(学者)大学者、意外な発言「なんとなく…」
以下は、ある古代史の大学者が、概説書で、推古朝になったとされる一七条憲法について発言している箇所です。推古朝より下るものとする説もありますが、この方は推古朝説に賛成しています。
「……憲法は、この種の詔書(高尾注、中国の詔書)を下書きにして書いたのではあろうが、中央集権の未熟な時代にふさわしく、また、なんとなく古拙のおもむきがある。」これを読んで目をまるくしてしまいました。「なんとなく古拙の……」といわれても、こちらは到底納得できません。この方は手堅い実証で知られたひとだから、余計に、この「なんとなくクリスタル」風の言葉使いは、なんとなく不思議な感じがしたからです。いままであらゆる史料を引いて、糸が張りつめたような考証を行いながら、ここへきて突然緩み、何で「なんとなく」なのか?
思うにこの部分は、「なんとなく」というしかなかったのではないかと思います。史料をさんざん博捜した方がいうのだから、もう信じるしかない(?)。「なんとなく」を具体的に説明しろと問われ、説明すれば、本1冊くらいにはなるのかもしれません。それで、概説書という場でもあって、つい「なんとなく」と書いてしまったのではないでしょうか。もうお亡くなりになった方ですので、確かめる術はありません。
もちろん、もし大学のゼミ発表で、「ワタシ、なんとなく…思うんです」なんて学生が発言したら、先生は怒るかもしれないし、わたしなんかが論文で書いたら、嗤われるかもしれません。しかし、この「なんとなく」という部分は、大学者の発言だけに、なんとなく深い井戸を見下ろすような気持ちがします。
井上光貞。井上馨・桂太郎の孫。東京大学文学部教授、国立歴史民俗博物館館長。引用文は『日本の歴史 飛鳥の朝廷』(小学館、1974)より。
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