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2004/12/31

(行事)続・歴史の中の御用納

 前回のエントリーでは、江戸町奉行所与力佐久間長敬(おさひろ)の証言によって、町奉行所の御用納が12月25日であったことを確認しました。いまは12月28日ですが、3日違うわけですね。

 しかしそれにしても、町奉行所では何故12月25日を御用納としたのでしょうか? そのはっきりとした答えは出すことができませんが、民間にあった年忘れという慣習に着目していいかもしれません。それは12月25日を区切りとし、同日から親戚知音を集めて接待するというものでした。そのことは「風俗画報」12号の記事にあります。

二十八日は各官省一年の政務を畢へ官人は各所の料理店会席等に会して忘年会を開く、又民間にてもこれを行ふ(高尾注、明治6年<1873>以降御用納は12月28日、民間もそれに倣ったことがわかる)、昔は別歳(としわすれ)とて二十五日頃より以後親戚知音を会して饗応することありき、
「風俗画報」12号(明治23年<1890>1月10日、東陽堂発行)

 「昔」つまり江戸時代の話として、別歳(としわすれ)という慣例があったとし、「二十五日より以後…饗応する」とあるから、前述における町奉行所の役人たちによる「御用納の大祝」と、かたちがよく似ています(『江戸町奉行事蹟問答』)。したがって、この年忘れと御用納との関連性は見逃せません。

 さて、次に近代の御用納の事例を追ってみましょう。明治2年(1869)12月の東京府の文書を繙くと、古い御用納の記述をみつけることができます。

当暮御用納并来春御用始日限之儀、未御治定不相成旨御挨拶之趣も有之候処、当府丈(だけ)は御治定不相成候(虫喰「ては」)目安裏可差支可申候間、
一、十二月廿五日 御用納
(中略)
一、正月十二日 御用始
右之通御取決取置、(後略)
  巳(明治2年)十二月
(「御用留」605―B7―3、東京都公文書館所蔵)

 これをみると、①御用納・御用始の期日については、太政官から正式に「治定」(決定)していない旨の返答があった、しかし訴訟取り扱い事務(目安裏)(注1)に差し支えが出るため、とりあえず東京府だけの規定を決めたい、②御用納を12月25日、御用始を正月12日に決めた、としています。この文書のあと「旧幕之節 御用納 十二月廿五日」というメモがあることから、このときの御用納12月25日決定には、旧幕時代つまり江戸時代の慣例を踏襲するという意味があったことがうかがえます。これが近代で一番古い御用納の記述のひとつです。
 そのあと明治6年(1873)、太政官は12月28日を御用納とする規定をし、それ以降現在に至るまで、12月28日を御用納としています。

(注1)めやすうらがき(目安裏書)江戸時代、公事出入(くじでいり)につき、訴訟人(原告)の提出した目安(訴状)に、受訴奉行が加える裏書のこと。(『日本国語大辞典』)。明治時代の東京府が、この目安裏の処理のために、太政官に先駆けて御用納の期日を決めたという事実はたいへん興味深いものがある。

(付記)さて今年も暮れようとしています。当ブログははじめて約3ヶ月ですが、お陰様ではやアクセス数も3600を越しております。本年当ブログをご愛顧頂いたみなさま方に、この場にてあつくお礼を申し上げます。来る酉年はみなさまにとって幸多き年となりますように。

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