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2004/01/13

掲示板

 ブログのコメント機能を利用した掲示板を設置しました。些細な連絡事項や交遊の場等にお使いください。ただし、お書き込みの際は、下記の点にご留意ください。

(1)書き込みにあたっては、礼儀にのっとり、トラブルのなきようお願いします。
(2)管理人によって、問題があると判断された場合、削除することがあります。
(3)ご本人やそれ以外の方からの削除のご依頼があったときも、管理人の判断で、削除することがあります。
(4)当ブログの管理上の都合により、一部削除・閉鎖することがあります。
(5)商業上のご利用はご遠慮ください。

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コメント

いま拙宅のパソコンで不具合をおこしており、メールの送信ができなくなっています(受信はできるようです)。何人かの方にご迷惑をおかけしております。この場を借りてお詫び申し上げます。

投稿: 高尾 | 2005/01/13 12:45

2005年1月16日(日曜日)
関東近世史研究会月例会
14:00-17:00
内容 「2004年度大会批判」
会場 法政大学大学院棟8階801教室(よく間違えられるのですが、ボアソナードタワーの方ではありません。市ヶ谷駅を降りて堀を渡って右に折れてください)

報告 市川寛明氏「岩淵令治報告批判」
   藤村聡氏「松本剣志郎報告批判」
   牛米努氏「小林信也報告批判」

わたし、大会当日に司会をした関係上、今回も司会を頼まれています。なので出席する予定です。

投稿: 高尾 | 2005/01/14 07:55

今日は、原稿書くために、都内某所で現地調査・風景の写真撮り。疲れました。

投稿: 高尾 | 2005/01/17 22:59

おひさしぶりです。いつも高尾さんのバイタリティーには驚かされ通しです。まさかブログまで作っちゃうとは。しかも、面白いです。青木先生のお話、社会人になった今でも背筋が伸びます。歴史の愉しい休み時間、期待しております。

投稿: ぐんまのたいこもち | 2005/01/18 16:23

ぐんまのたいこもちさん、お久しぶりです。お元気ですか。これはむしろ「バイタリティー」を得るためにやっていることです。

「青木先生のお話、社会人になった今でも背筋が伸びます。」

そうです。歴史研究者だけでなく、会社員などにも通用する話です。このブログは、歴史学向けでありながら、一般社会向けでもありますから、そのように受け取って頂いて嬉しいです。
今後もよろしくお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/01/18 22:58

ちょっと宣伝。
東京巣鴨のタウン雑誌「巣鴨百選」2月号の特集記事として、拙稿が10頁以上にわたって掲載されます。もうすぐゲラ稿があがってきます。巣鴨にお寄りの際は是非ご覧下さい。
「巣鴨百選」は、巣鴨の商店街の店先に置いてあります。

投稿: 高尾 | 2005/01/21 08:01

いろいろご活動なさっておいでで、敬服申し上げます。
先だって、狭山古文書勉強会の水野先生とお会いし、今度一度、高尾さんに田島さん宅に連れていってもらいましょうというお話が出ました。
是非、お願いいたします。

赤尾林蔵の資料も若干ございますので、時間をみてお出かけください。

投稿: 林 信行 | 2005/01/22 10:57

これはどうもコメント恐縮です。いつもご先祖さまのことをほじくり出していて、失礼しております。林家を扱った「立正史学」の論文の抜き刷りが拙宅に届きました。お送りしますのでしばらくお待ちください。
昨年、林家文書もNHKにテレビ・デビューされましたが、もっと宣伝されてよいかと思います。わたしの調査もその一助になればと思っています。
田島さんの件、ずいぶん前のことですが、連絡つけてみましょうか。ご主人が林信海そっくりでドッキリしました。

投稿: 高尾 | 2005/01/22 15:59

アジア民衆史研究会「東アジアにおける民衆の世界観(4):移動・接触からみる空間認識」第5回研究会
報告 :高尾善希「幕末期における博徒・博徒集団の実証的研究」
日時 :2005年2月5日(土)午後2時半から
会場 :早稲田大学文学部(戸山キャンパス)39号館(第二研究棟)第5会議室

