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2005/05/11

(江戸時代後期、むらの記録①)庶民の日記のおもしろさ

・日記研究のおもしろさ ドナルド・キーン(Donald Keene コロンビア大学名誉教授)さんはすぐれた日本文学研究者で、主に日記研究で著名です。彼と日本とのつながりはアジア・太平洋戦争のときでした。コロンビア大学在学中に戦争が勃発、海軍の日本語学校に入って情報関係の軍務につきます。
 日本が「鬼畜米英」を叫んでいるとき、アメリカは戦争相手である日本人を冷静に研究しようと努めました。なぜなら、戦争遂行のために必要であることは勿論、戦争に勝った後の占領支配のため、日本人の心理を知ることは重要だったからです。キーンさんはそのための仕事に従事しました。
 当時の日本人は特殊な国家体制・異常な戦法によって「国家に盲目的に追従する非人間的な国民」だと思われてきました。しかし、そうではないことがわかったのは、捕虜にたいする尋問のときの情報と、死んだ日本兵が書き残した日記でした。特にその文章にあったのは戦争への嫌悪感や故郷や家族に対する想いでした。キーンさんはこの日記の魅力にひきつけられたといいます。
 日記を書く動機は様々ですが、特に個人的な想いを書きつけるための日記には、世間体や国家権力のプレッシャーでは押さつけることのできない、にんげん本来の正直な心情が表現されています。特に建前・本音を分けたがる日本人にとって、日記は格好の鬱憤晴らしの場、本音吐露の場になっていたと考えられます。そういえば現在のブログ流行もそういう観点から考察されると面白いかもしれません。

・日記を書かせる動機 わたしは日記史料の研究が好きで、長い間打ち込んできました。わたし個人はというと、日記を書き続けた経験がありません(このブログは日記ではありません)。ただ「書こう」と志を立てたことは幾度となくあります。しかしいつもむなしく「三日坊主」で終わってしまいます。
 やはり、日記を書き続けるには、<動機>という、自分の内側から沸々とわきあがってくる、処理しようもないような大きなエネルギーが必要なようです。「まめなひと」はエネルギーがなくても書けてしまうのですが、ふつうはエネルギーがないと書けません。わたしに日記が書けなかったのは、そのエネルギーがなかったせいかもしれません。しかし今後、たとえば地震などの天変災厄や個人的な大きな不幸に直面したとき、わたしはどうなるでしょう? わたしの心の何処かが変化して、ながく日記を書き続けるかもしれません。
 したがって、史料としての日記を読むとき、動機をつよく意識する必要があります。〝覗き見趣味〟的な興味がないわけではありませんが、そうやって行間まで読み込めば、まるで隣に歴史上の人物が座っているかのような気分になります。

・「日常生活の天才」が織りなす歴史ドラマ わたしが本格的に村落史研究をはじめたのは、武蔵国入間郡赤尾村名主、林半三郎信海(はやし・はんざぶろう・のぶみ)日記との出会いからです(埼玉県立文書館蔵)。彼の日記を一見して「これは分析してみたい」と思いました。
 一見してわたしが興味をもったのは、書いてある内容ではありません。その日記の途方もない量でした。
 横帳にびっしりと埋め尽くされた3ミリ程度(!)の蟻の行列。目をこすってよくみれば、全て信海の手によるくずし字です。「人間はこれだけマメになり得るのか」と仰天しました。「日常生活の天才」といっていいでしょう。毎日つけたその日記群は途方もない量で、主に、

 ①家にいるときの日記、
 ②外出したときの日記、
 ③地域社会(村)の主な出来事を記した日記、
 ④金銭出納のありさまを記した日記、

 の4種類があるのです。これには参りました。
 この日記を書き記す主な理由は、

役に立つかどうかはわからぬが、とにかく子孫の参考のために書き残す。

 というものでした。
 信海はもともとが几帳面な人物です。しかし、彼が直面した当時の激動のむら社会に対する驚愕こそが、この長い日記を書かせたといえるでしょう。むしろ、信海という人物への興味が、わたしを近世後期の村社会の世界へと誘ったのです。
 この日記についてはこれから何度か述べることになると思います。

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『部落問題研究』の最新刊172号に拙稿が出ました。 「松江藩領における鉢屋の存在形態」(29頁〜55頁)です。 内容はタイトルのままです。山陰地域における近世の被差別民身分である鉢屋 について、特に松江藩領にそくして書いております。 前半は断片的な史料から、できるだけ鉢屋の存在形態の概要が分かる ようにし、後半は三保関における鉢屋の漁業進出に端を発した争論を 取り上げ、幕末の状況を分析しています。 昨年の10月に行われた部落問題研究者全国集会(京都大学)の報告を 活字..... [続きを読む]

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