« (史料)居眠りの愉楽 | トップページ | (子ども)身体髪膚これを父母に受く »

2005/06/18

(名前)命名するということ

 わたしの名前は善希といいますが、「善」の字は江戸時代からの世襲です。大した家柄ではありませんが、惰性で同じ字が歴代続いてしまったらしい。
 わたしの長男も「善」の字がつきます。彼の名前を考えたのはわたしですが、名前を決めるのが面倒だったから、とりあえず「善」を冠にし、その後ろにあまり意味のない文字をひとつつけた。あまり子どもの名前にこだわりません。これは子どもへの愛情とは無関係なことです。
 したがって、このような「どうせ名前なんて記号と同じだ」という極めて素っ気ない考え方に立てば、世襲の名前は結構便利かもしれないのです。ちなみに、次男の名前の場合は「善」の字はつきません。女房が考えてくれた名前ですが、どういう由来だったか思い出せません。それは女房もわたしと考え方は似ていて無造作につけてくれたからです。
 しかし昨今では凝った名前をつける親御さんが多くて驚かされます。親の愛情のあまり読ませ字が多く、名前の読み方がわからないものもあります。ただそれらは人知のおよぶ限りに考えに考え尽くしたものらしく、アイデア性に富み、「なるほど」と感心してしまうものばかりです。これは〝命名のプライベート化〟とよぶべきことかもしれません。
 それでもわたしの場合は、息子なんかにいい名前は勿体ないから、新種の昆虫の学名くらいに機械的でわかりやすいものが丁度よいだろう、と考えています。

 そんなわたしでもちょっとこころ動かされる名前がありました。
 それは松尾芭蕉「おくのほそ道」にあります。芭蕉が下野国那須野に通りかかる場面です。

   那須野
……雨降り日暮るる。……野飼の馬あり。草苅るおのこになげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず、「いかゞすべきや。されども此の野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷き旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此の馬のとゞまる所にて馬を返し給へ」と、かし侍りぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したいひてはしる。独りは小姫にて、名をかさねと云ふ。聞きなれぬ名のやさしかりければ、
   かさねとは八重撫子の名成るべし 曽良
頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付けて馬を返しぬ。

   (久富哲雄訳)
……雨が降り出し、日も暮れてしまった。……野飼いの馬がいた。そばで草を刈っている男に近寄って嘆願したところ、田舎者ではあるけれども、やはり人情を知らないわけではなく、「どうしたらよいかなあ。案内してあげるわけにもいきませんが、とは言っても、この那須野は道がむやみやたらに分かれていて、この土地に慣れない旅人はきっと道をまちがえるでしょう。それが心配ですから、この馬に乗って行って、馬が止まった所で、馬を帰してください」と言って、馬を貸してくれた。小さい子供が二人、馬の跡について走って来る。一人は小娘で、聞いてみると、名前を「かさね」という。聞きなれない名前が、いかにも優雅に感じられたので、 「かわいらしい子供はよくなでしこにたとえられるが、この小娘は「かさね」という名前だそうだから、なでしこならば花びらの重なり合った八重撫子の名であろう。曽良」 まもなく人家のある村里に着いたので、馬の借り賃を鞍壺に結びつけて、馬を帰した。(久富哲雄全訳注『おくのほそ道』講談社学術文庫452、1980)

 わたしはこの文章が何処となくゆかしく思えて、「女の子がうまれたら『かさね』にしよう」と考えていました。
 ところが「『かさね』とは怪談の幽霊の名前ではないか」とひとから指摘され、それもそうかと急に熱がさめてしまった。しかも結局女の子もうまれなかったのです。
 それで「世の中はうまくはいかないもんだ」とこちらが「恨めしく」思ったものです。

| |

« (史料)居眠りの愉楽 | トップページ | (子ども)身体髪膚これを父母に受く »

コメント

「かさね」って、『真景・累ヶ淵』の殺された娘ですよね。下総絹川を舞台にした助→累→菊の転生怪談。この彼女らの怨霊は、例の祐天上人が鎮めたといわれてるそうです。
祐天上人は綱吉の頃の人だから、芭蕉と時代が重なってるはずですよね。芭蕉や曽良は怪談の方の「かさね」は知っていたんでしょうか? あの話は、一昔前には「お岩さん」並に有名なものだったと思うんだけど、当時はまだそんなポピュラーではなかったのかな?
どうでもいいことですが、ちょっと気になったもので。 

投稿: 弓木 | 2005/06/18 22:01

はなしが流行った時期がずれているわけでしょう。怪談話が流行るのは江戸時代もうしろの方です。

さて、世の中の何処かに、「かさね」さんがいるかもしれないので一言。いまのわたしの考えでは(曽良の心象風景も捨てがたいかな…)と思っています。やはり幽霊の名前だなんて気にすることはありません。「月日をかさねる」=「長寿」で縁起がよいともいえる。そして「不幸」は怪談話のかさねが背負ってくれました。こう考えればどうでしょう。

