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2004/10/19

(身分)武士と百姓

 江戸時代の概説では、「江戸時代は身分制社会で……」という説明が決まり文句です。制度の歴史、つまり「制度史」としてはそれで充分ですが、社会的実態の歴史、つまり「社会史」としては、それに補足説明が必要です。神奈川県鎌倉郡村岡村の民俗誌、山川菊栄「わが住む村」では、このようなことが書いてあります。

「……東海道に沿うている部落の人は、街道を通る旅の侍ぐらいは見ていますが、そこから遠い部落では狩の時でもなければ村などをのぞくこともなかったらしい。侍という者の姿は、ほとんど見たことがなかった様子です。維新のころ十二、三になっていたそういう部落のあるお婆さんはいいました。「この村で侍なんて見ることもなかった。たった一度、黒い着物に大きな紋をつけて二本さした人が、うちの旦那の門サへえって行ったうしろ姿を夢のように覚えてるが、まあその時ぐれえのもんでしょう。」このおばあさんは同じ部落の中で嫁入りし、その近処の雑木林と田畑を相手に一生暮して、九十近い今まで、ほとんど部落よりほかに一歩も出ずに暮らしてきたような人ですが、も一人、同じ年頃で、同じような一生を送ってきた他の部落のおばあさんに聞いても、やはり「刀なんかさした人は見たことがなかったね」と笑いました。」
 山川菊栄『わが住む村』(岩波文庫、青162-2、1983、55~56頁)。

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