(戒名の意味)忘れ得ぬ史料―わたしの発掘した義民―
時としてひととの邂逅が劇的であるのと同じように、史料との邂逅も劇的なことがあります。
いままで様々な史料をみてきましたが、どうしても忘れられない史料があります。それは、卒業論文のときに取り組んだ、川越藩領・武蔵国入間郡赤尾村(現、埼玉県坂戸市赤尾)の日記史料です。
この村では、天保2年(1831)から天保6年(1835)もの間、名主(なぬし、村長)の座をめぐって、長い内輪もめがありました。
結局、天保6年、ある百姓Aが川越藩の代官と賄賂で癒着、惣百姓の意志を飛び越えて、代官の特別任命によって名主の座を獲得しました(水戸黄門のドラマに出てきそうな話ですが)。
そのため村中が大騒ぎをし、反対派が「名主は村の総意で選ぶべきだ」と郡奉行所へ押しかけ、Aの名主就任の取り消しを求めました。しかし奉行所では「お上の決めたことに異論を唱えるとは」と激怒、この申し出を却下するばかりか、百姓数人を牢に押し込めてしまいます。
のちに代官の汚職が露見し、百姓たちは出牢を許されますが、そのうちの権蔵という百姓が牢生活の疲れで落命します。
この権蔵に関わる興味深い史料があります。赤尾村村人の日記、天保6年9月14日条に彼の葬式の記述があります。
「同十四日、(略)今日権蔵葬式ニ付拾人は直ニ帰村有之、夕方葬式済ム、戒名金剛斎虚空生執清士と云、此戒名之文字可考思」
筆者は、権蔵の戒名「金剛斎虚空生執清士」(コンゴウサイ・コクウショウシュウ・セイシ)の文字には「意味がある」と記しています。しかし一体どういう意味なのか、わたしには長らく見当もつきませんでした。「コンゴウサイ」で仏教辞典で引いてみても、当該する事項は一切見あたりません。
そこで、いろんな仏教辞典を頭から片っ端に引いてみることにしました。といってもこれはたいへんな作業です。……汗をかきかき調べたところ、やっと中村元『佛教語大辞典』(東京書籍、1983)に、参考になる事項をみつけました。
「虚空生執金剛 (略) 金剛が植物の成長をさまたげないように、どんな人びとのために尽くしても無所得である、そのような菩提心を有する菩薩の意 (略)」
おそらくこれが権蔵の戒名の由来でしょう。「虚空生執」と「金剛」がひっくりかえっていたので、「コンゴウサイ」で引いてもわからなかったのです。
これによって、領主から死後も罪人とされた筈の権蔵が、村では密かに慈悲の菩薩として祭り上げられていたことがわかりました。村のために死んだ権蔵への想いを、密かに戒名にこめたのです。まさに権蔵が「生き返り」ました。震えるほどに感動的な出来事でした。
これはわたしの発見した義民です。権蔵の墓はみつかっていません。
※拙稿「村役人の選出と村の自治―武蔵国入間郡赤尾村の事例―」『立正史学』96号(2004)より。
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