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2005/07/31

(教育)学力崩壊

 学力崩壊の論議が喧しい昨今ですが、かくまでに暇人が多いものかと驚きを隠せません。
 むろん暇が多いということ自体は慶賀すべきことかもしれませんが、学力崩壊を嘆く暇があったら、道路におちているたばこの吸い殻一本でもひろって頂きたい。「学力をもっている」良識ある大人が道路にたばこの吸い殻を落とすなど、学力崩壊よりもよほどゆゆしき問題ではないか。
 おとな諸君。
 「暇人」とよばれて悔しかったら中学校のテストでも解いてみなさい。

 世の中はおとなが支配しているのだから、おとなの学力崩壊が社会問題になる筈がありません。おとなになったらおとなであるが故にテストされる機会なんかありません。試しに中学校のテスト用紙をおとなの前にもっていってご覧なさい。きっとそのおとなに「失礼だろう、キミ!」と一喝されることでしょう。実はこの世で一番謎なのはおとなのアタマの中なのではないでしょうか。おとなが自分自身のアタマの中を点検しようとするのはおとなにとって自殺行為にも等しいことでしょう。
 学力崩壊ということを言い出したのはどうせ先生連中でしょう。もっと大きな問題が転がっていないだろうか。そもそもおとなはむかしは子どもだったくせに生意気じゃないか。

 義務教育の知識といっても記憶の彼方にいっていることが多いでしょう。人間は動物の中でいちばん頭がいいといっても、たいていはすぐに忘れてしまう。先日も妻と以下のような会話。

○妻「地震って最初に小さく揺れるわよね」
○わたし「そう。地震にはP波とS波っていうのがあって、最初にP波っていうのがくるんだよ。P波とS波っていうのは……」(と、いろいろ説明する)
○妻「また難しそうなことをいって!」(と、怒る)
○わたし「い、いや別に……、難しそうなじゃなくて……、中学校でふつうに習ったヨ???」

 おそらくこういうことはふつうにあるのではないでしょうか。中学校で習う知識はすでにおとな社会においては珍奇な知識として扱われています。先日も市役所の役人の方が「非常勤」の「勤」の漢字が書けずに往生していらっしゃったのをみました。子どもの学力崩壊以上に問題なことは、おとなになってから急に勉強を放棄するひとが多いことでしょう。勿論かくいうわたし自身だって、(常人以上に)忘却することが多いから、日々勉強しなければならないわけです。
 ちょっと横道に逸れますが、文部科学省の義務教育の定義というのも、よくわかりませんね。そこでの議論は、円周率を何処まで教えるかなど、変に些細なことばかりで、おおきなコンセプト(概念)についてあまり問題になっている形跡がない。たとえば実際社会に出てみると学校で習わない大事な知識が沢山ある。わたしなぞは「これを学校で教えて欲しかったのに」、そう慨嘆する場面が数限りなくありますが、それでほんとうにいいのでしょうか。

 さて、学校で「異様に」(とわたしはみえる)お勉強ができたあのクラスの仲間たちは、いまどうしていることやら。
 わたしは勉強ができませんでした。どういうわけか先生に黒板にかいて説明してもらってもさっぱり理解できず、先生にも仲間にも嘲笑されていました。だから中学校までは母親に勉強の多くを教わっていたのですが、しかしそのおかげで(?)、岩波ジュニア新書やら学習漫画やらで一生懸命いまだに勉強しています。むしろ子どもの頃勉強ができなかったほうが、勉強にたいする恐怖心が植え付けられているから、勉強にたいするやる気が長続きするのではないかと思っています(これはわたしだけに通用する理屈でしょうか)。 

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