« (学問)役に立つか、立たぬか | トップページ | (名前)命名するということ »

2005/06/15

(史料)居眠りの愉楽

 いよいよまた暑い季節がやってきます。その風物詩(?)ともいえそうな習慣が昼寝です。最近では昼寝の効果が見直されてきたようで、社員みんなで昼寝をする会社もあるそうです。
 こういうことは今昔同じで、「こう暑いんじゃ、やってられないよ」といわんばかりに江戸っ子も昼寝をしていたようです。菊池貴一郎編『江戸府内 絵本風俗往来』(青蛙房復刻版、1965)を繙いてみましょう。

○午睡(ひるね)
真夏の頃は、午飯(ひるめし)終るや、睡気頻りに催し、市中道路の往来も日光のつよさに堪へかねて、一時は絶て止ぬるまゝ、自然近隣何等の響も聞へず、諸職人は午飯休(ひるやすみ)の肱枕(ひじまくら)、諸商店は算盤にもたれる手代あれば、硯箱へ肱(ひじ)をつきたる老番頭も見へ、船漕よする小僧さんもあり、勝手の方に女中方思ひ思ひの忍眠り、奥にて子供を寝しながら、母親さへもへの字の形、去れば此時いづれも同じ鼾睡(いびき)の声、……午飯終れば睡(ねむ)るものと眼が覚て又ひるね、気楽な世代と笑はれるが、昔の江戸の習慣とは扨お恥かしいことなりける、

 「日光のつよさ」で町中がしいんと静かになって、諸職人・手代・老番頭・小僧・女中、そして子どもを寝かす母親まで、枕をならべて討ち死にしている。いまにも目に浮かんでくるような風景です。

うつぶいて筆で艫を押す夜手習 「もみち笠」

 とくに小僧は夜しか勉強する時間がありません。時間とあぶらを惜しまず手習いをする。それで昼間も居眠りしてしまうのかもしれません。

 さきに「昼寝は江戸っ子の恥ずかしい習慣」というふうに書いてありますが、世界的にみて日本人は居眠りをする民族なのだ、という意見もあるようです。考古学者の故・佐原真さんによるエッセイ集『考古学千夜一夜』(小学館ライブラリー88、小学館、1996)「居眠りも日本文化」に教えられました。

欧米の人びとは、日本人の居眠りを異常視する。「交通機関の中では、彼らはものを読んでいなければ眠っている。やむなく乗客のまんなかに立ったままで……。なにしろ日本人は、こうこうと明かりがついていようと、ひどい喧騒の中であろうと、どんな人込みの中であろうと、いつでもどこでも眠ることができる」(P=ランディ著 林瑞枝訳『ニッポン人の生活』文庫クセジュ 白水社 一九七五年)。……学生時代、樋口隆康さんの古鏡の講義を一人だけで受けたとき、私は睡魔におそわれた。一対一なんだからおきていなければと理性がよびかけたけれど無駄。その心地よかったこと。目を覚ますと、講義は、淡々と続いていた。何たる寛容さ。いま、教壇に立って居眠り学生を決してとがめだてしないのは、その思い出ゆえと、日本文化を大切にしたい精神からである。

 先生ひとりと学生ひとりとはこれ如何に? 怪しむことなかれ、大学院生の授業では、こういうことも珍しくないのです。わたしも先生ひとりに生徒3人の授業をうけていました。欠席したらたいへんですが、居眠りもまずい。
 それでも居眠りをしてしまった。佐原真さんという大物も睡魔には勝てなかったということでしょう。睡魔に弱い怠惰なわたしも励まされるような(?)エピソードです。

| |

« (学問)役に立つか、立たぬか | トップページ | (名前)命名するということ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: (史料)居眠りの愉楽:

« (学問)役に立つか、立たぬか | トップページ | (名前)命名するということ »