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2005/02/18

(人生の岐路)国家公務員「日本史を研究したい」、どうする?

 ひとから「こんなのがあるよ」と、インターネットの某匿名掲示板を教えてもらいました。
 この掲示板では、あるひとが質問文を書き、それに対して多くのひとが返事を書く、というシステムをとっています。もちろん双方匿名。本で調べることができない性質の疑問、いまさら恥ずかしくてひとに聞けない疑問は、誰しもあるものです。その場合にはとても便利な掲示板です。
 さて、その掲示板にこんな質問が出されていました。25歳、女性の方(全文を引用しますので掲示板名・ハンドルネームも伏せておきましょう)。

 25歳の国家公務員です。最近、子どものときから興味のあった日本史を専門的に学びたいという気持ちが強くなり、退職を考えています。いずれは研究職に就きたいというのが希望です。18歳の大学受験の際は恥ずかしながら「いい大学」に受かることに必死で、学部よりも大学名で選んだ結果、卒業したのは経済学部です。そのため、まずは史学科の3年次に編入する予定です。不安はただひとつ、研究職に就ける可能性はあるのか、ということです。人文系の研究職といえば大学の教員くらいですが、18歳からその分野を学んでストレートに博士課程までいった方でも採用されるのは難しいと聞いています。わたしのように研究分野に関係ない回り道をしている場合は年齢的な面からもさらに不利になることもあるかと思います。研究職に就く方法を自分なりに調べてはみたのですが、情報自体が少なく実態が掴めません。可能性がゼロでなければ突っ走るつもりですが、それでも実情がわからないままでは不安で、つい質問してしまいました。20代半ば以降から研究職を目指された方がいらっしゃいましたら、体験談などぜひお聞かせください。宜しくお願いします。
 大学は「大学名で選んだ」というから、おそらく偏差値の高い高名な大学を卒業された方でしょう。大学では経済学を学ばれ、現在は職業は国家公務員。本人はどういうかわかりませんが、絵に描いたようなエリート・コースを歩まれている、といっても過言ではありません。それが「子どものときから興味のあった日本史を専門的に学びたいという気持ちが強くなり、退職を考えています」とまで思い詰めてしまった。
 ご本人は年齢のことを気にされているようですが、現在25歳というからまだまだお若い。わたしは、史学科に学士入学なぞせずに、いきなり大学院史学専攻に受験されることをおすすめしますが、その場合、計5年間(修士課程2年・博士課程3年)の大学院全課程をおえる頃には、彼女は30歳です。概ね35歳が就職のリミットとされていますから(といっても34・35歳で就職される方も多い)、それにはまだ5年も余裕があるわけです(!)。まだまだです。
 それより問題は「研究職につけるかどうか」でしょう。かなり困難な道だといわざるを得ません。若くして良質の論文を出し、単著を出したりしている方でも、就職できていない方はゴマンといます。もちろんこの菲才なわたしも現在31歳、妻持ち子持ちの非常勤身分です。
 けれども、学問は研究職につくためにするわけではありません。お金儲けをするためでもない。「研究をするぞ」という信念が自分を支えます。もちろんそれで一生安泰に飯が食えれば文句はありませんが、せめて非常勤身分でも、世の中の片隅に置いて頂ければ有り難いと思わねばならない。あるひとが「筆は1本、箸は2本、〝衆寡敵せず〟と知るべし」といいましたが、まさにそのとおりです。この相談者の方も、エリート・コースを捨ててまで学問の世界に身を投じようと考えるほどですから、漠然と覚悟はされていることと思います。わたし個人的には、是非そんな方に我々の仲間になって欲しい、と思っています。
 それにしても、寄せられた返事コメント中に、「絶対無理だ」などという否定的見解が多いことに驚かされます(匿名掲示板の情報は玉石混淆です)。もし彼女が天才だったら、どうするつもりなのでしょう? 彼女もまだ自分がわかっていないということもありえます。
 また、もし彼女が不幸にして夢敗れたとしても、彼女自身、悔いのない人生を歩んだことに満足して一生をおえれば、それはそれで価値のあることです。これから先は彼女の人生観に属することですから、他人がどうこういう話ではありません。

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コメント

 初めてコメント致します、ししまると申します。
 日本史の研究職を目指したいという方のお話を読んで、いろんな意味で共感してしまいました。私はたまたま京都が好きがきっかけで、某通信教育の大学で仏教文化について勉強していますが、元音大卒の現在OL(もう30も後半ですが)をやりながらです。勉強をしているといっても、自分自身の基礎となる知識などは決定的に足りないのは、やればやる程痛感します。
でも、やるしかないし、やっていて本当に楽しいのが現状です。たまたま私の卒論担当の教授も回り道をされた経験をお持ちで、私のような学生にも一生懸命指導して下さいます。
 どんなことも仕事としてやっていく事は生易しい事ではありませんが、一度しかない人生、悔いのないようにして欲しいなあと思いました。
 最後になってしまいましたが、いつも楽しく拝見しています。これからも様々な江戸時代を見せていって下さい。

