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2005/05/14

(江戸時代後期、むらの記録②)村の商人

・村の商人の出現  ローラ・インガルス・ワイルダー(Laura Ingalls Wilder, 1867-1957)『大草原の小さな家』(Little House on the Prairie)は、19世紀後半のアメリカのむらを舞台にした自伝家族小説です。NHKでドラマがテレビ放映されましたから、ご存じの方も多いことと思います。
 ローラは1867年生まれで、日本でいえば徳川慶喜による大政奉還があった年です。したがって小説に描かれる時代はちょうど日本の明治初年と思えばよいでしょう。NHKの映像などをみる限り、日本の村とそう違いはないようにみえます。
 そこに雑貨商を営むオルソン(Oleson)一家という家族が出てきます。紳士的なご主人以外、とても意地悪な家族として描かれています。とくにオルソン夫人は見事なくらいに臍が曲がっていて、利にさとく、そろばん勘定で生きているようにみえます。
 なぜこの一家が意地悪に描かれているのかというと、社会学のかたによれば「村社会における『雑貨商』への偏見が働いているのではないか」というそうです。「商売なんてやってるやつにろくなヤツはいない」という見方がむら社会にはあって、それがオルソン一家の描かれ方に影響を与えている、というのです。
 なかなかするどい見方です。

・村の風景のちがい わたしもずいぶん村をうろうろしました。そのなかで印象的なことは、ちょっと環境が違っているだけで、ずいぶん村の雰囲気が違うということです。
 たとえばA村・B村という隣り合った村があります。A村は街道が貫いて道沿いに家が櫛比しています。どちらかというと町風です。B村はその街道からちょっとはずれています。どちらかというと農村風です。
 このA村とB村の両方でお話を伺っていると面白い。B村のかたは声をひそめて「A村は集団暴力的なんだ、人気(じんき)が荒いネ」という。一方A村のかたは「B村はのんびりしてるでしょ」とわらう。隣村同士なのに道が通っているかいないかでこんなにも雰囲気が異なる。B村のA村に対する目はまさにオルソン一家への偏見「商売人に気をつけろ」です。
 いまでもマイナス・イメージで「商売人」という言葉をつかうことがあります。しかしサラリーマンだって広義の「商売人」で、お役人や純然たる農家以外はほとんど「商売人」である筈ですが。

・農業で頑張っている奴は「馬鹿」? それに関して近世後期の村名主(武蔵国入間郡赤尾村名主)林半三郎信海はこんなことをいっています。以下は信海による領主川越藩への意見書の一部です。

村々諸商人……追々新規に商い始め候ものも出来候、この商人共義、村々奢侈に長し衰微の基に候事、右に申し候は物ごと自由にて、御城下同様につき、買わずとも済み候ものまでも買い、銭遣い日々募り行き申し候……

 もちろんこの「村で商売を行う者が多くなるとむらが衰微する」という考え方は一面的な見方でしかありません。半三郎は大地主ですが「村々諸商人」がうとましく思えてしょうがない。みんなが商売をやるおかげで、農業を「馬鹿」にして、自分の家の雇い人が集まりにくくなってしまったからです。

……村々ニ田畑も少々ならては作らず荷商いなどいたし、農業出精いたし候ものをかえって「馬鹿者」など申し、年中ふらふらと暮し居候もの多く候ゆえ、田畑共作り余り、高持の御百姓はよんどころなく高金を出し、奉公人召抱候て手作仕り候ところ、近年は奉公人義殊の外払底につき、召仕候にも勘弁のいたわり自然と過候ゆえか、わがままのみいたし候えば、主人より機嫌をとり年中苦労心配仕り……

 ―田畑も少々では作らず、荷商いなどをして、農業を出精(がんばっている)している者を「馬鹿者」と呼ばわりする者がいる。
 日本の江戸時代版『大草原の小さな家』は充分なりたちえると思います。時代状況が似通っています。

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コメント

こんにちは。はじめまして。
歴史好き(素人ですが)なもので
こっそりとですが
楽しく拝見させていただいておりました。

あのう、質問というか、僕の読解力不足なのかもしれないのですが、

A村・街道沿い・町風
B村・田園・農村風であるならば
B村に、A村に対しての「商売人には気をつけろ」という意識がある、というのが自然なように
僕には思えるのですが
実際には違うのでしょうか?

投稿: 人猫 | 2005/05/16 12:59

説明が逆でした。直します、ごめんなさい。

投稿: 高尾 | 2005/05/16 13:06

 旧街道筋に仕事場を持っています。
 ここは旧○△村で隣接して旧○▽村でした(最初の一字は同じ、次の一字は字は違うが読みは同じ)。今では双方そのまま某市の町名になっています。仕事場を作るときに図書館で調べたところ、江戸時代からお互いに訴訟沙汰の絶えない村どうしであったようです。
 どちらも村のど真ん中を街道が通っていますので村人の従事する職業がそう違っていたとは思えないのですが良くない関係は未だに続いております。
 単に一時、一方の村に小金を溜め込んだ一家があったくらいのことが始まりなのかもしれませんが、一度、地域同士の反感が生じると数百年を超えて悪感情が残るのかと思うと怖いものがあります。
 最近の市町村合併が子々孫々に災いを残さないようにと祈るばかりです。

投稿: 傘屋 | 2005/05/17 11:44

仰るようにずっと(江戸時代以来)仲が悪い、という事例は散見されます。社会経済的気風の問題もありますが、用水の問題も多いと思います。

投稿: 高尾 | 2005/05/17 14:12

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