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2005/05/20

(出版)同じ本が多くはないか

 「最近、歴史と旅がブームなのか」と気がついたのは、世界文化社の『週刊 日本の伝説を旅する』シリーズのモニターをしていたときでした。もしこのお仕事がなければ気がつかなかったでしょう。

 特に、体裁も内容も酷似した傾向の本が、さきの『週刊 日本の伝説を旅する』を含めて、4つも出ています(これ以外にもあります)。すなわち、①週刊である・②大判である・③薄手である・④定価560円である・⑤内容は「歴史と旅」である・⑥カラーである(写真をふんだんに使う)、これら6つのてんにおいて、すべて同じです。何れも大手出版社で、順不同で挙げると以下のようになります。

 ①『週刊百科 司馬遼太郎 街道をゆく』 朝日新聞社 定価560円(税込)
http://www3.asahi.com/opendoors/hyakka/kaidou/index.html
 ②『学研 グラフィック百科 週刊日本の街なみ』 学研 定価560円(税込)
http://www.gakken.co.jp/gg/mati/
 ③『週刊 日本の伝説を旅する』 世界文化社 定価560円(税込)
http://www.sekaibunka.com/den/
 ④『週刊 四国八十八カ所遍路の旅』 講談社 定価560円(税込)
http://shop.kodansha.jp/bc/henro/

 とりあえずここでは、どれが〝元祖〟でどういう順番で出版されたかは、気にしないことにしましょう。それにしても、なるべくバラエティに富んだ企画を読んでみたい読者にとって、これは少々残念な傾向かもしれません。
 このような同工異曲の「二番煎じ型」は、出版界ではいまにはじまったことではなく、テレビ番組の世界にも時々みられますが、ちょっと納得がいかない。もちろん、ある程度目論見の立つ〝安全出版〟と、「のるか・そるか」という〝野心出版〟の両方をやっていないと、会社が潰れるのだ、という理屈はわかります。しかしだからといって、体裁から内容まで何から何まで似せなくてもよいような気がするし、差別化をはかる努力がすこしはあってもよいのではないか。
 「出版業が下火だ」と何処かで読んだことがありますが、インターネットに押されるでもなし、テレビに負けるでもなし、寝床で本を読んだり、通勤時間で雑誌をめくったりするひとも少なくないから、余暇と知的関心がある限り、やはりおもしろい本ならどれだけでも売れるのではないか。あまり保守に走りすぎると、出版界全体にとって、かえって望ましくない状況がおきるのではないでしょうか。
 といって、わたしも出版界には無知の素人だから、えらそうなことをいえる立場にはありません。しかしこれは一読者としての偽らざる感想です。

 さて、わたしがある後輩と会ったとき、たまたま「自治体史」(「××県史」「○○市史」などといった自治体がつくる歴史の本)の話になりました。喰えない歴史系大学院生・オーバードクターのひとたちにとって、「自治体史」のアルバイトは貴重な資金源になります。
 その後輩によると、「自治体史」の分担執筆作業で、えらい難しい言葉・文章を書いた原稿をよこす研究者がいるのだといいます。そのひとは一流の研究者ですが、「自治体史」を学術論文執筆と同じ考えで書いているらしい。「いやあ、あれはボクでも(内容が)わかりませんよ、……あれをおじいさん・おばあさんが読むのかと思うと」と笑う。
 そもそも「自治体史」は自治体の公費で編まれています。だから、その土地の歴史愛好家(あるいは夏休みの自由研究に追われる生徒までも含むかもしれない)も読者の射程に入れた、みんなにひらかれた〝土地の歴史書〟であるべきです。したがって、極力専門用語は排すべきだし、表現も易しく親しまれるように書かねばならない筈です。専門家もその知識を上手に披露する技術をもたなければ、もし自治体史で「先生」と呼ばれていたとしても、出版社からはお仕事を頂戴することはできないでしょう。自省の念をもこめて。

 学会の報告を聞くと、おもしろいねたにあふれています。何かかわった出版企画はできませんか。歴史学研究会などの大きな学会で、真面目に討議してもよいくらいだと思います。

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