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2006/01/30

(史料)江戸から故郷へ緊急報告―故郷へとばす摺物(かわら版)―

 文久2年(1862)7月ごろ、江戸ではたいへんな麻疹病が蔓延していました。安政のコロリ流行以来の大流行で死人も数多く出ていたようで、当時の諸記録にさかんに登場します。
 このとき偶々、武蔵国三保谷宿名主の田中三左衛門が所用で江戸に出府していました。そのとき彼は江戸の麻疹の惨状をみて仰天し、三左衛門の故郷にすむ鈴木久兵衛に送った書簡の写が、鈴木家文書の「御用留」という史料に残っています(埼玉県立文書館)。

(史料A)
手紙をもって啓上し仕り候、時下残暑の砌御座候処、いよいよ御清勤、泰賀し奉り候、然は此節世上一般麻疹病流行の処、なかには仮初の事に心得、不養生いたし、終(つい)には一命にもおよひ候者も少なからざる由、これにより御府内名家の医師え承り候ところ、養生有増認め遣わされ候間、自分ばかり心得居り候も不本意に付、せめては当堤内村々だけも告げ知らせたく存じ、別紙の通養生心得書、摺物にいたし差上候間、何とも御手数には存じ候えども、片時も早く御組合御村々小前の衆まで行届に相成候様御配慮願い上げ奉り候、尤もそれぞれ御手抜もこれあるまじく候得共、存じ付き候事ゆえ、失敬を顧みず申し上げ奉り候、何とぞしかるべき様、御取計いの程、ひとえに希(ねが)い奉り候、以上
(文久二年)七月廿三日  田中三左衛門
 鈴木久兵衛
右の通三保谷宿名主三左衛門心付を以申越候に付、早々上狢村・平沼村・中山村・白井沼村・紫竹村・当村、右六ヶ村え摺物配布いたし候、

 この三左衛門の言を纏めると以下のようになります。
 ①世上に麻疹病が流行しているが不養生していては命に関わる。②江戸の名医から養生のあらましの情報を得た。③自分だけがそれを知っているということも不本意である。せめて「当堤内村々」(川島堤の内にある村々)だけでも知らせてやりたい。④別紙のように養生書を摺物(かわら版)に仕立てたので、小前百姓(一般の百姓)にまで行き届くよう御配慮頂きたい。

 興味深いことに、このときの摺物の現物が、鈴木家文書「御用留」の中に綴じ込まれていました(史料B)。これは三左衛門が江戸で自費出版したものでしょう。江戸における流行病を目前にみた彼は、必死の思いでこの摺物を田舎に緊急に送付したのです。

(史料B)
はしか病者養生心得

 大きんもつ
魚るい 鳥るい ひや水 酒のるい 海草るい 貝るい いもるい うりのるい かしるい さとう類 なのるい なめもの類 しんつけ類 つみ草るい ねぎの類 せりのるい むかぎ 大豆 ほしのり とうなす わらび すいか こんにやく いだまめ かき  竹の子 はすの根 とうふ しゐたけ わさび らつきやう なし ところてん くだもの類 ふき うど 茶 ゆ水にて顔手足抔あらう事無用 右の外第一おそるべきハ、男女交合 ねびい 夜あるき うす着 うなぎ なまず どぜう めんるい あぶらけ 灸治 もちるい 梅ほし
……略……
   たべてよきもの
たくあんつけ しら玉 かつほぶし みそづけ くろまめ かんひやう とうがん いんげん さつまいも くわゐ むぎめし あづき あめ 道明寺 しんこもち やきふ 長いも にんじん 大こん かぶ はにんじん でんぶ ゆり しゞミ汁 かれい あわび
……略……
 文久二壬戌年七月

 ここでは麻疹に関わる食べてよい物・食べてわるい物・忌むべき行為などが記されています。小前百姓(一般の百姓)に配布することを意識してか、平仮名が数多く使われています。
 この摺物には、「魚るい」「鳥るい」は食べてはいけない、「たくあんつけ」「しら玉」は食べてよし、などといろいろ書いてありますが、おそらく医学的根拠は全くないでしょう。しかし当時のひとは必死です。三左衛門はふるさとのひとの命を救うべく、必死でこの情報を田舎に知らせたのです。電話も携帯電話もない時代の情報伝達です。

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コメント

「右の外第一おそるべきハ、男女交合」には大笑いしました。(でも,はしか予防にはなるかもしれませんね)
次の「ねびい」は「寝冷え」のことでしょうか?

それにしても対応する史料A,Bがあるのは面白いです。

投稿: nm | 2006/02/01 18:30

並び方でいうとそうなるのでしょう。当時麻疹絵というのがあり、これと同じように、病気に関する情報がならべてあります。

投稿: 高尾 | 2006/02/01 20:56

はじめまして♪

「日本ブログ大賞」の「ホビー部門」に「ツイてる♪ツイてる♪ありがとう♪」というブログでエントリーしております「うどん小僧」です♪

昭和初期、私の曽祖父はコロリでコロッと逝きました。
そのとき、遠く離れた地に夫婦で暮らしていた曽祖父の息子である私の祖父の夢枕に、曽祖父が立ったそうです。
そばで寝ていた祖母が真っ青な顔をして飛び起きた祖父に「どうしたの?」と尋ねたところ、「親父がそこにいた」と言ったそうです。
あとで分かったことですが、祖父が曽祖父を見た時刻は、曽祖父が息を引き取った時刻と一致していたそうです。

妙な話を長々としてしまいました。

ブログ大賞、1票入れさせていただきますね♪

投稿: うどん小僧 | 2006/02/08 19:21

 麻疹は昔は恐れられた疾患で「いのちさだめ」とも言われたと聞いたことを思い出しました。伝染性疾患でもありますしさぞや恐れられたことでしょう。
 しかしもっと恐れるべきじゃなかったのだろうかと思われる天然痘が「きりょうさだめ」と言われていたということには合点がいきませんでした。

 天然痘による死亡者より麻疹による死亡者の方が多かったのでしょうか? 江戸時代の厚生白書というものでもあればと思いました。

投稿: 傘屋 | 2006/02/09 12:58

写真や絵にもあるように、顔にぶつぶつがあるひとは多かったようですが、死亡率、さて、どうなのでしょう。ちゃんと史料をみてみないとよくわかりませんが…。

投稿: 高尾 | 2006/02/10 09:33

うどん小僧さんへ

そうですか。実は31歳で死去したわたしの曽祖父にも、似たような話があるんですよ。怪談というより、ロマンチックな話と解釈しています。

投稿: 高尾 | 2006/02/10 09:36

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