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2005/09/02

(世相)「クールビズは子どもの教育に有害です」?

・意気盛んな広告 先日の新聞の朝刊をひらいてみたら、大見出し格くらいの大文字でこんな文章が派手におどっていた。そこにはこうある。

 クールビズは子どもの教育に有害です。

 選挙がちかいから政見広告なのかと思ったが、公示前であるからそうではない。この文字に続いて「全寮制の××は、日本の歴史と伝統を踏まえ、「形・姿を正した」教育を行います」とある。はたして××中学校の新聞広告であった。
 それにしても、……上は内閣総理大臣から下はわたしのような小役人まで、世の中はクールビズ一色である。そんな世を〝転覆〟せんと「有害です」とあっけなく断言しきるその意気たるや、頼朝の蛭ヶ小島の旗にも似ていて壮たるものがある。その意気のまえには最早説の当否なぞ小事であって、ここはひとまず拍手をおくるのが礼儀ではなかろうか。だからこの説の是非については触れないことにする。別に中学校の固有名詞はどうでもいいからいちおう伏せ字にしておく。この校は東京大学に進学するほどの優秀な人材を輩出していて、まことにけっこうな学校なのである。

・不思議な説明不足 しかしこの××中学校のために惜しむらくは、新聞片側紙面の全部を派手に使って多額の広告費を散財したわりには、クールビズが何故有害なのか、前述の「日本の歴史と伝統」云々という説明以外はまったく理由が示されていないことである。
 周知のように日本におけるネクタイ文化の歴史はあさく、それ自体が「日本の歴史と伝統」を有しているわけではない。ネクタイの紐というカタチは措くとして、「形・姿を正し」て礼節を弁えるということが「日本の歴史と伝統」であるという主張なのだろう。そうであるにしても、クールビズは「部屋の温度を下げるかわりにノー・ネクタイにしましょう」という趣旨のものである。その効果のほどは疑問だが、環境問題の宣伝ということに一役買っているのは事実である。まさか××中学校は「環境への配慮はわが校の教育の範疇に非ず」といいたいわけではないだろう。しかし説明不足である以上、そう勘ぐられても仕方のない広告であって、教育施設なのだから、とりわけ言葉を尽すべきであろう。そしてもし仮にクールビズが教育に「有害」だったとしても、ほかにもっと「有害」なことがこの世の中にたくさんある。それなのに何故ここでクールビズだけが標的になるのか、それも不可解である。
 広告に過剰な説明はむしろ宣伝に邪魔であることくらい、わたしにもわかる。しかし過激な広告を出したのだから、それだけにその理由を説明するのがふつうではなかろうか。繰り返すが、ここでわたしが問題にしたいのはあくまで校の説の是非でなく、①大きな広告なのに説明不足、②過激な内容なのに説明不足、③教育施設なのに説明不足、という不思議なアンバランスについてである。何か深淵な考えがあるのかどうなのかも窺うことすら許されず、いきなり戸をぴしゃりと閉められたような感じがした。これは昨今の生徒が「あの先公(先生)、ムカツクから」と一言で「説明」(?)を終わりにすることと同じである。
 何故「クールビズは子どもの教育に有害」か、その理由をくわしく拝聴してからでないと、その是非を考えることはできない。教育はあくまでコトバであると信じたい。犬養毅も「話せばわかる」と遺言したが、それも確かに「日本の歴史と伝統」のうちではないだろうか。