……あした報告です。プリント原稿、なんとか仕上がりました。印刷はわたし自身でします。30部もあれば足りるかな。

投稿: 高尾 | 2005/02/04 15:49

 『週刊日本の伝説を旅する 京都Ⅰ』(世界文化社)書評①
 東京都公文書館非常勤職員 高尾善希

 『週刊日本の伝説を旅する』(世界文化社)シリーズ創刊号が拙宅に届きました。世界文化社のモニターになったからです。拝読させて頂きました。いまの歴史ブームと旅ブームとにうまく沿うような企画もので、一読書人として、そして一歴史研究人・愛好者として、その趣旨を歓迎したい、と思います。
 いま、特に「団塊の世代」が、ようやく会社などをリタイアして、遠出して遊びに行こうとしています。ちょうどわたしの父母もその世代で、やはり旅ざんまいの日々をおくっています。旅に出るとその土地のことがむしょうに知りたくなるものです。それで本を持ちながら歩く。特にその土地の歴史。実際目にみえるものばかりではなく、往事を想像しながら、心の目を働かせながら歩くのは、楽しいものです。そういう「旅の友」として、今回の企画が出されたのだと思います。

 いま、大判・カラーで、ページ数の少ない体裁の本は、「週刊百科」シリーズ(朝日新聞社)にはじまり、すっかり定番となりました。とりわけこの体裁で、歴史と旅をテーマとする週刊の本が、3社から3つ出ています。
 ①ひとつは『週刊百科 司馬遼太郎 街道をゆく』朝日新聞社
http://www3.asahi.com/opendoors/hyakka/kaidou/backnumber/s01.html
 ②ふたつめは『学研グラフィック百科 週刊日本の街なみ』学研
http://www.gakken.co.jp/gg/mati/
 ③そしてみっつめが『週刊日本の伝説を旅する』世界文化社
http://www.sekaibunka.com/
 です。
 3つとも旅をテーマにしていますが、それぞれに特色があります。①は司馬史観を対象に旅をとりあげたもの、司馬ファンをターゲットにしたもの、②は各地の町なみをとりあげたもの、風景を重視した、③は各地にのこる伝説をとりあげたもの、伝説などの歴史ロマン(?)を重視した、ということでしょうか。

 その理解に従って、『週刊日本の伝説を旅する』をよみますと、もっと伝説をとりあげるスペースをとった方がよいのではないか、と感じました。各エッセイのあと、申し訳程度の観光案内がありますが(伝説地マップはよしとして、特に「京都洛外名所巡り」など)、これはちょっと余計であったような気がします。
 この本の体裁は、旅行案内として使うには薄すぎる。350円という値段が微妙なところで、ちょっと高めの500円・600円を支払えば、写真・文字量の多い、汎用性のある「旅行ガイド・ブック」を買うことができます。また、旅に行った気分になるための、グラビア集・読み物集として楽しむには、旅の大人向け雑誌という「強敵」がいます。

 だから、せっかく伝説をとりあげたのですから、伝説のはなしそのものになるべく特化して、美しいグラビアとともに紹介してもらいたい、と思います。わたしは歴史を実証研究していますが、伝説をばかにしているわけではありません。伝説そのものも、むかしのひとの心を知る、立派な「史実」だといえます。
 これからのシリーズに期待します。

投稿: 高尾 | 2005/02/07 08:55

2月5日のアジア民衆史研究会は、深谷克己先生をはじめ、落合延孝さん(わざわざ群馬からお越し頂きました)・杉仁さん・須田努さん、早稲田大学の院生のみなさんと、ふかい議論をすることができました。この場をかりてお礼申し上げます。

