(シンポジウム)地域をどう考えるか
江戸御府内の巣鴨は町方の具体的な様子(巣鴨町)がわかります。わたしが旧幕府引継書という古文書群を閲覧していたとき、「巣鴨町軒別絵図」という絵図の存在に気付いたからです。
『巣鴨百選』というタウン誌で、それを地元の方々にご紹介させて頂きました。また、絵図を学問的に分析した原稿、豊島区遺跡発掘調査報告書『巣鴨町Ⅵ』掲載、拙稿「『巣鴨町軒別絵図』と近世巣鴨町の諸相」は、先日ゲラがあがってきましたから、もうすぐ刊行されます。
さて、先日は地元の巣鴨でこの絵図についての基調講演を行い、街づくりのシンポジウムにも参加してきました。シンポジウムのパネリストとして、豊島区商工部長さん、福祉・建築・都市計画の研究者、歴史学分野ではわたしが参加しました(当日豊島区長さんもおみえでした)。非常に活気あふれるシンポジウムでした。わたしも街づくりについて発言を求められたので、そこで喋ったことを以下に掲載します。
わたしは現在の巣鴨については何も知らないし、江戸時代の絵図をみつけてきたということ以外に何の因果もないわけですから、「何か一言…」といわれて、何も戸惑いを覚えないことはありません。ただ「歴史学というちょっと変わったことをやっている人間の目からみて、現在の地域がどう映るのか」というのが趣旨でしょうから、その考えに従って発言しました。
巣鴨だけでなく他の土地にもあてはまることが多いかもしれません。そういう目でお読み頂ければと思います。
―以下、シンポジウムでの高尾発言(当日の発言をもとに再構成した)
・未来志向性の現代社会 わたしはさきほど50分ばかりお時間を頂いてお話させて頂きましたし、都市計画についてはまったく素人ですから、ここではわたしの思う街づくりについての雑感を、2つ・3つくらいお話するにとどめたいと思います。
みなさんもご記憶に新しいと思いますが、「南セントレア市」騒動というのがありました。愛知県のある自治体で、「南セントレア」という、まあ、その土地の由来には何の関係もない自治体名がつけられそうになりました。これは「これから新しい自治体をつくっていこう」という意識のあらわれなんだと思います。この未来志向な考え自体については一概に否定するつもりはございません。なぜなら、そもそも地域というのは、常に新しい要素を絶えず受け入れつつ、新陳代謝していかねばならないからです。ただ、「南セントレア」でおかしいなあと感じることは、未来志向性ばかりに偏向していることですね。いままで地域に堆積した文化を一切顧慮していません。考えてみれば、いまの世の中「これからどうなるのか」という話題ばかりです。占い・株価・国際関係の未来などなど。現在という〝点〟から常に未来へ顔が向いています。それが現代社会のひとつの特徴だと思っています。未来志向自体は結構ですが、しかしそればかりではいけません。
それでは逆に過去志向ではどうか。わたしは過去を扱う歴史学をやっておりますが、その立場からあえていわせて頂くと、過去志向ばかりでもだめだと思います。「むかしからAなんだから、Aじゃないとだめなんだ」という発想では発展性がありません。
したがって街づくりでは、未来志向・過去志向の両方をうまく混ぜて考えることが大事ではないかと思うわけです。
・文化財を「地域財」に それでは具体的にどうするか。この巣鴨には川越みたいな古い町並みこそ残っておりませんが、地域づくりにとても恵まれた土地です。先ほどもお話したように、「巣鴨町軒別絵図」が存在することによって、江戸時代の町並みがくわしくわかる旧・御府内でもまれな土地になりました。また幸運なことに考古学発掘が盛んです。巣鴨遺跡という埋蔵文化財指定地域になっていますから、旧・武家屋敷には武家屋敷の遺跡が、旧・町方には町方の遺跡が出てくる。建物の建て替えをすれば何かしら出てくるのです。
それに関して、地元の方とお話致しますと「いやあ、困ったなあ、お金はかかるし、工期は遅れるから」って仰るんです(笑)。でもよく考えれば、これは調査する側にとっても地元住民にとっても、不幸なことですね。「ここ掘れワンワン」じゅありませんが、本来は宝物である筈の文化財発掘です。「困ったなあ」と思ってしまうのは「文化財がちゃんと〝地域財〟として意識されていないから」ではないでしょうか。地域の財産として位置付ければどうでしょう。
