« (史料)武士が犬の糞を踏む―酒井伴四郎日記― | トップページ | (江戸時代後期、むらの記録①)庶民の日記のおもしろさ »

2005/05/08

(無名人の歴史)曾祖父小学校教員加藤退祐、青雲の志を抱く

 大学浪人時代、明治・大正期の本をよくよみました。なかでも赤穂浪士関係の本は面白く、47士の姓・通称・諱などを暗誦するほどでした(勿論もう忘れてしまいましたが)。信夫恕軒『赤穂義士実談』・福本日南『元禄快挙録』です。
 わたしの母方の曾祖父、三重県三重郡三重村生桑の地主の息、加藤退祐(かとう・たいすけ 1893~1924)は小学校訓導をつとめ読書家でした。専門は地理歴史科。わたしは彼の所蔵本を愛読したのです。

 『元禄快挙禄』は岩波文庫に入っていますから(青159-1、1998)容易に入手できます。曾祖父の明治時代本を大切に保存するため、先日、あらたに岩波文庫版の『元禄快挙禄』を入手しました。浪人時代を思い出しながら頁をめくりました。とても懐かしかった。『赤穂義士実談』は『元禄快挙録』ほど有名な本ではありません。しかし講談をそのまま筆写したものらしく、その意味で興味深い本です。語り口の歯切れよさ・軽妙さに感心しました。いま手に入るのでしょうか。古本屋にいけばあるかもしれません。
 これらでわたしは旧漢字・旧仮名遣いに慣れ親しみました。顔もみたことがない曾祖父と同様に、日本史を専らに勉強しているのは何かの縁でしょう。

 先日母方の実家に祖母の法事に行って参りました。そのとき曾祖父退祐の蔵書目録をみつけました。
 それには蔵書の値段や入手年などが記されており、入手年は大正3年頃が最新でしょうか。記録されている本は約500冊です(これらの大半は加藤家に現存しておらず、図書館に寄贈してあります)。
 蔵書目録には「読書論」という巻頭言がついています。これを読むことによって、曾祖父の読書に対する想いを知ることができます。彼は結核を煩い満31歳でこの世を去るわけですが、存命中は明治人らしい青雲の志をもっていたことがわかりました。「読書論」の内容は、我が家の秘密といいたいところなのですが、明治・大正期における村のインテリ層の志向がわかる好史料なので、みなさんにご紹介致します。曾祖父の蔵書で勉強したわたしにとってはとりわけ貴重な史料です。

   読書論
身ハ一室ニアリテ内外ノ事情ニ通ジ古今ノ英雄ニ接シ得ルハ読書ニアラズヤ、世人読書ヲ以テ人生最大且ツ高貴ナル楽トナス、故ナキニアラズ、
河水流レテヤマズ、日月シバラクモ休マズ、世ハ浸々トシテ文明ニ進ム、今日我等ハ世ト歩ヲ共ニセント欲シテ、タマタマコヽニ激甚ナル生存競争ヲ現出シヌ、ソノ勝利者トシテ名誉ヲニナヒ月桂冠ノ捧ゲウル身ヲ誰カ望マザラン、アヽ我等ノ理想コソ其ノ勝利者ニアラズヤ、而ラバ勝利者タルハ天授ナルカ、否々、真実ノ誠アルニ外ナラズ、人ト生レテ誠ヲ有セザルナシ、誠ハ実ニ諸徳ノ根底ニシテ、忠トイヒ孝トイヒ、其他一トシテ誠ノ変形ナラザルハナシ、依テ修養鍛錬如何ニヨリテ玉トモ甍トモナル、古人曰ク「丈夫玉砕ストモ甍全ヲ恥ズ」ト、而ハ世ハ変レドモ、誠ハ千古不変ナリ、豈男子タルモノ誠ヲ理想ノマトニ掲ゲ邁進セザルベケンヤ、邁進々々、聞クダニ勇マシキ語ニアラズヤ、而レドモ顧ミヨ、戦闘準備確実ナラザル邁進ハ邁進ニアラズ、盲進ナリ、スベカラク盲進ハ排セヨ、而シテ準備ヲ整ヘ余裕綽々イザ鎌倉トキカバ、駿馬ニ鞭ケ功名一番槍何ゾ難カラン、コレ所謂邁進ナリ、
コノ準備コソ読書ニアリ、他ニ求ムルヲ得ズ、刻苦勉励不断ノ努力ヲ以テ常ニ書ニ親シマンカ、必ス誠ハ其内ニ萌芽シ、必ズ成功ノ彼岸ニ達スルヲ得ン、