投稿: 高尾 | 2005/02/10 08:18

歴史文化村のブログ、さっき見ました。お手数をかけました。さっそくあちらのブログでコメントとも思いましたが、またそれはあらためて。まずはご苦労様でした。

投稿: 小林信也 | 2005/02/12 10:55

次回は小林さんにお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/02/12 15:59

了解しました。2日間ほど時間をくださいな。

投稿: 小林信也 | 2005/02/12 18:10

いや、もっとごゆっくりでも構いません。楽しみにしております。

投稿: 高尾 | 2005/02/12 20:54

 いつもコメントをありがとうございます。最近、私の出身地の小さな郷土史団体が消滅したので、駄文を記した次第です。若者の歴史離れと高齢化が原因と、関係者の方が言っていました。最後は、会誌発行のための原稿にも事欠く状態だったそうです。高尾さまのご意見もぜひこのページで展開してください。ではでは。

投稿: 渡邊大門 | 2005/02/13 18:52

地方史研究に関するブログ、興味深く拝見しました。そういえば、わたしのまわりでも、地方文書(ぢかたもんじょ)の研究、減ったなあという印象です。一時期は花形だったんですけど。

郷土史団体の消滅、残念ですね。小さな郷土史団体が残してくれた情報は、貴重なものが多いですね。わたしも随分助けられたことがあります。

私見では、高度経済成長期が歴史離れの断層になっているんじゃないか、と漠然と思っています。その歴史離れをどうしたらよいのか、一歴史研究人としてよく考えていかなければ、と思っています。

投稿: 高尾 | 2005/02/13 21:05

 いつもお世話になっております。ブログを運営してから、一日一文(駄文が多いですが)は・・・と思い、がんばっておりますが、意外と反応がないものですねえ。かといって、知っている人にメールで知らせるのもヘンですし・・・。でも文章を書く練習になるし、メモ帳代わりだと思ってがんばりたいと思います。ではでは。

投稿: 渡邊大門 | 2005/02/14 20:11

そうですねえ……。まだブログという道具が世間に認知されていないのかもしれませんね。がんばりましょう。
わたしの場合、歴史系ブログのリンク集をつくったおかげで、いろんな方々に出入り頂くようになりました。リンク集は、自分の便利だけでなく、ブログ同士のネットワークをつくる、という目的もあります。

投稿: 高尾 | 2005/02/14 22:20

いつも大変お世話になっております。
先日は「立正史学」と「巣鴨百選」お送りいただき、大変ありがとうございました。
「立正史学」はこちらの図書館でも拝見致しました。また、いろいろお教えください。
高尾様の益々のご活躍をお祈りいたします。

投稿: 林 信行 | 2005/02/14 23:27

林信行さん、ありがとうございます。それにしても、ご先祖さまの林信海も、はるか後世、自分のことがいろんなところで話題にされるなんて、夢にも思わなかったでしょうね。このブログでも林信海日記を宣伝させて頂きます。

投稿: 高尾 | 2005/02/15 07:37

高尾さま
 中村武生です。
 昨日は僕のブログをリンクして下さり誠にありがとうございました。
 さて遅ればせながら、高尾さんのブログもリンクさせて頂きました。

http://siseki-kukan.way-nifty.com/heiankyokyoto/

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 中村武生 | 2005/02/21 13:26

はじめまして、中村さま。
昨年末、高尾さんのご指導の下、ブログを始めた小林信也と申します。私の専門は、研究史整理などに際しては、しばしば“空間志向の都市史研究”というカテゴリーにまとめられたりもします。それから、育児のかたわら非常勤講師稼業にもいそしんでおります。20分で子供の夕飯と自分の酒のつまみとを同時に仕上げる技にはそれなりに年季が入ってきてます。そんなわけで中村さまのブログを拝見し、他人事とは思えず、ついついコメントさしあげます。お邪魔でなければ高尾さんのついでに私ブログからもリンクさせていただこうと思います。以後よろしくお願いします。

投稿: 小林信也 | 2005/02/21 13:57

小林信也さま
 はじめまして、中村武生です。
 コメントありがとうございました。
 すでに小林さんのブログも拝見しておりました。
 「他人事と思えず」 とのコメント、感激しました。僕はまだまだカリスマ主夫には遠く、妻に叱られてばかりです。