投稿: ししまる | 2005/02/18 21:20

ししまるさん、コメントありがとうございました。ししまるさんのような方のコメントこそをお待ちしておりました。たいへん嬉しく思います。

言い忘れましたが、正職大学教員の歴史学者でも、所謂“まわり道”をされた方は珍しくないのです。これも先の国家公務員の方にお伝えしておくべき情報です。あるひとにいわせると“まわり道”をした分だけ余計に一生懸命になるのだそうです。それはあるかもしれませんね。

勉強が「やっていて本当に楽しい」ししまるさんも、ぜひ大学者になってください。「楽しい」がいちばん力になります。わたしも楽しんでがんばります!

投稿: 高尾 | 2005/02/18 23:07

エントリーを読んで、わが家でもダンナさんといろいろ話合いました。うちのダンナさんも、高尾さんと同じ意見です。
研究することと、職につくことは別モノ。研究職に就きたくて研究するというのなら本末転倒ですものね。
ちなみにうちのダンナさんも、大学を出て家業を継いだものの、研究を続けたくて大学院へ進学しました。

質問者の経歴を見て、中世史の今谷明先生を思い浮かべました。今谷先生は、京大の経済学部を出て国家公務員のエリートコースを数年間経験した後、大学院へ進んでおられます。彼女に、今谷先生の自著伝『日本中世の謎に挑む』を進めたいです★

投稿: ラン2 | 2005/02/19 00:38

ラン2さん、コメントありがとうございます。「研究職に就きたくて研究」していたひとも知っています。そのひとは、一時期すごいエネルギーでしたが、やがて将来に幻滅すると、研究をやめてしまいました。
研究自体が楽しくて続けて、自然に結果がついてくる(?かもしれない)という感じが、一番のぞましいのかもしれませんね。

ラン2さんにいわれて思い出しました。今谷先生の『日本中世の謎に挑む』は、まさに相談者の方におすすめですね。

投稿: 高尾 | 2005/02/19 09:49

はじめまして。bunと申します。

拝読して「絶対無理」と書かれている方よりも
きっと質問されている女性の方が
遙かに優秀だろうと思いました。
高尾様の回答、現実の厳しさを知りつつも
同じ志を抱いていらっしゃる方への
思いやりに満ちたもので大変感服しました。
質問者様の目に触れますように。

投稿: bun | 2005/02/20 12:18

bunさん、コメントありがとうございました。

相談者の文章は別サイトのものですが、同じような悩みをもっている方がほかにもいらっしゃるのではないかと思い、あえてとりあげさせて頂いた次第です。

以上のわたしの答えではまだ不充分でしょう。もっと具体的な相談事は専攻の先生や院生などにしたほうがよいと思います。学会の懇親会に出席すればたやすくコンタクトをとることができます。もっとも彼女なら既にそれくらいのことはしていらっしゃるかもしれません。

投稿: 高尾 | 2005/02/20 15:18

 なかなか難しい問題でございますね。実は私自身、史学科を卒業後、20代後半から再度勉強を始めました。2年前に、ようやく通信制大学院の修士課程を出たところです。その間、コツコツと勉強し、いくつかの研究誌に駄文を掲載いただきました。この3月には、社会人向けの大学院博士課程を受験しましたが、多分ダメだろうと思います。
 確かに研究職に就くとなると、実力もさることながら、運も必要でしょう。私の知人にも、博士号を持ち、専門書をたくさん執筆していても常勤職につけない方が結構います。現実に、大学の数は減り続け、日本史関係の科目も減りつつあります。博物館、美術館等も民営化が進みつつあるようで、なかなか厳しいとうかがっております。大学の非常勤講師でさえも、奪い合いという状況だそうです。環境的に見れば、恐らく昔回り道をされた先生方とは、比較にならないように思います。
 恐らく周りの方に相談すれば、「やめておけ」というでしょう。でも研究者として、自身の研究に打ち込みたいということなら、早いうちがいいように思います。自分の人生に後悔しない等意味でも、25才という若さなら、ぜひチャレンジしてほしいものです。その代わり、厳しい現実が待ち受けていることを十分覚悟のうえでのことですが・・・。
 私のように途中参加で、かつ職を持ちながらの勉強では、自ずと勉強に限界があります。同年代で若い頃からみっちり鍛えられた方との差をひしひしと感じます。私自身、もっと早く決断していたら・・・と思うことがしばしばあります。でも年に1・2の論文・研究ノートを書き、地方自治体史を執筆し、ときどき生涯教育講座で講演し、それなりに歴史とかかわれる現状に満足していますが。
 取り止めがなくてすみません。

