« (雑感)高度な社会の、妙なあきらめ | トップページ | (町触)路傍に死す »

2004/11/27

(古文書入門③)とほうもない江戸時代の情報量

 江戸時代の研究をしていて、この時代の史料のとほうもない量を、いつも実感しています。「浜の真砂が尽きるとも、江戸時代研究のタネは尽きまじ」でしょう。したがって、このブログのネタも尽きることはありません。
 たとえば、わたしは武蔵国入間郡赤尾村名主林家文書という文書群を研究しています(「名主」というのは村長のことです)。だいたい、現在の大字(おおあざ)が、江戸時代には「××村」と呼ばれ、一個の行政区画をなしていたわけですが、それは全国で約63000ヶ村あります。埼玉県坂戸市大字赤尾、江戸時代の赤尾村もそのひとつです。
 この赤尾村の文書群、江戸時代の史料だけでなんと約10000点もあります。細かい字で書いてある分厚い名主の日記、これでも1点としかカウントされていませんから、たいへんな量です。大学生の頃からこの文書群を研究していますが、まだ見きっていません(アッタリマエダ!)。全史料を精読する頃には、わたしはおじいさんになってしまうかもしれませんね。

 江戸時代の史料の多さを実感しましょう。そのまえに、日本全国に残る古代・中世史料、つまり江戸時代以前の史料の総量は、どのくらいあるのでしょうか? そこで、このあいだお亡くなりになった大石慎三郎さんの著書、『大江戸史話』(中公文庫、1992)を繙いてみます。

文献史学の拠り処となる史料は、古いところからいえば古事記は一応除外されるので、六国史と呼ばれている日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三代天皇実録から始まる。(中略)これ以降の史料は東大史料編纂所の編集にかかる大日本史料に収められている。もちろん一点のがさずすべてというわけではないが、基礎史料はかなり尽くされているとしてよいであろう。中世と近世との区切をどこでつけるか、(中略)ここでは(中略)永禄十一年(一五六八)を目安にしておこう。さてこの目安で大日本史料を分けると、旧版本一二三冊、新版本八三冊の都合二〇六冊が中世以前の部分にあたる。(高尾注、これらを400字詰原稿用紙に直して換算すると)約二十万枚ということになる。(同書「大江戸の常識」より)

 これによると、江戸時代以前の史料の情報量は、400字詰原稿用紙にして20万枚あるということです。どうです? 多いような、少ないような。
 それでは、江戸時代の村方文書と、較べてみることにしましょう。大石さんは同書で信濃国北佐久郡五郎兵衛新田文書(現在、長野県北佐久郡浅科村上原・中原・下原)の文書を換算しています。同新田文書は4ヶ所にわかれていますが、そのうちの1ヶ所を計算すると、

それは(高尾注、マイクロフィルムで)二百リール、約十三万枚あり、全部で約三十万枚は越すと予想されている。これを仮に写真一枚を四百字詰原稿用紙一・三枚と計算すると三十九万枚ということになる。(同書「大江戸の常識」より)

 そうすると、なんと「日本全国における、江戸時代より前の時代の史料」(400字詰原稿用紙20万枚)<「江戸時代の村の、ある家における史料」(400字詰原稿用紙39万枚)、ということになるわけです。しかも、江戸時代の村は前述のように63000もあります。ちょっと気が遠くなりますね。
 ちなみに、村落史研究の権威明治大学木村礎さんによれば、村方文書は30億点にものぼるのだそうです。「人類が江戸時代の文書を全部見きることはほとんど不可能」といっても過言ではありません。
 ちょっと試しに、神田の古本屋にでも出てみて下さい。江戸時代の古文書が売りに出されています。また、あなたの家が旧家ならば、蔵の中にありませんか? 「文政××年」「天保××年」とか書かれたふるい紙切れが。こういうのも江戸時代の史料。立派な古文書、文化財といえるのです。大切に保存して下さい。

|

« (雑感)高度な社会の、妙なあきらめ | トップページ | (町触)路傍に死す »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56058/2081777

この記事へのトラックバック一覧です: (古文書入門③)とほうもない江戸時代の情報量:

« (雑感)高度な社会の、妙なあきらめ | トップページ | (町触)路傍に死す »