 20分でお子さんのお食事とご自分の肴をつくられるなんて、すごいですね。

 こちらこそぜひリンクをはらせて下さい。
 今後ともどうぞよろしくお願いします。

投稿: 中村武生 | 2005/02/21 18:36

中村さん、リンクありがとうございました。小林さんもどうも。ここは掲示板なので、何でもご自由にお書き込みください。

わたしにも3歳と1歳になる子どもがいます(ともに男子)。わたしが仕事にいっているあいだ、妻と義母が面倒をみて、休みの日には、わたしが運転手になって車でお出かけです。

小林さんと中村さんとわたしは非常勤パパですね。いちどみんなで「研究と子育て」という題名でエントリーを書いて、トラックバックを送りあう、っていうのをやってみましょうか(笑)。

投稿: 高尾 | 2005/02/21 23:08

高尾さま

先日はお目にかかれて光栄でした。また、『巣鴨百選』ご恵贈下さり、ありがとうございました。今、ちょうど浅草花屋敷の原稿を執筆中なので、植木屋のことはたいへん勉強になりました。

さて、我が師匠が齢66にして、この度ブログデビューいたしました。もしよかったら、覗いてあげて下さい。

http://blogs.yahoo.co.jp/kyoshi01jp

投稿: くま | 2005/02/22 03:06

くまさん、こちらこそ光栄でした。くまさん師匠、ブログ・デビュー。すごい。

投稿: 高尾 | 2005/02/22 07:58

 『週刊日本の伝説を旅する 江戸・伊豆七島』(世界文化社)書評②
 東京都公文書館非常勤職員 高尾善希

 世界文化社のモニターになったので、『週刊日本の伝説を旅する』が毎号拙宅に送られてきます。『週刊日本の伝説を旅する 江戸・伊豆七島』(世界文化社)が届きました。シリーズ2巻目。
 ……小生、書評①では勘違いしておりました。350円というのはシリーズ1巻目だけのサービス価格で、2巻目以降は560円なのですね。全冊350円かと思っていたら違っていた。ずいぶん高価です。その分だけ内容を充実して頂きたいと思います。
 東京にも伝説はいろいろあります。ふるくは、平将門や太田道灌から、忠臣蔵・四谷怪談・八百屋お七などなど。将門も道灌も古すぎるように思われがちですが、江戸人には馴染みの人物たちでした。それは物語や歌舞伎の影響です。今回の号では道灌・お七が主にとりあげられています。伊豆七島も流人の島です。それに関する逸話が多く残っています。わたしも神津島にも行ったことがありますが、観光名所もいくつかあります。武田静澄さん・井出孫六さんの文章をもってきたことは評価できます。

 ただ、やはり高いんですね。いまいろんな雑誌が世に出ておりますが、『週刊日本の伝説を旅する』くらいの情報量なら、おそらく「旅の窓口」に置いてある無料のパンフレットを幾つか拾うだけでも足りるし、そこまで行かずとも、インターネットで充分でしょう。前にも書きましたが観光案内が閑散としています。また構成のまとまりもあまりよくありません。
 たとえば、今回の号でいえば、東京の主な名所を紹介するページが多くありますが、誰もが知っている施設・史跡が書いてあるだけです。「小江戸」川越を紹介する余裕があるなら、たとえば、メインの文章にある八百屋お七について掘り下げ、その史跡巡りを企画したほうがずっとよかったでしょう。お七に関する名所としては、目黒大円寺というお寺さんがあります。実は、たまたま先日訪問し、貴重な仏様を拝ませて頂いたばかりなのですが、とても雰囲気のいいお寺さんでした。こういう「隠れた」(?)所を出版社のほうで是非発掘していただきたいと思います(今回の号では、ちょっとした大円寺の地蔵様の写真がありましたが、もっととりあげてもよいでしょう)。
 また、作家のことも気になります。小林信也さんのブログにもありましたが
http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/2005/02/post_8.html
故人の文章がいくつか掲載されていて、そうするとそれは何処かからの転載であるらしい。手抜きといわれても仕方がありません。

