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2005/01/22

(雑感)落とすひとあれば、拾うひとあり

 去年のある日の夕方、わたしは東京区内の某駅をぶらぶら歩いていました。すると一見品のいい中年のご婦人が「あのう、すみませんが」と声をかけてきました。
 それで「はい、なんでしょう」と答えると、そのご婦人、「まことにお恥ずかしい話なのですが」とモジモジしている。よく事情を聞いてみると「父が急病という知らせをうけ、本千葉まで行かねばならない、それで慌てて家を出たものの、途中で財布の中身が乏しいことに気がついた、キャッシュ・カードももっていないのでどうしようもない、だから少々お金を拝借願えないか」ということでした。それで、わたしの連絡先と少々ばかりのお金を、彼女に手渡しました。彼女は「ありがとうございます、すぐにお返しにあがりますから」と、丁重に何度もお辞儀をしていました。
 そのあとすぐ「しまった、馬鹿なことをした」と思い返しました。これは詐欺じゃないか、だいたい交番に行って事情を話せば少々は借用してくれる筈ではないか、そして何故彼女の名前と住所を控えておかなかったのか……。
 ひとから「お人好しすぎる」といわれましたがあとの祭り。やはりそのお金は返ってきませんでした。あれが演技だとしたら名演技で、たぶんそんなことを職業(?)にしているかたなのでしょう。お金が返ってこない悔しさよりも、裏切られた悔しさのほうが大きい。そもそもわたしが馬鹿なのですが、それにしてもイヤな世の中になったなあ、と感じました。

 以上とは別のはなしです。先週、急ぎの原稿を書く用事で、東京区内某所の風景写真を撮ろうと、一眼レフ・カメラをもって家を出ました。
 その電車の中、ほかの原稿のことなどもいろいろ考えて、あたまがゴチャゴチャになっていました。そんなときには油断があって何か事件をおこすものです。……何と電車の中に一眼レフ・カメラを置き忘れてしまったのです。
 下車して暫く歩き、駅を出たところでそれに気がつき、慌てて駅に戻って遺失物係に連絡しました。しかしいつまでたっても「みつからない」という返事。なんという馬鹿なことをしたんだ! ああ万事休す。悔やんでも悔やみきれない。高価な品を落としてしまったというショックよりも、思い出の品を失ったショックの方が大きかった。史料調査で長く使っていた一眼レフ・カメラだったからです。いろいろな史料を撮影してもらった一眼レフ・カメラに申し訳なくってしょうがない。
 それで「もうなくしてしまっただろう」と諦めていたころ、駅の遺失物係でなく、警察署から「あなたの一眼レフ・カメラがあるよ」という連絡が入りました。ある方がみつけてくれて警察署まで届けてくれたのです。
 幸運なことに、一眼レフ・カメラの入ったケースに、偶然わたしの名前・住所を書いた紙切れが入っていたのです。電車の中でみつかったのではないのが不思議でしたが、とにかく無事に返ってきたので、ほんとうによかった。
 拾って頂いたYさんにお礼を申し上げます。さきの詐欺のイヤな経験も何処へやら、やっぱり世の中捨てたもんじゃありません。ひとのあたたかさが身に沁みた経験でした。

 落としては拾う。そうやって禍福は縄のように繰り返すのでしょうか。いや、そんな馬鹿なことをいっていてはいけません。すべてはわたしのドジに始まったのですから!

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