(江戸のくらし)長屋が杖をつく
随分前、地方史研究協議会という学会で、寺島孝一さんが「江戸“庶民”のくらしと発掘史料」という講演をなさっていました。拝聴させて頂きましたが、とても面白い内容でした。寺島さんによると「博物館にある復元の長屋はかなり立派すぎる」のだそうです(講演の内容は『地方史研究』298、2002.8)。
実際、江戸時代の長屋というのは、「キリギリスの籠」のようなもので、貧相限りないものもあったのだそうです。その講演によって知ったのですが、『徘風柳多留』に「年寄た長屋四五本杖をつき」というのがある。古くなった家がつっかえ棒を、4~5本施している、という状況です。こういう風景は、川柳に詠まれる位ですから、よくみられたのだと思われます。また、古長屋のみが「杖をつ」いていたわけではなく、例えば、安政大地震のときも、倒れそうな家が、突っかえ棒をしています(東京大学史料編纂所蔵「安政大地震絵巻」)。何れにせよ、健康ではない家が杖をつくわけです。しかし、博物館の模型などで、このような風景に出会うことは、まずないでしょう。
この間、ぼんやり『海舟座談』(岩波文庫青100-1、2001)を読んでいたら、若き日の勝海舟の住居の様子を知る、杉亨二(日本統計学の祖)の証言にあたりました。当時の勝家はたいへん貧乏だったそうで、「家の内にも、表にも突っかえ棒をして見るから、容易ならぬ暮しでした」としています。海舟の住居の場合も、家が「年寄」だったこともあるかもしれません。また、どこで読んだか忘れましたが、彼は貧乏のあまり、薪の用に柱や天井を抜いてしまった、という話もあったように記憶しています。若き日の海舟のような暮らしのひとは、少なくなかったと思われます。
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