(小咄)頼朝のアタマって……
開帳とはお寺さんが秘仏や自慢のお宝を公開するイベントのことです。江戸時代、この開帳には胡散臭いものが多かったそうです。それを風刺した小咄を次にご紹介します。安永2年(1773)出版、江戸小咄本『再成餅』(ふたたびもち)から引用。
回向院に開帳あり。「霊宝は左へ左へ。これは頼朝公のかうべ(頭)でござい。近う寄つて拝あられませう」参詣の人聞いて、「頼朝のかうべ(頭)なら、もつと大きさうなものだが、これは小さなものぢや」といへば、言立(案内人)の出家、「これは頼朝公、三歳のかうべ(頭)」。これは回向院(現、東京都墨田区両国)の開帳での風景です。内容は簡単です。①案内人のお坊さんが「霊宝はこれですよ、頼朝公の髑髏だよ、もっと近くによってみてくだされ」と呼びかける。②すると見物人が「頼朝の頭だったら、もっと大きいんじゃない? ずいぶん小さいんだねェ」と意地悪な指摘をする。③それでお坊さんは「そう、これは頼朝公、三歳の髑髏ですから」と返答してしまう、……という咄。
諸書の解説はこれだけです。しかし「頼朝のかうべ(頭)なら、もつと大きさうなものだ」と見物人が発言した理由は何でしょうか? これをもっと踏み込んで解説しないと、この咄の面白さは完全にはわからないのです。
実は文献には、頼朝の頭は大きかった、と書いてある。それを実際に読んだかどうかは別にして、江戸の人たちはみんなそれを知っていたのでしょう。だから髑髏をみて「もつと大きさうなものだ」という発言が、必然的に出てきてしまったわけです。ちなみに、頼朝は落馬してその傷がもとで死去しますが、巷間では、落馬したのは頭が大きかったから、といわれています(出典は失念)。
ところで、みなさんがよくご存じの、あの高貴そうな白い顔をした「源頼朝」像(神護寺蔵)。あれは昔から教科書によく載っています。しかし、実はあの絵は頼朝ではなく、別の人物を描いたもの、という説が有力です。やがて教科書から消えるかもしれません。
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コメント
再びどうも、弓木です。
たしか「頼朝のアタマ」、これと全く同じ噺が、フランスでナポレオンに関してもありますよね。ナポレオンも大アタマだったみたいだし。
あの伝「頼朝」像って、アンドレ・マルローが激賞したとか聞いたけど、ほんとは足利直義らしいですね。どうなのかな? それに伝「尊氏」像も高師直だとか。またヒゲダルマ「信玄」像は、なんとかいうえらくマイナーな武将だとか…。
江戸時代の川柳とか見てみると、日本や中国のマイナー故事がすごくネタに使われてて、「みんなよく知ってるもんだなあ」と感心します。天皇家なんかも容赦なくギャグネタにされているし。こっちは解説がないとわからなかったりして。当時の人たち、すごく読書家ですよねえ。
投稿: 弓木暁火 | 2004/10/14 02:22
頼朝の大頭を揶揄した川柳もあるわけだから、当時のひとは知っていたということになるのでしょう。江戸時代は思ったより識字が高く読書層があついんですね。驚かされます。
投稿: 高尾(管理人) | 2004/10/14 08:48
お婆さんの思い出ばなし、なかなか面白かったです。私もデラックスな勉強机を買ってもらった友人が羨ましかった。父が学生時代に使用していた、脚のグラつく勉強机を嫌がった思い出があります。デラックスで思い出したんですが、私どもの子供の時分、机ばかりか、異常としか思えないほど多くの引き出しがあってバタバタ折りたためるタイプの筆箱、やたらとギア切り替えができて折りたたみカゴのついたチャリンコとかありました。「お前の筆箱さぁ、何段式?」とか、「○○ちゃんのチャリンコ、12段式だぁ!いいなぁ」とか、これまたやたらと何段式かに拘りました。こんな思い出を、ふと思い出しました。
投稿: デラックスの流行 | 2004/10/22 11:45
コメント、ありがとうございます。そういえば筆箱も自転車も不必要な機能が多かったですね。わたしも6ギアの自転車を「友達がもっているから」と父にせがんで買ってもらいました。
投稿: 高尾(管理人) | 2004/10/22 12:54