(論文)わたしの処女作と『麻雀放浪記』
・処女論文 わたしの処女論文は学部卒業論文ではありません。
わたしは大学時代「立正大学古文書研究会」という学部サークルに所属していました。「ひとのいやがるコモンジョに入っていくよな馬鹿もいる」というひともいたくらい、立正大学では怪しげでつらいといわれたサークルでした。
毎年茨城県筑波郡谷和原村川崎(江戸時代は下総国相馬郡川崎村、常陸国土浦藩領)という在所をたずねて史料をお借りし、ちかくの合宿所にそれを車で持ち込んで共同調査をしていました。米や野菜を持ち込む自炊です。夏は暑くて冬は寒く、遅寝・早起きを義務づけられた過酷な合宿でした。毎日女子部員の誰かが病気でたおれるということもありました(現在の古文書研究会はそんな活動はしていないと思います)。
この研究会で大学3年生のときに書いた調査報告書がわたしの処女論文。平成七年度調査報告書『文化文政期における村方騒動と村入用―下総国相馬郡川崎村の事例―』(立正大学古文書研究会)です。仲間4人での分担執筆でした。わたしの執筆分担は第1章で24頁分でした。―慢性的困窮にある川崎村が膨らみつつある村入用費管理の改革をしていくという話でした。このときの研究成果は茨城県谷和原村の村史『谷和原村の歴史』にも多く引用されることになります。
同報告書の「編集後記」にはこうあります(この箇所もわたしの筆による)。
北風の冷たい二月となった。拙い報告書ではあるが、我々なりに頑張ってきたと思う。はじめのうちで一番苦労したことは、史料が少ないということだった。年六回ある限られた合宿のうちに、使用すべき史料を見つけて、それを筆写しなくてはならない。史料が少ない分だけゆっくりもしていられなかった。夏の第三回合宿の頃からだんだん史料が揃い始め、一応報告書としてカタチにはなりそうな状況となった。最初は見通しのきかない活動だったので、先輩方々にはいろいろと御心配をおかけしてしまった。御詫び申し上げたい。今年度は、阪神大震災やオウム事件と重大な事件が多かったけれども、われわれは大学時代のいい想い出をつくることができた。(後略)
この文章にあるようにこの年度は阪神大震災・オウム事件の年度だったのです。そうするといまから10年くらい前になるのでしょうか。先輩や仲間と喧嘩しながらつくった青春の証であり、研究人としての第一歩をしるした報告書です(懐かしいのですが、しかし大学を卒業してまだ7年しかたっていないことがわかって、今更ながら驚きです)。
・村入用用途への疑念 文化11年(1814)、この川崎村の百姓たちが、村入用費の管理維持について、名主(村長)にたいして疑いをもちかけます。村入用とは村運営に関する諸費のことで、当時何処の村でも膨らんでいく村入用の処置が問題になっていました。
百姓たちは「名主が村入用を横領しているんじゃないか」(「村方見掠不実」)といいます。名主は疑いをかけられたまま文政4年(1821)に名主を退役しますが、ほんとうに横領したのかどうかまではわかりません。しかし名主がそんな酷いことをしていたとは思えませんから、名主の既得権益を奪おうとする百姓たちの駆け引きだった可能性もあります。何処の村でも「村方見掠不実」というのがキャッチフレーズのようによく使われていたのです。たとえば百姓からの訴状の条文にこういうものがあります。
土浦町色川屋三郎兵衛方ニて筆紙代として壱ヶ年ニ金弐両つゝ割合取立候得共、年々弐両つゝ定式ニ相懸り義難心得奉存候……
「土浦町色川屋三郎兵衛にて、村の公用で使う筆紙代を1ヶ年に金2両も取り立てているけれど、年々きまって2両もかかるなんて、おかしいんじゃないの?」
川崎村の筆紙代は土浦町色川屋三郎兵衛が用立てていたことがわかります (たぶんここでいう筆紙代とは単に筆紙のお金だけでなく、土浦城下での公用でかかる諸費用あわせてのことでしょう)。ここでつかうお金の多さを百姓たちは問題にしています。江戸時代の会計監査といったところでしょうか。
・色川屋三郎兵衛と『麻雀放浪記』 さて話はかわりますが、この常陸国土浦城下にすむ色川屋三郎兵衛家は、このように訴状に出てくるので、学生時代にちょっと調べたのですが、けっこう著名な家であることがわかりました。幕末になると色川三中(みなか)・色川御蔭(おかげ)と兄弟で学者を輩出します。三中は国史・古典研究に秀でて本草学者としても著名。中井信彦『色川三中の研究』という研究書もあってときどき古本屋に出ます。御蔭は国学・蘭学・和歌に秀でていました。この御蔭のひ孫さんが色川武大(たけひろ)さんです。既に故人ですがそんな先祖からの血をうけてか小説家でした。純文学を書くときは本名で、麻雀小説を書くときは「阿佐田哲也」というペンネームです。『麻雀放浪記』などの著作があります。下手な麻雀をうっていた学生時代のわたしは、たまたま古文書から出てきた『麻雀放浪記』のご先祖さまに、ちょっと不思議な感じをうけたのでした。
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