(俳句)芭蕉と一茶、ふたつの天の川―元禄文化と化政文化―
松尾芭蕉の俳句も小林一茶の俳句も魅力的ですが、しかしそれぞれに理由は異なります。
芭蕉と一茶とでは生きていた時代も作風もまったく違います。いや「生きていた時代が違うから作風も違う」といったほうが正確でしょうか。
芭蕉の生きていた時代は江戸時代中期の元禄文化の時代です。上方を中心とし富裕層の支える豪奢な文化でした。いっぽう一茶の生きていた時代は江戸時代後期の化政文化の時代です。江戸を中心とし庶民の支える生活感あふれる文化でした。
芭蕉は天の川をこうみています。
荒海や 佐渡に横たふ 天の川 芭蕉
なんだかアメリカのスピルバーグの映画に出てきそうな雄大な風景です。芭蕉はつくってきたような「わざとらしい」風景を詠みます。
実際芭蕉の句にはフィクションが交ざっているといわれます。天文学者は「芭蕉が天の川をみたと思われる新暦8月18日には、天の川は海に対して垂直に立っていた筈ではないか」と指摘します。それでも美しい風景であるには違いありません。文学的レトリックに優れた作品です。
いっぽう一茶はどうでしょうか。
うつくしや 障子の穴の 天の川 一茶
一茶は「障子の穴」から天の川をみます。芭蕉の天の川のようなダイナミックな感じはありませんが、そのかわり「わざとらしい」印象はなく、ふとした卑近な場面でみつける美しさがあります。とても素直な表現で、われわれも同じような風景をみることができそうな気がします。
実際、一茶は江戸に出てきて、貧しい長屋暮らしの中で障子の穴から天の川を眺めたに相違ありません。彼は「障子の穴」という日常生活の中に天の川を発見したのです。また一茶は芭蕉と違い、比較的無造作な表現の俳句をたくさん残します。化政期の大量商品生産を象徴するかのようです。
芭蕉は広大な海の中に天の川を眺め、一茶は障子の穴から天の川を眺める。みなさんはどちらの天の川がお好みでしょうか? わたしはどちらかというと一茶の方が好きかもしれません。
好き嫌いはあると思います。この芭蕉と一茶の天の川の表現の違いこそが、元禄文化と化政文化の違いなのだと思います。
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コメント
文化の時代性をどう捉えるか。今の時代は、独断と偏見で問題を提起すべき。私も江戸ッ子の時代性を検討中です。
ところで、弟さんの先生がビッグタイトルに挑戦決定おめでとうございます。
関係ないなどと、言わないでください。大変なことなのですから。さっき、NHKテレビでの解説、楽しみました。碁健闘を祈ります。
投稿: メドロ先生 | 2005/04/09 23:54
ありがとうございます。兄弟双方家族をもって忙しく、電話・手紙のやりとりしかなくなってしまいました。弟の活躍を新聞などでみるにつけ、わたしも頑張らねばと思う今日この頃です。
本因坊戦は勝っても負けても頑張ってほしいと思います。挑戦するだけでも、今までたいへんな苦労だったでしょうから。
投稿: 高尾 | 2005/04/10 09:16
破れ障子が、天の川のように、薄暗いあばら家に、外光を差し入れた。つまり、無為な昼下がりの情景。そのほうが、無骨な独り身のしがなさをかんじますが、この解釈は、先生いかがでしょうか。飛びすぎかな。
投稿: 無骨 | 2016/06/30 22:46