   蔵書目録ニツイテ
年ト共ニ蔵書増加シテ誠ニ記憶ニ苦シム、ヨツテコヽニ蔵書目録ヲ編シ、数多ノ部類ニ分チ、蔵書ノ整理ヲナス

   部類一覧
一修身部(9項目) 二教育部(25項目) 三国文部(65項目) 四書方部(5項目) 五小説部(24項目) 六漢文部(23項目) 七数学部(23項目) 八歴史部(25項目) 九伝記部(25項目) 一〇地理部(36項目) 一一語学部(59項目) 一二博物部(21項目) 一三理化部(13項目) 一四政法部(6項目) 一五商業部(22項目) 一六経済部(5項目) 一七工業部(12項目) 一八農業部(10項目) 一九図画部(14項目) 二〇手芸部(1項目) 二一体育部(11項目) 二二辞書部(21項目) 二三修養部(26項目) 二四楽典部(13項目) 二五雑誌部(23項目) (計517項目) (括弧内は高尾の注記)

 以下は曾孫である小生の意訳文です。

   読書論
 部屋に居ながらにして、内外の事情に通じ、古今の英雄と接することができる方法こそ、読書ではないだろうか。世の人は読書をもって人生最大かつ高貴な楽しみとしてきた。理由なきことではない。
 河の水は流れてやまず、太陽や月はしばらくも休むことはない。世はますます文明社会となった。今日の我等は世の中と歩みをあわせようとして、たまたまここに激甚なる生存競争社会を現出した。その勝利者として、名誉を担って月桂冠を捧げ得る身を、誰もが望むことだろう。ああ、我等の理想こそはその勝利者となることである。
 それでは、その勝利者となるのは単なる天の恵みの結果かといえばそうではない。それは真実の「誠」の結果にほかならない。ひととして生まれて「誠」をもたない者はいない。「誠」は実に諸徳の根元であって、忠といい孝といい、そのほかひとつとして「誠」の変形でないものはない。したがって「誠」の修養・鍛錬の成果いかんによって、人間の質が玉ともなるし甍ともなる。いにしえのひとは「丈夫玉砕すとも甍全を恥ず」という。だから世は変わっても「誠」は千古不変である。男子たる者はその「誠」の理想を目標にして邁進しなければならない。邁進、邁進……、聞くだに勇ましい言葉ではないか。しかし顧みよ、戦闘準備の確実ではない「邁進」は、邁進でなく単なる盲進にすぎない。すべからく盲進は排しなければならない。それで、もしも準備を整えて余裕綽々という状態であれば、「いざ鎌倉」と聞いて駿馬に鞭うち、功名一番槍の勲功をあげるのも、そう難しいことではないだろう。これがいわゆる「邁進」ということでなのである。
 この準備こそが読書である。他に手段を求めることはできない。刻苦勉励のたゆまぬ努力をもって、常に書に親しめば、必ずや「誠」はその身の内に芽ばえ、成功の岸に達することができるだろう。

   蔵書目録について
年とともに蔵書が増加してまことに記憶に苦しむことになった。よってここに蔵書目録を編んで、あまたの部類に分かち、蔵書の整理をした。

 彼はこの青雲の志を抱いたまま、若くして生涯を閉じますが、この蔵書目録は残りました。これを今後分析してどこかで史料紹介できればと思っています。

(付記)曾祖父加藤退祐のくわしい履歴書もみつかりました。それによると高等小学校訓導とあり中学校教員は誤りだったことがわかりました(三重県三重郡海蔵尋常高等小学校訓導・三重県三重郡神前尋常高等小学校訓導・三重県三重郡神前村立農業補習学校訓導などを歴任)。ほかにも新たにわかったことがあり、それらと適合するようにいままでの記事を訂正しておきました(祖母のふるい聞き取りなどに頼っていたため間違いが多かったのです)。なお履歴書によれば、退祐の生まれたのは明治26年(1893)5月8日で、奇しくも今日です。

|

« (史料)武士が犬の糞を踏む―酒井伴四郎日記― | トップページ | (江戸時代後期、むらの記録①)庶民の日記のおもしろさ »

コメント

 曾祖父様の職歴中補修学校とあるのは補習学校のことではないかと思いまず。とりあえずあしからず。

投稿: yasmikan | 2005/05/17 20:58

ありがとうございます。ほんとうにダメですね。

投稿: 高尾 | 2005/05/17 22:58

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56058/4035471

この記事へのトラックバック一覧です: (無名人の歴史)曾祖父小学校教員加藤退祐、青雲の志を抱く:

« (史料)武士が犬の糞を踏む―酒井伴四郎日記― | トップページ | (江戸時代後期、むらの記録①)庶民の日記のおもしろさ »