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2006/01/09

(報告要旨)「巣鴨町軒別絵図」の世界―江戸時代の巣鴨町を再現する―

 江戸時代後期、江戸は大江戸と称されるほど繁栄を極めた。この大江戸文化の爛熟に主導的な役割を果たしたのはほかならぬ江戸町方にすむ無名の人々であった。しかしその町方の具体的な景観については史料に乏しく、人名・渡世・居住位置の3つが同時に判明する町方の地点は驚くほどに少ない。たとえば、有名な江戸の切絵図では、町方は町名が記されたうえでその中が灰色に塗り潰されているのみで、それ以外知り得る情報はすくない。
 昨年の夏、わたしは偶然なことにより、江戸御府内巣鴨町の軒別絵図を発見することができた。それは旧幕府引継書(国立国会図書館)「和宮御下向」(808―56)という簿冊の中に綴じ込まれていた。文久元年(1861)製作のもので「巣鴨町軒別絵図」という題名が付されている。報告はこの絵図を紹介・分析したものである。この旧幕府引継書は、幕府の記録群を明治政府が引き継いだもので、誰でも閲覧することが可能で、しかも著名な史料群である (日本マイクロ写真がマイクロ・フィルムを作成している) 。しかし数は厖大でまだ未解明な史料がたくさん眠っていると想像される。「巣鴨町軒別絵図」もわたしに見出されるまでは未見のまま眠っていたのである。
 絵図が作られた原因は文久元年(1861)の和宮降嫁であった。降嫁の行列が関東に入ったところで、中山道の立場である巣鴨町が急に行列人数の宿泊場に指定され、僅か3日で絵図が作成・提出された。絵図は詳細を究めたもので、絵図記載の軒数は合計238軒、一軒毎に住所・所持階層(家持・家主・地借・店借)・職業・人名が判明し、所々家作の大きい家には○印が付けられている。
 この絵図を渡世毎に分析した結果、巣鴨町をおおまかに3つの地域に区切ることができると思われる。①一番板橋宿寄りの上組は交通・流通の結節点といえる地域である。馬持・駕籠舁渡世といった交通業者が多いため、板橋宿からくる旅人を待ち受け、あるいは板橋宿へ出て行く旅人を送り出す機能をもっていたと考えられる。また青物・水菓子を商う店が多いため、青物市場的な様相を呈していた可能性を指摘できる。②真ん中の上中組(上仲組とも)・下中組(下仲組とも)は植木屋遊園街として賑わっていた地域である。植木屋はふつうの植木屋とちがい、自邸内を作庭して菊づくりの見世物をおいて、多くの見物客を呼び寄せていた。同時にこの植木屋群は飯屋・居酒屋を近接して抱えており、これらは見物客に飲食を供する店と解釈することができる。③いちばん江戸寄りの下組は、酒屋・荒物屋・小間物屋・呉服屋などといった渡世があり、都市生活に身近な品を商う店が集中している印象がある。
 さらにこの絵図の分析は、ほかの情報と結びつけることによっても活きてくる。たとえば、この絵図に記載されている店のご子孫がいまも巣鴨に住み、おなじ渡世をおこなっている事例をみつけることができた(巣鴨駅前和菓子屋「福島家」)。わたしの聞き取り調査によって、この家の伝承における江戸時代の店の位置と、絵図に出てくる店の位置とが、ほぼ一致することがわかった。絵図の史料的信憑性を高める事例といえる。そのうえ、考古発掘成果と絵図との整合性も指摘することができる。たとえば、巣鴨遺跡では「高サキ」「伊勢孫」という文字をもつ通い徳利が多く出土しているが、絵図などの分析によってこの持ち主が上組伊勢屋孫兵衛・下組高崎屋半兵衛であることがはっきりわかり、その居住位置もほぼ特定することができた。また、以前の巣鴨遺跡発掘では、植木屋の遺構から大量の料理屋遺物が出てきたことがある(巣鴨駅前「桃花源」ビル地点)。この矛盾についても、絵図によって植木屋が飯屋に地貸しをしていたことが判明するから(保坂四郎左衛門地借平右衛門)、容易にこの謎を解くことができるのである。考古学成果と文献とを補い合わせる一事例といえよう。
 これらの成果は、平成15年3月27日、豊島区後援での講演会・シンポジウムを開催することによって、地元に還元することができた。今後、巣鴨地蔵通り商店街の街づくり計画の一環に、絵図をはじめとする歴史史資料が盛り込まれる可能性がある。もしこの絵図をめぐる研究が今後も現地のフィールド・ワークによって進むのであるならば、現地の町づくり計画と実証研究との両者が関わあいをもつということも、充分視野にいれてよいのではないかとわたしは考えている。
(立正大学史学会大会報告要旨、2005年11月27日立正大学大崎校舎511教室)

