(金銭)小銭を数える―落語「時そば」から―
みなさんはどうかは知りませんが、わたしは小銭があまり好きではありません。たとえば、コンビニエンス・ストアで100円のガムを買う場合にしても、後ろにほかのお客さんがいなければ、10円を10枚用意して支払うようにしています。小銭をジャラジャラ持ち歩くと財布が重たくなり、煩わしさを感じるからです。また、小銭で支払ってくれた方が、ストアの方でも都合がいいのではないでしょうか。
小銭といえば、みなさんは「時そば」という落語をご存じでしょうか。あまりにも有名な落語なので(おそらく落語の中で一番有名な落語です)、聞いたことがあるという方も多いのではないかと思います。
そば屋である客が支払いをだますという落語です。そば屋は「二八そば」(にはち・そば)で、「にはち・じゅうろく」(2×8=16)で、一杯16文という直段です。ご存じない方のために、「時そば」におけるそば屋と客の問答を、以下に引用しましょう。
「いくらだい?」
「十六いただきます」
「小銭だから、まちげえるといけねえや。手をだしてくんねえ。勘定してわたすから……」
「では、これへいただきます」
「いいかい、それ……ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、何どきだい?」
「へえ、九刻(ここのつ)で」
「とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六だ。あばよ」
「時そば」興津要編『古典落語』(講談社文庫)
客は16文を支払うのに1文銭16枚で支払います。その途中で客が「何どきだい?」と時刻を聞き「九刻(ここのつ)」とそば屋が答えたところで、「とお、十一、十二……」と数えているので、9文めを支払っておらず、1文ごまかしているのです。
そば一杯16文、ふつうはどうやって支払うのでしょう。そばに限らず、銭の直段には4文・8文・12文・16文・32文等と、一見半端な数が多いのです。
江戸時代の銭は、一文銭だけでなく、明和年間から四文銭という銭貨があり、たいへんに流通しました。裏に波模様がついているため「波銭」とも呼ばれています。串団子の玉が4つなのは四文銭の影響といわれています(注1)。4文・8文・12文・16文・32文と4の倍数のものは四文銭で支払えばよい。
さきの落語「時そば」のそば16文の支払いも四文銭4枚で支払えばよいのです(4×4=16)。なのに何故わざわざ客は一文銭で支払うのか。
もちろん一文銭で支払っても全く問題ありません。わたしのように小銭の嫌いな人間が、江戸時代にもいなかったとも限りません。しかし多少は奇妙です。「奇妙だなあ、何故一文銭で支払ってんだろう?」と思っていたら、何と支払いをごまかすためにしていた、というのが笑いのつぼです。ここを理解して落語「時そば」をまた聞き直せば、ちょっと違ったおかしみが出てくるかもしれません。
(注1)よくいわれている話なのですが史料出典を知りません。ご存じの方はご教示ください。ところで串団子が4玉だとすると「団子3兄弟」というのは何なのでしょう。3玉の串団子もなくはありませんが……。しかし今のご時世、4人兄弟の家族はあまりいませんから、4玉では唄にはなりませんね。
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コメント
いつも楽しく拝見させていただいております。
串団子と四文銭の話は、手元にないのでその出典はわかりませんが、以下の文献で述べられていました。
・鈴木晋一「串団子と四文銭」(『日本歴史』572号、1996年1月)
私も、団子三兄弟が流行った時に、よく周りに「あれは団子としてはおかしいのだ」と、四文銭のエピソードを交えながら語っていました。
それでは今後ともよろしくお願いします。
投稿: かっちん | 2005/02/03 11:42
経済史がご専門のかっちんさんから貴重な情報を頂きました。ご教示ありがとうございます。お陰様でこれで授業のネタに使えます(来年度からまた大学の非常勤講師をつとめます)。インターネットは便利ですね。
大学教員の方から「授業でブログのネタを使わせて頂きました」とのご報告を頂くことがあります。このブログ、ほんとうに授業でつかえるネタ集として利用されているようです。
投稿: 高尾 | 2005/02/03 12:36