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2005/08/19

(戦後60年)〝凡下〟ということ

 小泉総理の靖国神社参拝問題については、総理が参拝しなかったということもあってか、国内ではいちぶの騒ぎを除いては(ほかの閣僚などが参拝しましたが)空蝉(うつせみ)のように静かに過ぎてゆきました。
 日本という国はおもしろくて、政府は「靖国の英霊」というわりには何故だか各地で戦没された兵士の方々のお骨も拾わないし、拾ってきてもDNA鑑定すら積極的にやろうともしません。したがって政府の本音としては案外英霊はどうでもよいのかもしれず、靖国神社はたぶんに政争の具として扱われているに過ぎないのでしょう。総理が選挙対策のために参拝しなかったということもそのことを裏付けています。
 それはさておき、靖国神社自体は日本特有のひとつの価値観のかたまりに過ぎません。世界で通用する普遍的なものではありませんから、たとえば中国は怒っています。こういう問題に接していると、人間の命の重たさというのはどれも平等ではないのだという平凡な事実について再認識せざるを得ません。

 ひとつには、自分自身に近しければ近しいほど、人間の命は重たくなっていく筈でしょう。たとえば海外で何か事故がおきると、テレビのニュースはきまって「日本人の乗客にけがはありませんでした」というコメントをつけます。もしも不幸にして海外で日本人が亡くなれば、漠然とおおごとだと感じるでしょう。さらにそれが自分の属している町内会の住人なら「香典でももっていこうか」という気持ちになるし、はたまた死人が自分の親戚ともなれば、なおのこと悲嘆にくれることでしょう。ところが自分にまったくかかわりあいのない、名前もきいたことのない国々の方々が亡くなっても、「お気の毒に」と思うこそすれ、それ以上の感慨はどうしてもおきないかもしれない。
 もうひとつには、お金の多寡も人間の命の軽重をきめます。アメリカでの9・11同時多発テロでの犠牲者は、アメリカ人およびアメリカに繋がる富裕な資本主義国で働く人たちでした。いわばお金持ちが死んだわけですが、資本主義社会にとってお金持ちが死ぬことほど理不尽な事態はない。なぜなら資本主義社会のルールではお金は命さえ買えるからです。医者に大金をもってゆけば癌でも適切な治療をしてくれますが、いっぽうお金のないひとたちは適切な治療もないままに路傍に死んでゆくだけです。このルールを打ち崩したテロはけっして許せないということになるから、やはり同じようにお金をつかってテロを支援する国家を潰さねばならないという理屈になる。いっぽうお金持ちでない国々のひとは、いくら死んでもあまり問題視されないから、アメリカ軍の誤爆での犠牲者のお名前は9・11の犠牲者ほどには記憶されることはないでしょう。
 何処の国にうまれたか、あるいは貧富何れかというのは、偶然のいたずらにすぎないことが多いので、その意味では地球上何処に生きている人間も命の軽重に大差はない筈ですが、しかし実際にはそうはなっておりません。悲しいかな、わたしたちはかくも矛盾したこの現実に生きていて、かつ生きざるを得ないわけです。

 この命の軽重の矛盾についてみなさんは口に出しませんけども(わたしは馬鹿正直だからいってしまうけれども)、たいへん愚かなことだとは気づいています。その意味で根源的に人間は愚かな動物である。もっともここでいう「愚か」とはバカの意ではありません。仏教で〝凡下〟という便利な言葉があるから、そこから借用してそう言い換えたほうがいいかもしれません。
 しかし一般的に人間はその〝凡下〟のままでいいとは考えていません。ナショナリズムや経済格差を克服して〝凡下〟をのりこえようという試みがあるし、使い古された言葉ですがおもいやりや礼譲ということによっても〝凡下〟を包み込もうとしています。その努力や考えがあったればこそ人間は人間たりうる存在になるのでしょうし、それが人間のこれからの歴史の趨勢でしょう。
 しかし残念ながら人間はときどき「〝凡下〟のままでいい」と頑固にあぐらをかいて動かない場合があるらしい。そこで冒頭の靖国神社のはなしにもどりますが、この問題についてもそれと同じにおいがする。誤解がないようにいっておきますが、わたしは死者をいたみ戦争の犠牲者の方々をとむらうこと自体を否定しているわけではありません。ただ、弔いが国単位で閉じこもっているのは、先に述べた「日本人の乗客にけがはありませんでした」というふうな〝凡下〟さがある、ということを表現したいに過ぎません。

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