・「日本の歴史と伝統」とは さて、わたしはかくも聖人君子な××中学校の先生方とは正反対な性格で、恥ずかしいばかりの俗悪だから、何故男の頸にネクタイなる紐がぶら下がっておるのか常々疑問であった。
 ―ジタバタせずに女房に従容として差し出す首輪のつもりか、くちのまわりのケチャップを拭うハンカチの代用品のつもりか、将又(はたまた)酒席で鉢巻きにする紐か。偶然通りかかった百貨店のネクタイ売り場では必死に「ネクタイは男の唯一のおしゃれです」と連呼していた。そのような光景をみると、女性の服のおしゃれとくらべ、男性のネクタイの寂しさは隠すべくもないように思える。
 そこで、先の××中学校の「日本の歴史と伝統」でいえば、いっそのこと和服で会社や学校に通うというのはどうだろうか。とりわけ裃という着物がある。「遠山の金さん」が着ているあれである。幸いなことに我が家には江戸時代の先祖がつかったとされる裃が所蔵されているから、これを着てゆけば××中学校の先生にお褒めにあずかるかもしれない。ネクタイなんかよりよほどかっこいいだろう。べつに××中学校を揶揄しているわけではない。夏の銀行窓口の女性も浴衣で応対しているくらいだから突飛な考えつきでもない。むしろ和服出勤は新鮮で、外国人と応対するときも「samurai!」と案外相手から喜ばれることがあるかもしれない。
 「日本の歴史」専攻であるわたしの考える「日本の歴史と伝統」とは、××中学校の説のような意気盛んなものではなく、あくまでこのような軽い考えのものである。

(追記) 「クールビズは「部屋の温度を下げるかわりにノー・ネクタイにしましょう」という趣旨のものである。その効果のほどは疑問だが、環境問題の宣伝ということに一役買っているのは事実である」とかきましたが、そののちこんな記事。

クールビズ成果、東電で7000万kw時の電力減
 東京電力は8日、夏の軽装化運動「クールビズ」で、6~8月の販売電力量が計7000万キロ・ワット時減り、発電時などに発生する二酸化炭素(CO2)の排出を約2万7000トン削減できたと発表した。東電にとっては、7億円の減収になったが、地球環境に配慮する狙いで始まった軽装化運動が一応の成果を収めたことを裏付けた。……
(2005年9月8日19時44分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20050908i412.htm

 無駄ではなかったのです。「環境問題には有益であった」わけです。(2005.9.9追記)

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コメント

やや論点はズレますが、そもそもクールビズ自体がどういうものなのか、という点にも問題はあります。
もう既に各方面において指摘されて久しいことだろうとは思いますが、クールビズの建前は地球温暖化防止という人類の大きな課題に根ざした崇高なものですが、その内実はというと小泉政権に賛成か、否か、という単なるレッテルに過ぎません。すなわち、「アイツはクールビズではないから、敵対勢力だ」ということです。それに奥田さんをはじめとする各界が尻馬に乗っかった、ということと聞いております。(勿論、僕自身はそれを小泉政権に批判的なソースから得ているので割り切って判断する必要はありますが…)
勿論、各界がクールビズで賛同している現在、かかる広告はインパクトが大きいとは思います。ですが、そもそもクールビズ自体が噛み付くほどの大した現象なのかどうか、という吟味が欠けている点も僕は疑問です。
××中学がどこかは僕は新聞を読んでいないので存じ上げませんが、「クールビズ」にしろ「日本の歴史と伝統」にしろ、何かインパクト重視で大上段に構えすぎて、足元が疎かになっている印象が無くもありません。かかる、インパクト重視で足元の議論が疎か、というのはそれこそ政治に代表される昨今の世相を反映しているものとも思えますが…
高尾さんのされた議論とは異なるので、ここにコメントとして提示すべきではありませんが…すいません(汗)

投稿: ギエぽん | 2005/09/02 11:01

 ××中学校には失礼ですが、この広告にはむかし町内にいた頑固親父のイメージがあります。ギエぽんくんのように「クールビズ自体が噛み付くほどの大した現象なのかどうか」と疑問をもつひとが圧倒的多数なようで、この広告に言及したいろいろなブログをみてみると、かなり否定的意見が多いことがわかります。
 ただ、もし××中学校のために弁護するのなら、この広告は「これくらい厳しくしないと大人の不行儀もなおらないぞ」というメッセージにもとれるわけです。たしかに大人のタバコのポイ捨てなど、ひどいでしょう? それならそれで、理由として理解できなくもないと思うのです。しかし、さきの記事内にくりかえし書いたように、ちゃんとした説明がほしかったなあと思いますね。わたしはこれをまず問題にしました。

投稿: 高尾 | 2005/09/02 15:04

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