(子ども)身体髪膚これを父母に受く
あまり浮き世のことは存ぜぬで暮らしてきたわたしも、子どもができると、身辺家事のことで忙殺され、かえって研究の世界から遠のくことが多くなりました。
これではいけないと思うものの、子どもと一緒に遊んだ休日など、夕方になればぐったりで、すぐに寝入ってしまいます。
昨日は仕事を休んで幼稚園の授業参観にゆきました。家庭ではみることのできない長男の横顔をみてきて、心底おもしろかった。
自由時間では、みんながブランコや滑り台で遊んでいるのに、長男だけはダンゴムシをみつけようと、あっちへぶらぶら、こっちへぶらぶら、しゃがんで独り遊びに熱中している。しかし、格別寂しそうでもないし、友だちがいないわけでもなさそうで、彼の興味関心はよほどユニークにできあがっているらしい。
授業がはじまったときも、みんながうたをうたって随分たつというのに、「ひよこ1組」のクラス部屋になかなか姿を現さない。どうしたことかと周囲をみまわすと、隣の部屋で長男がゆっくりと手をあらっているではないか。その後ろ姿は、慌てているふうでもない。浮き世のことはどうあれ、自分のペースを後生大事にしているようで、その様たるや、何ともいえずに可笑い。
お遊戯でも、ひとりだけテンポがおくれるから、先生が長男につきっきりで、先生は侍女のように甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。おどりの動きが複雑で嫌気がさしたのか、泣きそうでいると、すかさず先生がはげましてくれます。
総じて、わたしの長男は変わり者であるらしい。そして、そんな長男の何から何までが、幼いときのわたしに酷似していて、親子はこれだけ似てしまうものなのかと、驚きを禁じ得なかったのです。たしかに「身体髪膚これを父母に受く」というから、当然といえば当然なのですが、かほどまでとは思わなかった。
わたしのちいさな頃は、現在のように「個性」なとどいう物差しはありませんでした。教育といっても、徹底的に管理するだけで、先生も体罰をすることに平気だったし、子どもに対する発言もあまり気にしていませんでした。先生によって才能も人格も様々でしたが、まずは家畜の世話ができる力量さえあれば教師がつとまっているような気分でした。
その証拠に、小学生のときのわたしは、鈍重だということで「ぶた」と先生から呼ばれていたし、親も先生から「将来ろくな人間に育ちません」と宣告されて、ショックをうけたこともあったようです(半分あたりましたが)。当時通っていた近所の英語塾の先生も哀れみの表情で、
学校の授業わかる?
とわたしに聞いてきました。「ううん、わからないよ」と答えると「そうなの」とだけ言い、あとはおし黙ってしまった。勉強ができないということは、ひとをお通夜ほどに暗い気持ちにさせるらしく、―その先生に失礼ですが―、子ども心にたいへん可笑しかった。
そんなていたらくだったわたしの子どもが上等である筈もなく、今回の授業参観でそれをしっかりと確認してきました。「まあ、そんなもんだろう」と笑って妻に報告しました。
そんな菲才なわたしであっても、有り難いことに、偶々わたしを必要としてくれる奇特な方々がこの世にあって、そのお陰様でなんとかご飯にありついているし、近頃は何でも個性と評価される結構な世の中になったらしいから、この先、長男も何とかなるのかもしれません。
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