投稿: 高尾 | 2005/06/18 22:10

私は、父がやはり松尾芭蕉の『奥の細道』から「かさね」という名前に惹かれてそのまま(ひらがなで)命名されました。同時に怪談話の方も知っていたのですが、ひらがなで付けられたので芭蕉の方の「かさね」と思っています・・・。
この名前は今まででもう2人くらいは聞いたことがあるでしょうか・・当て字のような漢字の方もいらっしゃいますが、ひらがなで付けられてよかった・・感想までです・・。

投稿: かさね | 2006/03/21 20:48

はじめまして、かさねさん。上記のコメント欄で全国の「かさね」さんをフォローしておいてよかった…(というより当然の礼儀というべきか)。インターネットはおもしろいですが、一面、こわいですね。
もちろん幽霊云々なんて気にすることはないですよ。ほんとうにいいお名前だとおもいます。どんな名前をつけたって何らかの憚りはあるもので。それに大切なのはつけた親のこころなんですよね。

投稿: 高尾 | 2006/03/21 23:18

すごく前の記事のようですが
気になったのでコメントします。

はじめまして(*´∀`*)ノノ゛
わたしも「かさね」と言います♪

父が松尾芭蕉の「かさね」という名前を気に入ったらしく
昔から女の子が生まれたらこの名前をつけようと
考えていたようです♪

漢字では「香実」と書き
私はこの名前をとても気に入り誇りに思っています(`・ω・´)

投稿: かさね | 2010/04/21 15:57

なるほど。いいお名前です。お父さんと一緒の発想で、わたしもうれしく思えました。有難う御座います。

投稿: 高尾 | 2010/04/22 15:46

私も「かさね」です。みなさんと同じく「奥の細道を読んだ父から命名されました。
同じ名前の人が世の中にこんなにいるとは、驚き半分、うれしさ半分、というか、ぶっちゃけくやしさ半分です。
幽霊の話はまったく知りませんでした。知らなかったことにします。

投稿: かさね3 | 2010/05/15 01:19

 「かさね」(18歳)の父親です。私の初任地・福島で生を受けた娘なので、この名前以外に考えられませんでした。
 いい響きでしょ。
 全国の「かさね」さんを集める企画を福島県でやれば面白いのになぁなどと思っています。

投稿: かさねの父親 | 2011/04/27 18:45

私も、かさねと言います。
学生時代はこの名前で、ずいぶん苦労しましたよ。
新学期のたびに先生は何度も聞きなおすので、うんざりでした。
高校時代のクラブの顧問の先生は3年間ずっと、さかね、と言い続け、卒業証書にもふりがなが打ってありました。
私はひらがなではなく、彩、と書いて、かさね、でしたので。

でも、結婚して思いました。
名字と言うものは味気ない、
そんなもの、いらないや、って。
私は、この、かさね、と言う名前で十分なのだと。

あの記述意外に、その後の少女のことはわからないのですか?その後をしりたいなあ、と最近思って。

それから、私も、全国のかさねさんに会いたいですね。


投稿: かさね37 | 2011/05/06 09:49

かさねの父親さん>それはいいですね。やっぱりわたしと同じ考えのひとがいるのですね。

投稿: 高尾 | 2011/05/10 18:58

かさね37さん>ありがとうございます。少女のその後についてはさすがにわからないと思います。

投稿: 高尾 | 2011/05/10 19:00

何気なく自分の名前を検索してココにたどり着きビックリしました!
私以外にも同じ理由で名前をつけられ、しかも同じ字を使ってる人が存在したんですね♪
私の父の場合は八重撫子と書いて『かさね』で出生届出そうとして通らず『香実』にしたそうです。
今まで40年生きて来て一回で名前を読めた人は居ませんでした!
他の方もコメントしてましたがアカネやサカネと言われるのはしょっちゅう…。
珍しいので本名では絶対に水商売も出来ませんでしたね(≧∇≦)
同じ名前の方には是非とも会いたいです!

投稿: 私もかさね『香実』 | 2011/06/25 21:49

うむむ。結構かさねさん多いんですね。このコメント欄大盛況…。「香実」、かわいいお名前ですね。これもいいなあ。

投稿: 高尾 | 2011/07/04 00:08

祐天上人の<累>の除霊話が有名になっているのを職業上世間の機微に通じている同時代の芭蕉が知らないはずがないでしょう。
それを曽良の句を通じて、少女時代の<累>を<八重撫子>のようにイメージアップし、読者の共感を呼ぼうとした芭蕉の苦心作が「那須」の話と思っておりますがいかがなものでしょうか。お尋ねいたします。尚この疑問は横光利一の『芭蕉と灰野』から感じました。

投稿: 柘植 隆 | 2020/08/04 17:17

松尾芭蕉のかさねに惹かれて同じことを考えていた人がこれほどいたとは!
私も、まだ高校生ですがもし将来娘ができたら'かさね'と名付けたいと思っていました。素敵な響きですよね(*´-`)

投稿: | 2021/05/16 16:28

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: (名前)命名するということ:

« (史料)居眠りの愉楽 | トップページ | (子ども)身体髪膚これを父母に受く »