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2004/11/03

(雑感)歳月

 江戸時代の古文書を読んできたといっても、たかだか10年ほどでしかありません。まだ修行中の身で、自分のことを「研究者と名乗れない」といっているのは、事実なのです。それでも、もう30歳になってしまいました。もちろん、歳をとることに有利な点はいろいろあるでしょうが、いまだ浮き草稼業であるわたしにとって、そんなことを考える暇はありません。「ああ、もうすぐ31歳か…」などと、重大な落とし物でもしてしまったかのように、嘆くのです。
 そんななかでも、うれしいことがなくはありません。子どもが大きくなってゆくことです。1歳・2歳・3歳……と成長ぶりをみることはわるくない。そして「はやくおおきくなりたい」と思っていた自分を、なつかしく思い重ねます。
 ところで、この間、「歴史学研究」という学術雑誌に(792号)、岸本美緒さんという東洋史学者の方が、「編集後記」に次のようなことを書かれていました。

……小さいころの夏休みのある午後、こういう毎日の小さなできごとやそれにともなうさまざまな感じは大人になったらみんな忘れてしまうんだろうなあと思ってふいに悲しくなり、今台所にたたずんでいる、この何気ない一瞬があったことを、あばあさんになっても覚えていられるかどうか試してみようと心に決めた。その結果、おばあさんになりかけた今でも、そのときの窓の外の明るさと台所の暗さのコントラストや、裸足に感じる板敷きの固い感覚をよく覚えている。全く何の変哲もないあの夏の日の一瞬。そういう一瞬のリアリティの復元は小説家の仕事かもしれないが、……もし老後に時間があったら、そのような一瞬を丁寧に復元する試みにも挑戦してみたいものである。
 これをみて驚きました。実はわたしも同じような記憶があるのです。世の中には多くのひとがいますが、考えることはそうは違わないのかもしれません。「一瞬を丁寧に復元する試みにも挑戦してみたい」、学問の動機はロマン。

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コメント

またお邪魔します、弓木です。
高尾さんは、佐藤弘夫『アマテラスの変貌』という本をご存知でしょうか? 神仏混淆の中世信仰の研究書で、これ自体すごく面白い内容ですけど、この末尾に付された「ある個人的な回想」という文章が、僕には目の覚めるほど鮮烈でした。佐藤氏が、やはり子供のころの名づけようのない経験について書いたものです。著者は幼時のその感覚を、神道あるいは仏教イデオロギーによって固定される以前の、日本人の畏れの心性と重ね合わせているようです。
史学はコトバの領分だけど、コトバの背景にあるものへの想像力をなくしては、恐らく意味がないのでしょうね。

投稿: 弓木暁火 | 2004/11/03 20:21

ご教示、ありがとうございました。「史学はコトバの領分だけど、コトバの背景にあるものへの想像力」が必要、深いお言葉ですね。これからもいろいろご教示ください。

投稿: 高尾(管理人) | 2004/11/03 22:40

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