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2004/11/24

(雑感)高度な社会の、妙なあきらめ

 最近3歳のわたしの子どもが「なんで?」を連発します。「なんでパソコンは動くの?」「さあ、何でだろうねえ?」マルク・ブロック『歴史のための弁明』ではないですが、子どもの質問にはいつも考えされられます。
 わたしは歴史を研究しておりますから、こういうふうに考えます。……「ふだん日常で使っている道具のしくみがよくわからない」という社会が出現したのは、歴史的にみてつい最近のことではないか、と。
 出典は忘れましたが、たとえば、宣教師に西洋時計を献上された織田信長の話があります。そのとき信長は、「日本人にはこの時計のしくみがわからないから、壊れたとき修理ができない、だから返す」と答えたそうです。時計のしくみがわからなくとも、どうせ貰い物だから、壊れるまで使ってしまえ、という考え方もあるでしょうが、信長はそうは考えなかったらしい。道具のしくみが理解できないことへの抵抗感があったらしいのです。この逸話の真否は措くとして、こういう感覚は、この逸話の信長のみならず、人間が当然のように持ち続けてきた、普遍的感覚だったのではないでしょうか? 前近代では、―自分で作れるかどうかは別にして―、しくみが理解できない日常道具なぞ、あまり存在しなかったのではないか?
 その意味で、日本史の場合、人間と道具が乖離した最初の時代は、西洋文明がいきなり入ってきた明治時代だった、と思います。明治時代のひとは、必死に西洋文明の道具を理解しようと努め、電信柱の電線に手紙をくくりつけたり、蒸気機関のつもりか大八車の上に沸騰した湯を置いたり、そんな〝ささやかな実験〟を繰り返したのですが、それでも結局〝実験〟はことごとく失敗して、道具との距離は縮まりませんでした。
 それ以来、人間はすっかりあきらめてしまった。おかげでいまはどうですか。人間と道具との距離が離れっぱなしで、テレビ・パソコン・電子レンジ・掃除機・洗濯機など、日常生活品のほとんどが、さっぱりしくみ理解不能になり、「理系のはなしはちょっと……」で、逃げてばかりになりました。
 われわれの生活に、もはやテレビは欠かせないわけですが、理系国立大学教員の親戚によれば、工学部の専門家でも、テレビを組み立てるのは難解なのだそうです。明治時代のひとを笑うことはできないし、「なんでパソコンは動くの?」という子どもも、笑うことはできません。むしろ、道具のしくみを理解しようとする意欲に、敬意をはらうべきでしょう。

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