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2004/10/06

(学問)言葉をつくる

 学術論文の中では、その分野に特有な言葉が羅列されています。当然もとはといえば、すべて誰かがつくった言葉です。わたしは指導教授から「論文の中であまり言葉をつくらないように」と指導をうけました。だから言葉をなるべくつくらないよう心がけています。「入り口は易しく、出口は難しく」と。そんなわたしでもお恥ずかしい言葉つくりをすることがあります。
 一概に言葉をつくる行為が悪いというわけではなく、むしろ言葉をつくった方がわかりやすいこともあるでしょうが、やむを得ない場合に限るべきで、やりすぎはよくないと思います。「××構造」「○○論」「□□社会」などと、些細なことに言葉をつくり、専門用語を大量生産してゆくことには閉口気味です。あなたの「××」とわたしの「○○」は何処が同じで何処が違って……という議論に時間を費やさねば議論が始まらなかったり、ある言葉が独り歩きをしてしまい、各自思い思いの意味で使ったりする。あるとき、わたしの日常的にふつうに使っていたある言葉が、誰それという学者の学術用語だと主張されて、吃驚りしたこともあります。
 そういえば、むかしの華族に何故博物学者が多いのか、という文章を読んだことがあります(何処で読んだか一向に思い出せません)。論者によると、博物学者が新種に名前を付ける行為は、家臣に扶持を与える行為に等しいというのです。そういえば、複数の生物を分類するのも、大名を封ずる行為を連想させます。
 言葉をつくって、それを他人が使えば、つくった本人は誇らしく、気持ちがいいのかもしれません。しかしそれでは、電気コードのように議論が絡まってしまうのではないか、と思います。

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