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2004/12/25

(山の風景)富士山山頂のはなし

 年末年始の雲のすくないあかるい空に、富士山の姿はよく映えます。先日、富士山の山頂が国有地から浅間大社の所有地になったのだそうです。同地は、徳川家康の寄進以来、浅間大社の持ち物であるべきはずと、裁判で認められたからです。この時世、裁判・行政の世界で、大まじめに「徳川家康」が引っ張り出されるのは、あまりにも稀なことで、たいへんな驚きです。以下に「毎日新聞」の記事を引用しておきます。

富士山家康寄進の地、ようやく浅間大社へ-山頂部の土地、無償で- 富士山頂部の385万平方メートル-最高裁判決から30年経て- 徳川家康が富士山本宮浅間大社(渡辺新宮司、静岡県富士宮市)に寄進したとされる富士山8合目以上の国有地約385万平方メートルが、大社側に無償で譲り渡されることになり、財務省東海財務局と同大社が17日、譲与に関する文書を交わした。大社側が譲渡を求めた訴訟で30年前に勝訴していたが、静岡・山梨県境が画定していないためこれまで見送られていた。同財務局は「大社側からの要請もあり、いつまでも放置できないので手続きを取った」と話している(「毎日新聞」2004年12月18日東京朝刊)。

 ところで、江戸時代のひとが書く富士山頂は、見た目よりだいぶデフォルメして描いてあります。太宰治の小説『富嶽百景』の冒頭に、そのことの指摘があります。

富士の頂角、広重の富士は八十五度、文晁の富士も八十四度くらい、けれども、陸軍の実測図のよって東西及南北に断面図を作ってみると、東西縦断は、頂角、百二十四度になり、南北は百十七度である。(太宰治『富嶽百景』)

 頂角を鋭くするのは、塔のように高く描いてやろう、という意図なのでしょう。それでも、あまりに細長い富士というのは、途中からぽっきり折れてしまいそうで、どうも気持ちがわるい。ちなみに太宰のいう「広重の富士は八十五度」とは、例の「五十三次」に描かれた富士のことでしょう。それでも、いろいろ確かめてみると、広重は構図によって富士の頂角を使い分けているようです。
 そのてん、このあいだ江戸東京博物館で公開された、日本橋繁昌絵巻「熈代勝覧」(注1)に描かれた富士は、わたしが正確にはかってみたところ、120度程で、頂角はとても写実的であることがわかりました。ただしこの「熈代勝覧」の富士は、あきらかに富士を大きく描きすぎています。つまり、頂角は正しくとも大きさはデフォルメされている、というわけです。

(注1)「熈代勝覧」は、文化年間の江戸日本橋の様子を、今までになく詳細に描いた絵巻です。ご覧になったことのある方は多いでしょう。ご覧になっていない方は、浅野秀剛・吉田伸之編『大江戸日本橋絵巻「熈代勝覧」の世界』(講談社、2003)をご覧ください。

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コメント

こんにちは。
もう何回も登ってるけど、僕はいつも富士山の上の方って、「火星みたい」と思ってしまいます。「日本的」にはとても見えない…。
櫻井進『江戸の無意識』『江戸のノイズ』は、僕がこれまで読んだ「江戸」本のうち、最も面白かったものでした。そこでは、広重らが定式化した「日本的富士」と、北斎描く奇怪な富士を対比して、前者に「感性のファシズム」を見ていました。
それにしても、家康が富士山頂を寄進したって、するとあれは家康の所有だったことになりますよね? 意外というか、アジールじゃなかったんだというのが驚きです…。

投稿: 弓木 | 2004/12/25 22:43

「それにしても、家康が富士山頂を寄進したって、するとあれは家康の所有だったことになりますよね?」従来の所持権を追認するかたちで「寄進する」ということもありえますが、富士山山頂はどうだったのでしょう。あるいは、近世以前は無主の地で、それを寄進したのでしょうか。よく知りません。
わたしは山頂まで登ったことがないのです。車で登れるところまで登って、あとは少々歩いてみただけです。一度は山頂まで行ってみたいと思っています。

投稿: 高尾 | 2004/12/26 11:11

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