たとえば町に出土したお皿や徳利を展示するスペースでも設ければどうか(ヨーロッパではお馴染みの光景だそうですが日本にはありません)。さらに「巣鴨町軒別絵図」の情報を歩道プレートに埋め込んで町並みを再現してはどうか。絵図と考古遺物でちょっとした町並み博物館ができます。
巣鴨を掘っていらっしゃる豊島区遺跡調査会さんは、『巣鴨百選』というタウン誌を使って発掘の報告を盛んにしていらっしゃいます。学問成果の地域還元という意味ですばらしい試みだと思います。みなさんにも是非読んで頂きたいのですが、わたしもそのご努力を学びたいと思います。
よく「文化財を大切にしましょう」といいますが、わたしはあまりこの言い方が好きじゃありません。なんだかお説教に聞こえてしまうからです。文化財を大切にしなければならないのは当然ですが、むしろ「地域のために文化財をどう利用できるのか」という議論から、文化財の大切さを説きおこすほうが、説得力があるんじゃないかと思うのです。
特にこの巣鴨では「巣鴨町軒別絵図」と考古学発掘の2つをもっておもしろいことができるのではないでしょうか。楽しみにしております。
・町並みにいろんな要素を わたしは江戸時代の研究をしておりますので、「いっそのこと、江戸時代の町並みらしく建物も改装したらどうか」と考えますが、地元の方々は昭和レトロで売り出したいそうです。
巣鴨に限った話ではありませんが、土地にはいろんな時代の要素がバームクーヘンのように折り重なっているのです。したがいまして、巣鴨の町の風景にも江戸・明治・大正・昭和・平成・未来の6つの要素を混ぜるようにして、彩りのある町にしてはどうかと思います。
ただ、江戸時代研究の観点から申し上げますと、「昭和レトロ」っていうのは、明治・大正時代の産物を受け継いでいる文化です。もちろんその背後には江戸時代がちゃんとあります。だから、われわれが「昭和レトロ」だと思い込んでいる文化の中には、実は江戸時代の文化が入り込んでいる場合が多いんじゃないだろうか、と思うわけです。
たとえば先ほどお話ししたように、「巣鴨町軒別絵図」から推測した軒別の間口平均値が、いまのビルの幅とほぼ一致していたり、江戸時代の巣鴨町の住人の御子孫がお住まいになっていたり、江戸時代からお客さんをもてなす「もてなしの街」であることも、一切変わっておりません。
……といろいろ申し上げましたが、何分わたしは現在の巣鴨をあまり知りませんし、都市計画についても素人ですから、きょうご出席の先生方のご意見やみなさんのお知恵なども一緒にあわせまして、いい街をつくって頂きたいと思っています。
(付記)「週刊! 木村剛」 第43回「BLOG of the Week」「実名で書くなんて勇気がありますね?!」 「週刊! 木村剛」の「BLOG of the Week」に選んで頂きました。これで木村さんに選んで頂くのは3回目になりました。アクセスも多く頂きました。この場をかりてお礼申し上げたいと思います。
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コメント
歴史とまちづくりはむつかしい
私の故郷は鈴鹿郡関町でして、ここは文化庁が重要伝統的建造物群保存地区に選定をしたところです。
江戸時代の東海道の宿場町の町屋景観が1・8kmにわたって連なっているのですが、選定を受けた昭和59年頃から、やたらと江戸化してしまいました。鋳物製の赤ポストは明治初期の黒い色の「書状集箱」にかわるなど・・・しかして一方では高札場を復元するのあたって、肝心の高札の文字はなぜか、「楷書」。担当者によると読みやすさを優先したとのこと(要はニョロニョロは一般人が腰を引く)
高札場の屋根は東海道宿村大概帳などの史料によると、桧皮葺なのですが、瓦葺ですませています。
文化庁が選定する地区でもこんなんですから、まちづくりと歴史はあやうい関係。
巣鴨も江戸化するのか昭和化するのかわかりませんが、受けねらいでやるものではないですね・・・
せいぜい、歴史研究の成果が利用されるに終わらぬよう期待したいものです。
投稿: 寺嶋 吉明 | 2005/04/06 12:45
コメントありがとうございます。なるほどそうですか。歴史研究と現実の社会とのズレはどうしても出てきてしまう問題ですね。もちろん極限まで縮められればそれに越したことはないのでしょうが、なかなか難しいようですね。
投稿: 高尾 | 2005/04/06 13:19