投稿: 渡邊大門 | 2005/02/20 21:27

渡邊さん、ありがとうございます。この話題はひとを引きつけるものがあるようで、いつもよりもたくさんコメントを頂いています。

仰るように、大学は冬の時代を迎えています。大学教員とてむかしのイメージの大学教員ではない。また、将来存在するものかどうかもわからないとなると、相談者の目指すものはいったい何か……という問題が出てきてしまいますね。

「学士入学します」という相談者の発想はまず常識的発想でしょう。しかし彼女が決断しようとしている史学研究者の人生は非常の人生です。それであえて大学院入学をおすすめしました。これについてはおそらく賛否があるでしょうから、まずはいろんな方に相談して、自分で決めるのがいいでしょうね。

わたしはストレートで大学→大学院修士課程→大学院博士課程→オーバー2年→博士号とやってきました。しかし、わたしは非常勤なのに家族を支えていますから、崖っぷちです。ちょっと状況が変われば、しばらく歴史の世界とおさらばしなければならないかもしれません。だからわたし自身も、相談者の方と同じように、人生の岐路に立っています。

投稿: 高尾 | 2005/02/20 22:01


私見では
映画「ラスト・サムライ」の成功以降、
プロデュースの仕方次第では
show bizで
日本史の成果を売ることができる
状況になってきている。

主として食文化とアニメ・ドラマの
おかげだが、
ハラキリ・ゲイシャ・フジヤマ等々の
紋切り型以上のものを見ようとする視線が、
以前にはなかった日本文化に対する視線が、
海外で生まれている。
時期的にはある意味この上ない大チャンスだ。

ことさらに右がかった考え方を
しない一般的な国民であっても
「ラスト・サムライ」を
アメリカに作られたことに対して、
むしろ日本の専門家が作って
輸出すべき内容ではなかったか等の
複雑な思いを抱いた方も少なくないと思う。
私もその一人。歯がゆかった。

たとえば研究で直接貢献できないと思えば
お金を引っ張ってくる仕事で貢献するのも
優劣のない貢献であろう。
そうして引いた水路で
後進がどれだけ潤うことか。

それでもやはり清貧なのだろうか。
そうした海外の需要・声に応えることが
「商業主義におもねる」とか
「拝金主義」なのだろうか。
俺は全く違うと思う。

一度はそういう声を
必ず聞くことになるだろう。
しかし最後には歴史が
そうでなかったと判断してくれることに
なるだろうと思う。

お金でないという人は
お金でまみれている場所で
そう声高く主張すべきだろう。

投稿: bun | 2005/02/21 12:46

bunさん、毎回ありがとうございます。わたしは歴史学で街おこしをすることに興味があります。まだ漠然としたことですが。将来そんな仕事ができたらと思っております。

投稿: 高尾 | 2005/02/21 23:14


もしそうした街おこしに少しでも
税金が導入されるのであれば
私は徹底的に反対したいと思います。
これまでの同様の企画の顛末に
辟易しているからです。

私は税金の補助等、国の援助なしに
独立採算で利益が出て
はじめて成功だと思っていますが、
日本人相手に歴史学をやっても
そうした成功は
決して得られないことでしょう。
やはり海外で日本人以外の方に
その企画を実現してほしいと思います。

正直なところ、このHPから伝わる
あなたの人となりを拝見して思うのですが
今までのところ
あなたは自分でおっしゃった企画も
きっとやらないしやっても失敗するでしょう。
これまでの人付き合いの経験から
ほぼ確実にそう思います。
あなたのように人当たりのよい
憎めない感じの方がひどい赤字を残して
ことごとく逃げていったのです。

私は自分が人に伝えた言葉を
忘れる人間ではありません。
厳しい言葉ならなおさらです。
失礼だと思われるのであれば
いずれ私を必ず見返してくださいね。
お願いします。見返されたら
この無礼必ずお詫びします。

投稿: bun | 2005/02/22 10:08

お言葉ありがたく承りました。

投稿: 高尾 | 2005/02/22 11:16

最近のニュースで地理の理解力が落ちたとか。歴史についても同じかな。教科書問題と騒いでいますが、本当は、校長の力量が不足しているのではと思います。校長の権限は結構あるはずなのに。と感じています。

投稿: ちだあつし | 2005/02/27 20:30

コメントありがとうございます。学校のことはよく知りませんが、核家族化などで、日常生活レベルで歴史にふれる機会は、減ってきたかもしれません。

投稿: 高尾 | 2005/02/27 20:47

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