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2005/04/28

(今も昔も)江戸奉公人立志伝

 雪国から江戸へ出稼ぎに出てくる人たちは、ことのほか多かったようです。甲斐(山梨県)・信濃(長野県)・越後(新潟県)などです。わたしの好きな小林一茶も信濃からの出稼人のひとりで、彼らは特に「信濃者」「椋鳥」の蔑称で呼ばれました。
 菊池貴一郎編『江戸府内 絵本風俗往来』(青蛙房復刻版、1965)を繙いてみましょう。

○甲信のもの江戸に出づ
甲州・信濃辺は雪降りつゞき、寒さも随て烈しく、家業農業の合の間なるより、この頃江戸に出て奉公につくものあり、又商ひをなして、明年の春は利得を懐中して帰国するあり、そのまゝ江戸に永住するもありけるが、十中七八までは帰国するなり、何故江戸に止まらざるやといふに、火事と喧嘩の多きに恐れけるとなんと聞こえし、奉公するは多くは湯屋・米屋に住みこむもの、十に八九なり、永住して江戸に止まる者は、町内の木戸際に番屋といふものありて、其番屋の番太郎といふものになり、又は酒店の傭(やとい)などとなる、然るに末は金を溜て米屋の店を出すものは、甲斐・信濃・越後の出生に限りたり。

 ―甲信地方の出稼ぎ人は湯屋・米屋に住み込んで働く。春になると給金を懐にさっさと帰ってしまう。何故といえば江戸の火事と喧嘩に嫌気がさすからである。まれに江戸に永住するものがあって番屋の番人か酒店の雇い人になる。お金をためると米屋の店を出す。それが甲信越地方の出身者の傾向である。

 唐突ですが、「目白御殿」と通称される旧田中角栄邸宅(現、田中直紀・眞紀子邸宅)が東京都目白にあるそもそもの理由は何でしょうか。
 田中角栄は大正7年(1918)新潟県刈羽郡二田村(かりわぐん・ふただむら)に生まれます。尋常高等小学校を卒業すると科学者・実業家の大河内正敏(旧大多喜藩主大河内家当主、理研コンツェルンの生みの親)を頼って上京します。江戸時代にも越後国からたくさんの百姓が出稼ぎにきたわけですが、それを彷彿とさせるような光景です。行き先が大名家というのも面白い。いわば武家への中間奉公を目指したわけです。このへんあまり江戸時代と変わっていない。
 けっきょく彼は大河内家の門前払いを喰い、その下請の土建会社に就職します。そして勉励刻苦したのちに政治家になり、自由党(現在の自由党とは無関係)総務にまで出世します。そのとき東京都目白の土地16500平方キロメートルを購入します。
 購入の理由はこの土地が故郷二田村旧領主の椎谷藩堀家屋敷跡だったからだそうです(水木楊『田中角栄 その巨善と巨悪』日本経済新聞社)。この話の真偽はわかりません。わたしも調べてみましたが、江戸時代の目白に、堀家の屋敷を確認することはできませんでした。……もしかしたら明治以後に堀家が屋敷をもったということなのかもしれません。
 何れにせよ田中角栄の執念みたいなものを感じさせます。もし誤伝だとしてもそれはそれでおもしろい誤伝です。

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コメント

江戸は出稼ぎの人々によって支えられていた面も、無視できませんね。今の日本が、外国人労働者に支えられている面があるように。これからの、高齢化・少子化問題とも関連させて、考えねばなりませんね。

投稿: メドロ先生 | 2005/04/29 10:31

特に東京は外国人労働者の方々が多くなりました。コンビニやファーストフード店でも多く見かけます。日本人より優秀だそうですよ。

ところで八木橋先生はお元気でしょうか。立正で非常勤講師をなさっていたとき(埼玉県熊谷キャンパス)、先生の授業を前1列目で聴講していました。何度か声をかけてくださったこともありますが、昔のこと、もうお忘れになっているかもしれません(当時わたしは坊主頭でしたから、写真を見てもピンとこないかもしれません)。もう一度お会いしてみたい先生です。

投稿: 高尾 | 2005/04/29 12:24

Y先生は元気ですが、民俗学会の理事とやらで、多忙と聞いております。先般メールがあり、当方のパソコンの進歩に驚いた?と言う、リップサービス・メールをもらいました。お二人の出会う機会があると良いですね。

投稿: メドロ先生 | 2005/04/30 01:56

ありがとうございます。授業は江戸の民俗でした。授業の雑談で、オウム事件のまえに、「オウム教団について注目すべき」とご指摘になっていました。

投稿: 高尾 | 2005/05/02 14:36

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