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2004/10/09

(学者)大学者、もうひとつの「何となく…」

 先に、古代史家井上光貞さんが、実証史家らしからぬ「なんとなく」発言をしている、という話をご紹介しました。実は彼はもう一箇所、興味深い「何となく」発言をしています。それは、先の本とは別の概説書、『日本の歴史1 神話から歴史へ』(中央公論社)における、「謎の世紀」という章です。いよいよ神武天皇以降の天皇家の系譜を腑分けしよう、というくだりです。

「……皇室の系譜を研究することは、皇室が今日なお日本の象徴として君臨していられる以上、何となくはばかられる気持ちもするが、「王名表」たる帝紀の分析は、大和朝廷の歴史を知るうえには、ひじょうに重要なことなのである。……」
 彼は前述のとおり、明治の元勲井上馨の孫(曾孫。桂太郎の外孫)で、天皇家の藩屏たる華族の家柄でした。その意味で「何となくはばかられる」気分は仕方がないのでしょう。
 しかし、井上さんはこの本では問題意識先鋭で、皇国史観を批判し記紀を科学的に語ろうと、まず―戦後の通史としては異例なことに―、あえて記紀の内容から起筆しています。皇国史観も通史は記紀から書き始めますが、それを裏返す意味でそのようにしたのだ、と思います。
 曾祖父馨が近代的天皇制国家の樹立に荷担し、曾孫光貞さんが「何となくはばかられる」お気持ちでその国家の〝葬式〟をする。……そう思えば、この「何となく」発言も、何となくおもしろい話ではありませんか。

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コメント

初めまして、弓木といいます。
そうですかー。井上光貞さんて、あの聞多=馨の曾孫だったんですか。初めて伺いました。どうも僕は、長州人脈って、伊藤も井上も、とりわけ山県とか、嫌悪感あるんですけど、まあそれで孫世代まで括っちゃいけないのでしょうね。光貞さんの著書はかなり専門的で難しい感じですが、何冊か読んだ覚えはあります。
ところで僕もちょっと江戸期の文書(といっても活字本)を読んだことあるんですが、当時の知識階級が意外なほど漢学に通じていて、むやみに中国の故事を引用してくるのには、驚きもし手を焼いた覚えがあります。あと人名表記が不統一で、同一人物が、別名・幼名・正規の官職名・私称の官職名・官職名の中国ふう読み・雅号・出家号…の色々でごっちゃに呼ばれてるのは閉口しました。おまけに昔の人ってやたら改名するし、一族同名が複数いたりするし。
きっと古文書読みには、字が読めるだけじゃなくて、そういう当時の「常識」理解も、必要になるんでしょうね。

投稿: 弓木暁火 | 2004/10/11 00:28

コメントありがとうございました。きれいな絵のあるHPも拝見させて頂きました。さて、おっしゃるように、江戸時代の知識人の素養の深さ、文章のレベルの高さには驚かされます。大汗かいて調べて、やっと文章の意味がわかったということもしばしばです。名主家の文書調査をしますと、多くの漢学の書籍が見つかることも珍しくありません。知識人のはなしもこれから書き込んでみたいと考えています。お礼まで。

投稿: 高尾(管理人) | 2004/10/12 08:21

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