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2014/03/30

(宣伝)高尾善希著『驚きの江戸時代』(柏書房)刊行されました

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・拙著のらい 今年3月下旬、拙著『驚きの江戸時代』(柏書房)が刊行されました。ここでは、拙著刊行の宣伝を兼ねて、拙著についての若干の補足説明をしたいと思います。この拙著の題名・副題・帯の文言はわたしが考えたものではなく、出版社の方が考えたものです(本の売れ行きにご配慮頂いた結果です)。

 そこで、ここでは改めて、わたしの言葉で拙著刊行の意図を解説したいと思います。 この書は主に江戸時代・明治初期のことを振り返った回顧録を扱ったものです。昔のひとがもっていた江戸時代・江戸時代的な意識を回顧録の記述の中から拾ってみよう、ということです。つまり、一言でいえば「江戸時代のことは、江戸時代のひとに訊いてみましょう」というわけです。そういうことを書いた本なのです。

・古文書・古記録を読んでもわからない過去のブラック・ボックス しかし、そもそもそういうことを書く必要があるの? と思われるかもしれません。江戸時代といえば文字文化の発達した時代です。古文書・古記録(古い日記)は豊富にあります。それらを読めば充分じゃないの? と。本当に、そうでしょうか。たとえば、「史料を読む」という行為について考えてみましょう。わたしは「史料を読む」という行為には4つのPhase (次元)があると考えています。

【史料読みのPhase (次元)】

Phase① くずし字

Phase② 現代人が読み易いように楷書体にする(これを一般的に「翻刻する」と称す)

Phase③ 現代語訳をする

Phase④ 史料中における昔のひとの行動(=意識)の理由を理解する

 大抵のひとの場合、Phase①~③までは、普通に考えつくと思います。しかし、Phase④のことを考えたことありますか? つまり、昔のひとが書き記した文章は存在するけれども、その文章中にみえる昔のひとの行動(意識)の理由がわからない、ということもあり得ます。

 ……うーん。ちょっと難しいでしょうか。たとえば、こういうことです。将軍家の葬列の際の江戸町触に「火の見櫓にひとを上げてはいけない」とあります(拙著136頁)。訳文としてそのように《読めた》としても、そもそも何故火の見櫓にひとを上げてはいけないのか? その理由まではわかりません。理由がその史料にまったく書いていないのです。やはりそこでは昔のひとの行動パターンのようなものを知らなければなりません。そのため回顧録のような史料にも助けてもらわなければなりません。

・古文書・古記録は黙して語らず 江戸時代の古文書・古記録の点数は? というと、歴史研究者がウンザリとして頭を抱えてしまうほどにあります。史料整理をしていて、一家あたり万単位の史料が土蔵からドサドサと出てくることすらもあります。嬉しい悲鳴なのですが。しかし、それらに何でも書いてあるというわけではありません。特にその当時は当たり前であったことは書いていません。わたしたちの日常生活を考えればわかることです。

 江戸時代的な日常生活のあり方が変化し、江戸時代が過去になりつつある時期は、明治20年代頃です。その頃からポツポツと回顧録が記されます。そこには、古文書・古記録が黙して語らない部分が解説されています。回顧録の執筆者が(このまま放っておくと、後世のひとがわからなくなるだろう)と考えたのでしょう。

 回顧録史料論試論…。そんな感じの本ですね。成功しているのかいないのか、さっぱりわかりませんが。ただ、(柳田國男『明治大正史世相篇』モドキのような本を書いてみたいな)と、大学院生時代からボンヤリと妄想していました。 拙著、全国書店で発売中です。

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