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2005/04/03

(恐れながら)100年前のテスト答案、曾孫が採点

 わたしの母方の曾祖父、三重県三重郡三重村生桑の地主の息子加藤退祐(かとう・たいすけ 1893~1924)は小学校訓導でした。結核を煩い満31歳でこの世を去りました。この退祐が生徒時代に記したテスト答案用紙が加藤家の蔵の中に残っていました。みつけたときは吃驚りでした。
 曾祖父の100年前のテスト答案をみているとなんだか不思議な感じがします。答案の中の曾祖父はわたしよりはるかに年下なのです(!)。予科2年とは四日市商業学校予科2年生のことで15歳になります。明治41年(1908)。退祐公には失礼ながら不肖の曾孫善希がこれを批評し奉らんと存じます。なんだかわたしの方が緊張します。

 さて答案は「山吹」と「我が元旦」の2枚です。重複する無用な表現があるところなどに、多少の未熟さを感じるものの、構成としてはよくまとまっています。
 「山吹」は現代と同じ言文一致体(「である」調)で、「我が元旦」は文語体(「なり・たり」調)で書かれています。当時の学校では両様の書き方を習ったようです。教師側の評価は朱筆でもって「山吹」に「能し」(よし)、「我か元旦」に「善し」(よし)とあります。どちらもまず合格だったようです。

 まず「山吹」。引用されている「七重八重」という歌は「後拾遺和歌集」にあるもので、太田道灌の故事でも有名です(太田道灌の故事は当時の教科書に載っていたものでしょうか)。むかし「山吹は実を結ばない」という俗信があったことの証拠として、効果的に引用しています。

   山吹 予科第二学年甲 加藤退祐
山吹の花は夏の始めに開き、葉は深緑色で花は黄金色である。この黄金色の花と深緑色の葉との配合色がいかにも華美で、下品といふ人もあれど、そこになんとなく赴き(「趣き」の誤字)があるように思はれる。山吹の実を結ぶといふことは、博物の本にかいてあるが、諸種の本を見れば、実を結ぶとも結ばないともかいてある。古き歌に「七重八重 花はさけども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき」といふ歌もある。この歌によれば実(は)ないようである。しかし植物の本にはまさかうそはかくまい。それで実を結ぶに相違あるまい。古人は自分が見ないから、実を結ばぬものと心得違いをしたのであらう。そうはいふものゝ、われもまだ実を見ないから、たしかな判断はできないのである。
(句読点・括弧等はわたしが補った。旧漢字は新漢字に直した。)

 「我が元旦」。元旦の雰囲気がよく出ています。元旦一日の気象の転変が、まるで一年間の転変を象徴しているかのようです。締めの言葉「まちにまちたる元日も夢の間に過ぎたり」という文句が明治人らしい。また「ころころ」「ばらばら」という擬声音語が多用されているところは一見幼くみえますが、明治時代の文章に一般的にみられる傾向でした(前田愛『近代読者の成立』<岩波現代文庫、2001>)。

   我が元旦 予科第二学年甲組 加藤退祐
新玉の、年たちかへりてさしのぼる、朝日のかげうらゝかに、戸毎にたてた日の御旗を、そよく風に翻へり、老も若きも満面に、あふるゝばかりの笑をふくむ。早朝より雪は降り出して、身を切るばかりの北風は、細い悲い声をして、雨戸へあたる雪の音は、物凄く聞ゆ。外套(コート)にて全身を覆ひて、一人の友と共に拙宅を出発し、此烈風と戦ひて遂に当校に着し、新年拝賀式をゝへて帰らむとす。雪はますますはげしく降りて、面をも向けがたし。はや積雪五・六寸に及びて歩行に困難し、漸くにして帰宅せり。午後風なぎたれば、小供は竹馬に乗つて走り、小犬はころころ転びまはり、雀がそこらの枝で羽叩きする度毎に、ばらばら、ばらばら、其の花の散るのもおもしろし。午前は粉雪、午後は綿雪、終日間断なく降りたり。まちにまちたる元日も、夢の間に過ぎたり。
(句読点・括弧等はわたしが補った。旧漢字は新漢字に直した。)

 音読してみると気持ちよく、文章のリズムによく配慮してあることがわかります。やはり昔のひとは文章を音読したのではないかと思います。今のわたしにこんな文章を作れといわれても、「うーん」というところでしょう。曾祖父退祐公はすごい。脱帽でございます。採点なんてとてもとても。曾祖父退祐公に両方とも100点を奉ります。曾孫は恐れ入りました。

(付記)このテスト答案の公表の是非をめぐってわたしの母親(退祐孫)と相談しました。「もう加藤の家も断絶したし100年前のことだから差し支えなし」という結論になりました。曾祖父にあったひともこの世にもういないかもしれません。

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コメント

明治の子供の作文、立派です。昨今売れてるらしい安易なハウツウものなど必要ないですね。今は教育が狂っているのですね。
S区の教育史の、T君という子供の日記も面白いですよ。

投稿: メドロ先生 | 2005/04/03 09:57

ほかにもいろいろな書類があったように記憶していますが、いま何処にあるのやらわかりません。もう燃やしたということも聞きましたが、はっきりしません。祖母の一周忌のときちょっと探してみたいと思います。

投稿: 高尾 | 2005/04/03 14:05

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