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2005/01/19

(作家)司馬遼太郎さんの文章の謎

 歴史学の専門家にも評価される歴史小説家は、あまり多くはありませんが、司馬遼太郎さん・吉村昭さん等は別格でしょうか(それでも批判はあるようですが)。わたしは好んで読んでいます(注1)。というより歴史小説から歴史好きになったくちです。
 もちろん、学術論文と小説とでは、分野が違うから、優劣の議論は成立しません。ただ、特に司馬さんには、史実とフィクションとを交ぜてお書きになる傾向があるため、読者に両者がわかりずらく、戸惑わせる面はあります。そこは批判点としてありうる議論かもしれない。
 しかし、そうではあっても、基本的には「小説から先は各自で勉強してください」ということではないでしょうか? 「小説は嘘ばかりだ」と目くじらをおたてになる方がいらっしゃいますが、それはどうでしょう。講釈師の〝嘘〟に腹を立てるようなものだと思います。小説の内容に興味をもって、それがきっかけで、もとの史料にあたるようになるというのであれば、それはそれで結構なことではないか、と思います。そうでなければ、物語として楽しめばよろしい。時代劇の時代考証にしてもしかり。

 ところで(以下別の話題になります)、司馬遼太郎さんの文章中、わたしにはわからぬ言葉があります。
 以下は司馬遼太郎さん『歴史と視点―私の雑記帖―』(新潮文庫)「見廻組のこと」という一編から。幕末、幕府が京都に設置した〝警察組織〟見廻組についての説明部分。

見廻組というのは新選組が浪士結社であるのに対し、直参の子弟から志望者を募って組織されていた。そういう建前だが、直参の子弟でそれを望むのがすくないため、末期にはだいぶ浪人を召募したりしている。新選組なら近藤勇にあたる職の組頭というのが、大名であった。蒔田相模守広孝という者で、蒔田家はわずか一万石とはいえ、代々備中に所領をもっている。が、蒔田相模守の組頭というのはごく形式的なことで、直接指揮はしていない。じかに官営テロリズムの指揮をとっていたのは、よく知られているように直参の佐々木唯(只)三郎であった。佐々木は末期には千石の旗本だったから組頭として通用していたが、実際の職名は与頭(よがしら)といったらしい。(119頁)

 ここで司馬さんは、わざわざ「与頭」に「よがしら」とルビをふり、「組頭」と違う職名として説明なさっています。これは本当のことなのでしょうか?
 というのは、ふつう「与頭」は「くみがしら」と発音し、「組頭」と同じ言葉として使われるからです。そもそも「与する」は「クミする」と読みますから、「組」=「与」で、両者の間でよく文字の置き換えが行われます。たとえば、村方文書でもよく「組頭」が「与頭」になっていますが、これは同じものをさしています。この種のことは日常茶飯です。さらに、上記の引用文中にも、「佐々木唯(只)三郎」とありますが、「唯三郎」でも「只三郎」でも、江戸時代の人間はどっちでも書いてしまうわけです。
 佐々木の「与頭」の場合は本当に「よがしら」でしょうか。ちなみに幕府職制での「小性組与頭」の場合「ともがしら」と発音するらしい。
 司馬さんはお亡くなりになったので、いまとなってはお訊ねすることもできません。うーむ。

(注1)司馬遼太郎さんの著作本はほとんど読みました。とりわけ紀行文『街道をゆく』シリーズが一番長かったのですが読破。『街道をゆく』読破のコツは、日本全国地図を買ってきて、登場した地名に印を付けながら読むことです。

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コメント

初めまして。富田といいます。
私自身は、とある編集プロダクションで働いているのですが、
今度、出版社の友人が歴史や伝説に関する新しい雑誌を
出すそうなんです。
今、その雑誌に協力してくれるモニターを募集しているというメールが来ています。

こちらのホームページを見つけて、テーマに近いかもと思ってメールしました。
もし良かったら、モニターとかいかがですか・・?
特に細かい条件とかはないみたいです。メール頂ければ、
詳しいお話しをご連絡します。お待ちしてます。

富田美咲
misaki@writeup-ec.jp

投稿: 富田美咲 | 2005/01/19 14:21

ありがとうございます。まずお話をおうかがいしたく存じます。メールお送りします。

投稿: 高尾 | 2005/01/19 21:38

どうも、はじめして、松裕堂と申します。

「与頭」と「組頭」の件ですが、これは同一の役職のハズです(よみは「くみがしら」で)。

見廻組は上から順に見廻役、与頭、与頭勤方、見廻組肝煎、見廻組伍長、見廻組、見廻組並、見廻組雇、見廻組並雇で構成されていますが、司馬氏が名を挙げている蒔田相模守は与頭ではなく、実際はトップの見廻役にあたります。

司馬氏がなぜ「与頭」と「組頭」を別モノと捉えたのかは解りませんが、上記見廻組の構成をみる限りでは司馬氏の勘違いかと思います。

とりあえず、ご参考まで。

投稿: 松裕堂 | 2005/01/20 11:43

松裕堂さん、コメントどうもありがとうございます。「見廻役」とのこと、ありがとうございます。
それにしても、見廻組の与頭はどうか。書きましたように近世史料の常識でいうと「組頭」も「与頭」も同一のものです。ただ、わたしは一次史料にあたっていませんから、何らかの史料的根拠をおもちだった可能性も考慮しました。しかし仰るようにおかしいのです。ちなみに幕府職制での「小性組与頭」の場合は「ともがしら」らしい。
作家というのは、―考えたことはないですが―、何処まで史料にあたるものなのでしょう。わたしたち古文書屋は、史料がすべてですから、それにないことは原則的には絶対に書けません。また、何方かが間違ったことをいうと、そんな史料があるのかと、とりわけ困惑します。

投稿: 高尾 | 2005/01/20 12:11

 司馬氏は一次資料には当たらず,二次資料だけで小説を書いているという話を聞いたことがあります。
 「小説」であって学術論文ではないからそれもありかなとは思いますが,「与頭(よがしら)」はないですよね。ただ,司馬氏は徹底的に二次資料は読んだらしいですが...

投稿: nm | 2005/01/26 13:26

コメントありがとうございます。
ご著書に「傑作であることと、綿密な時代考証・実証分析がなされていることとは、また必ずしも同じではない」とありますが、司馬さんも、いろんな二次史料をみながら、概観的に上手に物事をとらえるわけですが、個々の事実検証となると、なかなか追いつかない部分があるのでしょうか。だから大学生みたいな間違いを犯してしまう。けれども個人的には司馬さんの本は好きなんですけども。

投稿: 高尾 | 2005/01/27 07:43

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