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2004/10/16

(俳句)一茶の虚構

 文章に小さくつける(1)(2)……という注は、数が多くなると煩わしくなるものです。注の文章の方は、本文や章の後尾にまとめられていますから、いちいち確認しながら読むと、頻繁にページをめくらなければならず、読むのにたいへん骨が折れます。だから、そのうち注の文章を読むことを諦めてしまう。
 ちなみに、わたしの書く文章は、ちいさな史料番号などは、地の文章に括弧付きで載せ(たとえば「この史料(A家文書1234)は……」というふうに)、やむを得ない場合のみ(たとえば説明文や論旨から脱線する文章を付したいときなど)注で処理します。史料番号まで注に書くひとは多いのですが、わたしはちょっと抵抗を感じてしまいます(ひとの好みの問題ですが)。
 そこでよい注の例をひとつ。
 『一茶俳句集』(岩波文庫黄223―1、1990)文政4年(1821)辛巳1713番の俳句。
 「蝶見よや 親子三人 寝てくらす」。
 この俳句の注に、こうあります。「親子三人…次男石太郎を失い実はこの時子は無かった」。この的確な注のおかげで句の深みが増しました。これでわたしの一番好きな一茶の句になりました。

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