(専門書拾い読み①)「たまんないんだよ」(『専修史学』37号)
学術論文・雑誌には意外とおもしろいことが書いてあるものです。その幾つかをこれからご紹介しましょう。シリーズものにしたいと考えています。
今回は『専修史学』37号「編集後記」から。執筆者「M・Aさん」は、雑誌をみればすぐわかることですが、同誌の「編集兼発行人」の任にある専修大学教授青木美智男さんでしょう。青木さんといえば、ずいぶん前にわたしの大会報告批判の労をとって頂いたり、本の執筆にお誘い頂いたりと、たいへんお世話になっている方です。
この文章には青木さんらしさが文章に滲みでています。読んでみて下さい。
……大学院生からも論文の投稿があったが、内容が残念ながらもう一歩というところだった。次号に期待したい。そんな雰囲気が生まれつつある。歴史学専攻と言いながら、院生たちが、時代や地域を越えて研究しあうことがほとんどなかった。みんな一ゼミ内に閉じこもって小さな世界にうごめいている。そんな院生ばかりなのにうんざりしてきた。そしてこれじゃ看板倒れではないか、といつも怒鳴り散らしてきた。それが変わりつつある。何人かの博士後期課程の院生たちが中心になって、時代や地域を越えた研究会を組織し毎月月例会を開くようになった。フランス革命あり、近世村落史あり、ファシズムあり、……もっともこんな研究会の案内にそっぽを向き、我が道を行く院生もいる。いていいよ、本当に努力しているなら。しかし大半はそれほど大きく深く自分のテーマを探究しているわけでもない。何を考えているのかと思いたくなる。これからどう生きていくのか、なんて問うと、まあまあとか、えへらえへら笑って言葉を濁す。たまんないんだよ、そんな院生が多くて。これじゃ博論なんて、とてもとても。後発の大学院なんだよ。それでなくとも院生の就職はきびしい。二重の重荷を取り払わなければ展望がない。そんなとき、時代や地域を越えた歴史学専攻のメリットを生かし、グローバルな知識や歴史観をお互いに培いあい、他大学院の院生との違いを際立たせるのも、展望を開く一つの方法だ。文部科学省は今年度、大学院教育COEを募集するという。独自性ある豊かな大学院教育を育成するのに力を貸そうというわけだ。しっかりやろうよ。
青木さんは「日本近世史の大家」といってもよい方ですが、いい意味で「大家」らしくなく、『専修史学』のバック・ナンバーを拝見するに、自ら率先して大学の陣頭指揮にたっているようです。
ここで言及されているオーバー・ドクター問題は、いまに始まったはなしではありません。しかしこのごろは特にきびしくなりました。わたしもこのきびしく冷たい風にさらされているひとりです。わたしも何年か前は引用文にある「まあまあ」「えへらえへら」でした。しかし結婚して子どもができて、何かがかわったように思います。なんとかしようと必死にもがいているところです。博士の学位をとりましたし就職試験も幾つもうけています。それでも菲才、何ともなりません。ただ精進の毎日です。
それにしても、この青木さんの文章の迫力はどうでしょう。学生にたいするむきだしの愛情が伝わってくるようです。専修大学の学生さんも、この幸せを噛みしめなくてはいけない。
最近、『専修史学』の論文には、活気が漲っているような気がします。今後の専修大学の動向に注目したいと思います。
(付記)『専修史学』のエントリーを書いた矢先、専修大学文学部人文学科歴史学専攻教授新井勝紘さんのゼミのブログをみつけました。歴史系ブログリンクに入れておきました。
新井ゼミ活動ブログ。
(2005.1.28 加筆す)
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コメント
高尾さん みなさん こんにちは。
私自身は、研究者でも学生でもないんですが、傍観者として一言。
昨年から史料の読み方を勉強させてもらうために、京都にある大学の中世史の先生の自主ゼミに参加させていただいています。
自主ゼミだけに、いろんな大学の院生さんたちが集まってきます。
わざわざ自主ゼミに参加しようという学生さんたちなので学問や研究に対する意識が高いです。
専門を越えての議論や研究会は、理想的な環境。そういう中にいると、研究する人生は楽しいものだなあと思います。
青木先生のような熱い先生がいらっしゃる専修大学の学生さんも、本当に幸せですね。
投稿: ラン2 | 2005/01/16 15:11
わたしも院生時代、指導教授から頼まれて、自主ゼミを主催していたことがあります。口コミで、他大学からもきてくれるひとがいたりして、たのしかったですね。いつかそのネタも書いてみたいと思っています。
今思うとよくやったなあと思いますが、指導教授の熱のようなものに、後押しされていたような気がします。専修大学もそんな感じなんでしょうか。
投稿: 高尾 | 2005/01/17 01:35