(雑感)わたしは「生きているか」?
ある自治体の正規公務員が給料の一部分を一律に減らされるらしい。その正規公務員のうちのある方は「こんなんじゃ、生活できないよ」とボヤキを仰っていた。わたしはその言葉を聞いたとき、一生の間びんぼう生活だろうわたしは、この場合どのような位置づけになるのだろうか、と思った。-わたしからみて-多額の給料をもらう正規公務員氏の観点からすれば、わたしの「生活」なんぞ生活の名に値せず、わたしはとっくの昔に死んでいる、ということになってしまう。
ところが、その「生活できない」筈のわたしは、まぎれもなく、いまを生きている。生きていない筈の人間が、生きているのだから、わたしはきっと妖怪か何かにちがいない。これは一体どういうことか。戸惑いにも似た気持ちをもった。
もっともこの「生活できない」という言い回しは、文字通りにとってはいけない言葉のひとつで、「《ある生活レベルからみて》生活できない」という意味である。わたしのように「本さえ読んでいれば幸せで
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コメント
いえいえ、お金が沢山あって、今度はどの国へ出かけようか…なんて考える方は、ごく一掴みの「富裕層」の方です。
残念ながら、富の分配は、極端です。日銀の統計によれば、昨年3月の個人金融資産は、1570兆5990億円だそうです。この金額を、現在の人口数12500万人で割れば、一人当たり平均個人金融資産は、1256万円となります。
要するに、家族が6人家族で有れば、貯金が7500万円強無ければ、平均以下…って事になります。そんなお家が、一体どれ位有るんでしょう?
長年、証券会社に勤務し、そこそこの地位にいましたが、株式は一株の保有もない…。それが現実なのでしょう。
金は無いけど、知識欲だけは有る…。
少なくとも、私は高尾先生が大好きですよ。息子のような年齢の方ですが、尊敬もしています。「金」メダルで無くっても「銅」メダルでも良いじゃないですか。
「金」より「勤」が、輝いているかも…。
投稿: サブちゃん | 2014/01/11 11:20
「サブちゃん」さん(…とお呼びして宜しいのでしょうか)、コメントいただき有難うございます。よく「老後生活試算」「教育費試算」などが話題になります。たしかに、それらにお金がかかることは事実で、それを考えることは大切ですが、もしその試算の通りだとすれば、日本国民のほとんどが餓死するでしょう。それにしても、もっているひとはもっていますね。
投稿: 高尾 | 2014/01/17 17:45