(落語)江戸時代の言葉、わかる?―「恐惶謹言」と「仍(依)て如件」―
テレビの芸能人の離婚会見では、「価値観の相違で」といっているのをよく目にします。ほんとうは夫婦で唾をとばしあって罵りあったり、鍋や皿を投げあったりして喧嘩したに違いないのだけれど、「価値観の相違」というムツカシイ言葉がいきなり出てきて、なんだか煙に巻かれたような気分にさせられてしまう。しかし、芸能人というイメージが売りの職業ですから、世間体に疵がつかないように、当人同士「ここで手打ちにしましょう」ということなのでしょう。
夫婦にもいろいろあります。
たとえば古典落語の「たらちね」。身分違いで結婚した夫婦があって、「京都のお屋敷者」で由緒ある武家に生まれたのが奥さん、しがない長屋暮らしの「八つあん」が旦那さん、という設定です。奥さんが難しい言葉をつかって旦那さんを困らせます。両者のミスマッチが笑いを誘います。
ここでは、育ちのよい奥さんがムツカシイ言葉ばかり使います。ここでは「価値観の相違」ではなく「言葉の相違」が問題になります。でも、この夫婦、不思議なことに何だかうまくいきそうな雰囲気です。
「あーら、わが君、あーら、わが君」
「へえ、あっしをよんだんでござんすかい? あらたまってなんでござんす? なにか気にいらないことでもできだんで?」
「いったん偕老同穴のちぎりをむすぶからは、百歳(ももとせ)、千歳(ちとせ)を経るといえども、かならず変ずることなかれ」
「へー、どうもむずかしいことになっちまったなあ。あっしゃあ、職人のことでござんすから、そういう他人行儀のことでなくて、ざっくばらんにもうすこしわかるようにいっておもらい申してえもので……まあ、とにかくもおやすみなさい」
興津要編『古典落語』上(講談社文庫、1972)
奥さんのいう「百歳(ももとせ)、千歳(ちとせ)を経るといえども、かならず変ずることなかれ」というような言葉使いは文語体であって、話し言葉にはふつうは使わないでしょう。あくまで落語の〝ねた〟です。
またこんなやりとりもあります。
「もはや日も東天に出現ましまさば、御衣(ぎょい)になって、うがい手洗(ちょうず)に身をきよめ、神前仏前にみあかしをささげられ、看経(かんきん)ののち、ごはんめしあがって、しかるべく存じたてまつる、恐惶謹言(きょうこうきんげん)」
「おい、おどかしちゃいけないよ。めしを食うのが恐惶謹言なら、酒を飲むのは、よってくだんのごとしか」
前掲同書より
この会話が最後で「たらちね」は終わります。ここは落語で一番大事な〝おち〟の部分ですが、いまのひとには、いまひとつわかりにくいでしょう。
「恐惶謹言」(きょうこうきんげん)は手紙の書留文言で、「仍(依)て如件」(よってくだんのごとし)は証文の書留文言です。これを知っているひとはここで笑います。しかし知らないひとは笑えない。いまではすっかり使われなくなりましたから、落語として成立しえなくなったようです。これに関して興津要さんの文章から。
たらちね
別名を「たらちめ」ともいい、江戸時代のおわりごろに、大坂落語「延陽伯」(えんようはく)を江戸に移入したもの。無骨な職人と優雅な嫁との夫婦の対照的なおかしさをえがいた滑稽噺で、笑いが多いところから若い落語家がよく口演する。ただし、「恐惶謹言(きょうこうきんげん)、依てくだんのごとし」などという文章が、書類や手紙などにもちいられなくなった現在は、この噺のおちがわかりにくくなってしまった。
前掲同書、興津要さんの解説より
ただ、わたしの授業(史料講読)ではこの話をよく学生さんにご紹介しました。落語の〝ねた〟に使われるくらい、「恐惶謹言」「仍(依)て如件」は、むかしはよく使われる言葉だったのですよ、というふうに。なかなかいいアイデアでしょう?
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コメント
そのブログランキング3位おめでとうございます。
申し遅れました拙者、ギター侍(笑)
すいません。ギター弾けません。
その前にギター持ってないし。
ずばり単刀直入に言います。
あなたの知り合いになりたい。
投稿: 徳川 高則 | 2005/02/21 18:56
徳川さん、はじめまして。かつて1位だったことがあるのですが転落しました(別に順位は気にしていませんが)。一度書き込みされた方は、全てお知り合いです。どうぞよろしく。
投稿: 高尾 | 2005/02/21 23:01
ぜひ、力を貸していただき御協力お願いします!
内容は僕のブログを見れば分かります!
投稿: ゆうちん | 2006/02/03 17:17
拝見いたします。お力になれるかどうかはわかりませんが…。
投稿: 高尾 | 2006/02/03 17:37