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2004/12/28

(行事)歴史の中の御用納

 きょう12月28日は御用納の日です。この日にすべての仕事が終わるとほっとしますね。そこでここでは、歴史の中の御用納について、わたしが調べたところを述べてみます。
 御用納を辞典でひくと以下のように出てきます。

○ごようおさめ[御用納]諸官庁で、十二月二十八日、その年の執務をやめること。『広辞苑』 
○ごようおさめ[御用納]諸官庁において、一二月二八日に、その年の年内の事務を終わりにすること。『日本国語大辞典』

 この御用納という言葉は江戸時代にもあります。というよりも江戸時代の言葉を引き継いで、現代も使われているのかもしれません。
 御用納の「御用」とは公用のことをさし、「納」とは物事に区切りをつけることをさすと思われます。公用に区切りをつけてその事務を一端終わりにする、の意でしょうか。前近代では一般的にどのように使われたのか、上記のように辞典にも用例がないため、よくわかりません。おそらく「御用」というのですから役所用語だったのでしょう。
 その証拠に、江戸の町奉行所の関係史料には御用納の語がみえます。江戸の町奉行所の与力を長くつとめた佐久間長敬(おさひろ)の回顧記録、佐久間長敬・南和男校注『江戸町奉行事蹟問答』(人物往来社、昭和42年)を繙くと、同じく町奉行所の役人であった、彼の祖父の時代のことが描かれています。そこに御用納の記述があります。

天保改革は老中水野越前守(忠邦)、町奉行北は鍋島内匠頭(直孝)、南は鳥居甲斐守(忠耀)の頃にて、其以前を流弊中と唱て、上ば将軍文恭院殿(家斉)存命中泰平の余徳にて、下々小役人に至るまで無事平安にて、余の祖父の如きも三十年間吟味方を勤め、毎日昼の十二時に役所に出て午後三時には掃宅せしと云。公用も少く気随気侭にて日を送りし由。昔語りの耳に残りしは、毎日酒宴と遊興のことのみなり。毎年十二月廿五日御用納めとなり、正月十七日公用まで昼夜の酒宴にて、十二月廿五日は御用納の大祝と唱、同役・下役交際の面々何人と云限りも来客にて、夫より引続き歳忘れと唱、大晦日まで飲み明し候由。(同書、111頁・112頁)

 ここでは、天保改革以前の将軍家斉のころの話として、①「御用納」が12月25日であったこと、②その日は「御用納の大祝」と唱えたこと、③その日から大晦日まで、町奉行所の与力たちが同僚・下役たち交えて呑みあかしたこと、などがわかります。
 また、おなじく佐久間の回顧録が、東京都公文書館に所蔵されています(『佐久間氏雑稿』江戸市政録二[CH182]「奉行所年中行事」)。

十二月二十五日御用納、此日与力・同心の係、黜陟及賞与あり、同心は奉行の命により年番与力これを申渡す、この日より諸役之休ミ、当番は例の通、(※黜陟(ちゅっちょく) 功績のある者を昇格し、功績の無い者を降格すること。「黜」は、下げ退けること。「陟」は、上り進めること。書経・舜典)

 これにもやはり、先と同じように、12月25日が御用納であったことが記され、制度的には、人事の昇降・賞与を行う日であったとされています(注1)
 以上このふたつの記事によって、①江戸町奉行所内で現在と同じ御用納という語が使われていたこと、②江戸町奉行所の御用納は12月25日で、人事処理があったり、(天保改革以前には)「大祝」と称する役人たちの宴会があったことがわかります。宴会をおこなう風景は、いまと同じなのですね。
 この続きは大晦日にて。

(注1)実は町名主斎藤月岑のご褒美を頂く日も12月25日なのです(斎藤月岑日記による)。もしかしたら「賞与」は奉行所の役人だけではなかったのかもしれません。

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