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2005/01/04

(酉年)闘鶏と博徒―よみがえる幕末博徒の生活―

 今年は酉年だから鳥に因んだ話題をひとつ。正月早々物騒ですが、幕末の博徒のはなしです。

 幕末の頃、武蔵国多摩郡小川村(現・東京都小平市小川)という土地に、近隣に名の轟く博徒がいました。本名を小山幸蔵といい渡世名(博徒としての名前)を「小川の幸蔵」といいます。手前味噌で恐縮ですが、彼の伝記は拙稿「博徒『小川の幸蔵』とその時代―史実の『小川の幸蔵』からみる幕末博徒―」(北原進編『近世における地域支配と文化』大河書房)に纏まっています。
 子分50人を擁する親分で、何百人という武州一揆の攻撃をくいとめた豪傑でした。ほかにも強請り・喧嘩等々、ずいぶんと大暴れした形跡があり、いまでも彼に関する口碑が土地に残っています。小川の小川寺には、明治時代に建てられた彼の顕彰碑が建っています。わたしは、前述の論文を書くため、彼に関する史料を随分追っかけました。

 その幸蔵を調べていて、おもしろい史料に出会いました。紙幅の関係で前述の論文には漏れてしまった史料です。勿体ないのでここに記します。
 それは伊藤小作『郷土夜話』その一(私家版、1961)「竹松おこうさんの想い出話」です。この冊子は小平市中央図書館で見出したものですが、私家版であまり知られていないものですから、ここで紹介する価値はあるでしょう。「竹松おこう」とは幸蔵の養子秀吉の嫁のことです。おこうに関しては、わたしのフィールド調査で、彼女の名前の刻まれた墓を見出すことができましたから、その実在を確かめることができます。彼女による幸蔵についての証言をみてみましょう。以下に引用します。

(竹松おこうの証言)「……私の主人の父からきいた話ですが、そうですネ、幸蔵は未年ですから生きていれば百才以上でしよう。名主の弥市郎さんに使われて草刈り等をしたりしました。草刈りをしても自分はろくに刈らないで、人にやらせる。当時こんな謎がありましたよ、幸蔵はそれでも蔵持ちだつたが『幸蔵親分の蔵とかけて何と解く』『さむらいの腰のものと解く』『心は』『心はさわればきれる』というわけで、幸蔵の蔵の壁土は落ち竹の骨があらわになつて縄がでている。それにさわると縄がきれる………というのだそうです。幸蔵の家は小川四番の通りにあつた。遊び人というか、侠客というか、ばくちが好きで、闘鶏、闘犬までさかんにやつたらしい。」「すい瓜畑にむしろを十何枚もしいて、そこでばくちをやるのです。着物をきていたので胸元のふところからシヤモが首を出している。そんな男が方々から集つて、夢中になつて鶏にけんかをさせるのです。夜つゆにぬれてからだがひえるから、ばくち打は長生きしないといつたものです」「ばくちが大流行で困つたものでしたが、別に何もたのしみのない時代のことで、仕方がなかつたのでしよう」(中略)竹松おこうさんの義父秀吉さんが幸蔵に所望されてその娘さん(もらい子らしい)にめあわされ養子となつて聟入りした。此の人は謹厳でばくちは一切やらなかつたが、身を粉にして働いた。雪の中を使い走りをしたため膝おうにかかり、着物のすそがあたつても痛んだ、とうとうびつこになつてしまつて、実家に帰つて来た。」

 何と生々しい内容であることか! 短文ではありますが、他史料にみられない幸蔵の日常生活がいきいきと描かれています。特に「幸蔵の蔵とかけて」という謎掛けはおもしろい。わたしも読んでいて思わずドキドキ……。幕末博徒の生活とはこんなふうだったのですね。地方(ぢかた)史料のくずし字ばかり睨んでるだけじゃダメなのです。

 なお、幸蔵が好きだった闘鶏については、他史料でも確認できます。たとえば、小川村近隣の多摩郡蔵敷村の史料「御取締向留」(神奈川県立公文書館CH本)慶応2年(1866)2月25日関東取締出役廻状に、

近頃鶏為蹴合候会日を相定、所々より寄集勝負ニ寄、多分之金銭取引いたし候儀を能事ニ相心得、是迄度々触達置候儀を相背、横行ニ賭事いたし候由相聞以之外、

 とあります。したがって、幕末の関東村落において、闘鶏はかなり流行していたのではないか、と推測できます。先日、埼玉県所沢市の林という在所における聞き取りで、「むかしは闘鶏博奕をよくやっていて、闘鶏を飼ってる家も何軒かあったよ」という古老の証言を得ました。

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