新井ゼミ活動ブログ
(2005.1.28 加筆す)

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2004/12/03

(書籍)大学図書館

 大学の図書館に本があるかないかは、マジメな学生にとって重大な問題です。「ウチの大学、本がなくってさ……」という愚痴がよく聞かれます。
 わたしは、古文書をいろんなところで読みまわっていて、先行研究の把握は最低限にとどめ、論文を掻き集める趣味がうすく、専ら大学の図書館を昼寝場所に使っていました(難しい本を読むとむしょうに眠たくなります、何故なのでしょう)。そうでなければ、別分野の書籍の背表紙を眺めてまわる(美術館の絵みたいに鑑賞する)。だから「きみ、いつもウロウロしているけど、何やってるの?」と言われたことがあるくらいです。

 「大学図書館は本がなくて当然」がわたしの持論です。潤沢な資金とひろい建物がある大学なら格別、多くの大学にとって、いろんな学生のニーズのために、あらゆる本を揃えよというのは無理な注文です。本がなければ、ちょっと大きめな図書館に足をのばせばよい。都会に通えるなら、2つか3つは大きめな図書館があるはずです(ただし、そのてん、田舎にある大学だとかなり不便かもしれません)。
 でも、そうやっていろんな図書館で書籍を渉猟していると、いいこともあります。その図書館にしかない書籍・資料などを発見することができるからです。自分の大学に閉じこもらず、なるべく外を歩いた方がよいかもしれません。それに、苦労して入手した論文のコピーは、宝石のように思われ、よく読み込むものです。逆に、簡単にコピーした論文は、いつまでも押入の中に入ったままで、愛着も薄いことが多いのではないでしょうか。

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