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2005/01/13

(史料)江戸時代の流行病―文久2年(1862)はしか大流行―

 最近「ノロウイルス」というウイルスが問題になっています。随分のんびりした名前ですが、恐ろしいウイルスなのだそうですね。犠牲者が出ているようで心配です。わたしの1歳になる息子も、先日それとよく似た名前のウイルスを何処からかもらってきたようですが、ご心配には及びません、すぐになおってしまいました。名前は似ていても症状の軽重があるようです。息子はまだ1歳ですから、何もわからず手当たり次第にくちに入れます。
 ともあれみなさんご注意を。

 それに因んで以下は江戸時代の流行病の話です。むかしは現在のように衛生環境もよくありませんから、流行病は瞬く間に蔓延したのです。
 国文学研究資料館史料館(高木俊輔担当)『史料叢書5 農民の日記』(名著出版)は、武蔵国多摩郡連光寺村(現、東京都多摩市連光寺)名主富沢家日記の翻刻本(くずし字を活字に直した本、活字史料)です。新選組の近藤勇等が出てきて、読んでいてたいへん面白いのですが、それはさておき。
 同書解説には言及されていませんが、文久2年(1862)6月から7月にかけての日記を読むと、はしかの病人がとりわけ多いことがわかります。これは文久2年「はしか大流行」の影響でしょう。以下に史料を引用します。

文久2年(1862)6月20日「今日さとはしかにて宿え引取」
文久2年(1862)6月25日「下女はしかニて下り同人母人代相勤」
文久2年(1862)6月晦日「亀女はしかにて休」
文久2年(1862)7月2日「慶蔵はしかニて昼後より休」
文久2年(1862)7月5日「昨日馬曳沢文太郎娘麻疹ニて江戸奉公先より死去致し」
文久2年(1862)7月20日「とな麻疹全快」

 その他、この連光寺村以外のある多摩郡のむらでも、7月上旬に死人の記事が続く日記が残っています。くわしくは史料に書いてありませんが、如何にも不自然なので、これも「はしか大流行」の影響だと思います。

文久2年(1862)7月3日「南組頭定右衛門病死」
文久2年(1862)7月4日「忠左衛門病死仕候」
文久2年(1862)7月4日「市郎右衛門定右衛門方御斎之酒酔死去」(先の定右衛門の病が感染したのではないか?)
文久2年(1862)7月6日「南庄右衛門娘江戸ニて死ス」

 ほかにも事例はありますが、とりあえず2事例のみとしておきます。このような史料は枚挙に暇がありません。また、引用した史料の2村とも、村で病除けの祈祷を行っています。むかしのひとの病気に対する観念も、重要な研究テーマなのです。このような、流行病の実態や人びとの対応を示す史料を、悉皆的に拾う仕事、どなたかおやりになりませんか? たぶん卒論等には面白いテーマだと思います。いま翻刻史料が多くなってきましたから、幾つかは簡単に拾えるでしょう。

 参考に、この時のはしか流行の様子を、「武江年表」(武蔵国江戸の年表)という史料、文久2年の項にみてみましょう(斎藤月岑著『増訂武江年表2』平凡社、1968)。江戸でも大流行して死人が多く出たようです。これにも7月と出ています。

夏の半ばより麻疹世に行はれ、七月の半ばに到りては弥(いよいよ)蔓延し、良賤男女この宿痾に罹らざる家なし。此の病、夙齢(としわか)の輩に多く、―天保七年の麻疹にかゝらざる輩なり―、強年の人には稀なり。凡そ男は軽く女は重し。それが中に、妊娠して命を全ふせるもの甚だ少し。産後もこれに亜(つ)ぐ。後に聞けば、二月の頃西洋の舶、崎陽(ながさき)に泊して此の病を伝へ、次第に京大坂に弘まり、三、四月の頃より行はれける由、江戸に肇まりしは小石川某寺の所化何がし二人、中国より江戸に来りし旅中に煩ひて、四月の頃病中寺内に入り、闔山の所化に伝染しけるが、夫より五月の末に至り少しく行はれ、六月の末よりは次第に熾にして、衆庶枕を並べて臥したり。

 江戸でいえば、江戸東京博物館にも文久2年当時の四谷塩町の人別帳が残っていて、それにもやはり、病人が急増している様子をみることができます。わたしはこの史料を実見したことがありますが、病人の記述の数の多さに驚き、その迫力にゾッとしたことがあります。

 一見無味乾燥な史料でも、意識しながら読みさえすれば、いろいろなことがみえてきます。時代小説よりも強い臨場感を味わうことができるのです。

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