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コメント

先程は突然のお電話で失礼致しました。お聞きしたいことは2点あります。1つは、「染井・王子・巣鴨辺絵図」に記入されている「上組・上中組・下中組・下組」の位置と、軒別絵図に記載されているそれらの位置とが一致してないようですが、これはどういうことが考えられるのでしょうか。例えば、「下中組」の場合、軒別絵図では絵図番号93~143に位置し、江戸方面から真性寺の手前で終わっていると思います。(つまり真性寺は上中組に位置するということだと思います)。ですが、「巣鴨辺絵図」の場合、真性寺よりももっと京方面まで下中組が続いているようです。

2つめの質問ですが、境堀の話が出ておりますが、境堀と「上組・中組・下組」の境は一致しているのでしょうか。橋口先生の資料(日本歴史学会編集「日本歴史」2005年5月号:江戸周縁の町「巣鴨」の調査と地域研究p90)には、現代の地図の上に「上組・中組・下組」を一致させていたのがあったのですが、どこを基準にして、現在の地図の「上組・中組・下組」を重ねたのか疑問に思い、このような質問をさせて頂きました。
お忙しいところ恐れ入りますが、よろしくお願い致します。

投稿: ukese | 2006/01/18 10:39

お話の趣承知いたしました。お手数ですがお電話頂けますでしょうか。

投稿: 高尾 | 2006/01/18 11:22

いろいろとご丁寧に説明して頂きましてありがとうございました。確かなことは分かってないようですけれども(それはそれで納得致しました)、またその曖昧さが非常に興味を持つところでもあります。またご相談にのって頂くかもしれませんが、そのときは宜しくお願い致します。本当にありがとうございました。

投稿: ukese | 2006/01/18 14:45

 一般的にいってムラの中のクミは、はっきりと境界がきまっているものではありません。曖昧で、範囲が変化したりすることも、珍しいことではありません。
 とりわけ巣鴨町は、もともと巣鴨村から分岐して発生したあたらしい町で、<都市的なもの>と<ムラ的なもの>が混じり合っている町です。たとえば、巣鴨町のクミは、おそらく村落的なクミだったのでしょうが、巣鴨町の実態は流動的な都市社会ですから、クミの範囲もおおきく変化しがちだろうと推測しているわけです(……といいつつわたし自身がこの説明に納得したわけではありませんが)。
 ただ一般的に、巣鴨町を含む江戸場末町の社会を考えるうえで、ムラ・マチの両方を考える視点は必要だろうと思います。

投稿: 高尾 | 2006/01/18 15:14

度々申し訳ありません。2点質問があります。
1.中山道分間延絵図について
この絵図には、現在の地蔵通りの様子もあります。そこでは、上組、上中組等が木戸はもちろんのこと、水路のようなもので区切られている様子が描かれているのです。考古学調査等の結果から、上組等を区切る境目は発見されたのでしょうか。

2.土地所有関係について
軒別絵図には、上組が最も家持が少ないという結果になっておりましたが、現在はそうではないようです。その土地所有関係がどのように変わっていったのか、特に明治期の様子等が分かる資料など、ご存じでしたら教えて頂けないでしょうか。
以上、宜しくお願い致します。

投稿: ukese | 2006/02/16 16:35

1について。仰るように分間絵図については、ある程度実地の様子を踏まえているとされていますので、参考になると思います。考古学の成果は、組の区切れ目に関していえば、あまり芳しくありません。

2について。現在の巣鴨については詳しくないのですが、わたしも聞き取りをしてまわった感触では、戦災で一度大きく住民が入れ替わっているようです。江戸時代からの住民の方もいらっしゃいますが、現在の所有関係から当時の有様を復元するのは難しいかと思います。明治時代初期については、東京六代区沽券絵図が所有関係を示す史料ですが、それ以降というと難しいかと思います。町の景観というのなら、仰高小学校の記念誌に昭和初期の様子があったと記憶しています。
発掘調査報告書「巣鴨町」シリーズ各冊を眺めれば、地図・絵図すべてを概観することができる筈ですので参照してみては如何でしょう。

投稿: 高尾 | 2006/02/16 17:40

お忙しいところ、ありがとうございました。もっと早い段階でいろいろと先生にお話をお伺いすればよかったと、つくづく後悔しております。ですが、知れば知るほど複雑で、でも面白いなと思います。また何かありましたらご質問させて頂くと思いますが、よろしくお願い致します。

投稿: ukese | 2006/02/16 18:13

今度公文書館にいらしてください。直接お話したほうが話がはやいと思いますので。まえもって電話でご連絡ください。

投稿: 高尾 | 2006/02/16 23:30

「上組・中組・下組」はなんと読むのでしょうか?
うえぐみ・かみぐみ、したぐみ・しもぐみ?
点字文書で地名を書きますが読み方が判りません。
ご多用中恐縮ですがご教示下さい

投稿: Shimohori | 2007/02/10 09:12

カミグミ・ナカグミ・シモグミと、わたしは発音しています。

投稿: 高尾 | 2007/02/10 16:51

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