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2005/04/22

(都市)「覗く」ということ―高い所からごめんなさい―

 都市という場は、いろいろな身分の者が、ひとつの空間にひしめきあいます。それが故の特別な問題があります。「覗く」という問題もそのひとつです。

 「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館所蔵)・「江戸名所図屏風」(出光博物館所蔵)は、江戸初期頃の江戸の様子を鳥瞰できる、希有な絵画資料です。なかでも目立つのは、町人地の角地に聳える三階建の建物、所謂「三階櫓」です。町人地になぜ城郭施設のようなものがあるのか謎ですが、武士の系譜をひく町人も少なくなかったためかもしれません。後にこの三階櫓は禁止され、建てられなくなります。ですから江戸初期のみにみられる特有の建物です。いまでいうところの高層ビルのイメージでしょうか。
 ……町人地の三階櫓が禁止された理由は「高貴なひとの屋敷が丸見えになってしまうから」なのだそうです(某氏ご教示)。史料にそうしっかり書いてあります。貴重な情報です。

 真ん中にあるのが三階櫓です。『江戸名所図屏風』(国立歴史民俗博物館蔵)同館ホームページより。
http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/edozu/layer4/pl343.html

 そういえば、現在の皇居前の東京海上火災ビルも、設計された当初より低めに建てられました。それは皇居が覗けてしまうからです(猪野直樹『ミカドの肖像』、小学館、猪瀬直樹著作集、2002)。いわば現代の「三階櫓」です。

 将軍の行列や朝鮮の使節が江戸のまちを通るとき「二階から覗き見をするな」という町触がよく出ます。
 行列を誰かが狙撃するのを防ぐ等、警備の対策もあるのでしょうが「高い位置から見下ろすのは失礼だ」という発想ではないかと思います(失礼といえば「朝鮮の使節に指を指して大声で笑うな」という町触もあります)。
 つまり「身分と物理的高さはなるべく一致させるべき」という考え方です。例えば、千利休が切腹を命じられた理由のひとつに、秀吉の行列の上に利休の木像を建てた、ということがある。その真否は措くとしても、むかしのひとの観念を窺い知ることができます。
 このあいだ、関東大震災をご記憶のおじいさんに、こういわれました。

「……そういえばね、むかし、お神輿を二階から覗くなって、よく云われたもんですよ。神様ですからね、あれは」。

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 滝田誠一郎(たきた せいいちろう)
ノンフィクション作家/ジャーナリスト。1955年東京生まれ。青山学院大学法学部卒。様々な分野で活躍する起業家、ビジネスマン、クリエイターらを主人公にしたヒューマン・ドキュメンタリーを数多く執筆。雇用人権問題・人事問題にも精通し、ビジネス評論にも定評がある。著書に『会社ニモ負ケズ人生ニモ負ケズ』(講談社)、『電脳のサムライたち』『孫正義/インターネット財閥経営』(以上、実業之日本社)などがある。現在、小学館の月刊誌『ラピタ』い《長靴を履いた開高健》を連載中。

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