 いま出版業は斜陽だといわれています。「内容を充実せよ」といわれても、あまり資金が集まらず、無理な注文かもしれません。しかしそこを何とか踏ん張ってもらいたい。世界文化社のため、出版界全体のため、ふんばってもらいたい。これが、一読書人・一歴史研究人としての、わたしのエールです。
 アイデアはいろいろあります。たとえば、歴史系の非常勤オーバー・ドクターを使ってみては如何でしょう。また百戦錬磨の地元の郷土史家たちがいます。彼らは論文も書いているし(論文を書いていれば文章がうまいとは限りませんが)、文献や史料を知っています。有名作家にたくさんのお金を出すのもいいでしょうが、こういう方々と折衝してみては如何でしょう。わたしや職場の同僚の小林に相談してくれれば、腐るほど紹介して差し上げるのになあ……。
 わたし? わたしは仕事の依頼が来たら、勿論ありがたく何でもやらせて頂きます。世界文化社の社員になっていもいいと思いますが、たぶん研究人なんていらんでしょう。きっと「弊社は(研究人を対象とする)募集はしておりません……」などといわれて、お断りを頂くに相違ありません。

投稿: 高尾 | 2005/02/22 08:11

高尾さん
 中村武生です。
 コメントありがとうございます。

「研究と子育て」の件、おもしろいですね。
 企画のひとつに入れておいてください。

 世界文化社のモニターとしてのご意見、同感です。
 「何十年前の話をしてんねん!!」といいたくなる中身のない内容を書くライターを使うぐらいなら、良質なオーバードクターを使うべきです。

 文章が読みにくければ、(話し合った上で)編集側で直してやればよいのです。
 出版界の明日のために、少々手間でも、中身のある内容が必要です。
 
 僕も何人でも紹介します。いえ僕を使って下さい(笑)。
 オーバードクターではないですけれど。

投稿: 中村武生 | 2005/02/22 11:36

高尾さま

さっそく我が師匠のブログにお越し下さり、さらにリンクまでして下さり、ありがとうございました。

たぶんまだ、ご当人に他人様のブログに書き込む自信はないと思われますので、不肖の弟子が師匠になりかわりまして、御礼申し上げますm(_ _)m

投稿: くま | 2005/02/22 12:15

中村さん、ありがとうございます。
出版社の編集者も、きっとよくおわかりになっていないのでしょう。もちろん歴史学のほうにも、あまり通俗雑誌などに関心を払ってこなかったという責任があるのかもしれませんね。その意味で中村さんのご活動(ホームページ拝見しました)には敬意を表します。

投稿: 高尾 | 2005/02/22 22:17

くまさん。
うるわしき師弟愛を感じます。いいですね~。

投稿: 高尾 | 2005/02/22 22:20

やっと、ここにたどりつきました。私の雑文を、読んでいただき恐縮です。
そちらは大変に盛りだくさんで、充実していますね。
とりあえず、職場の皆さんによろしくお伝えください。

投稿: メドロ先生 | 2005/02/23 21:20

メドロ先生、コメントありがとうございます。大先生であり、わたしの大先輩にもあたるメドロ先生のネット・デビュー、たいへん驚きました。心より歓迎申し上げます。

当ブログ、右にある歴史系ブログ一覧には、東大吉田ゼミ出身で気鋭の江戸研究者、小林信也さんの「江戸をよむ東京をあるく」、また、歴史研究者共同執筆ブログ「歴史文化村」どっとこむ、があります。

是非そちらの方にもコメントをお寄せ頂ければと存じます。

投稿: 高尾 | 2005/02/24 08:03

メドロ先生、ネットデビューおめでとうございます。こらこら、高尾さん。過分な紹介、困っちゃうじゃないの。これから早速メドロ先生のブログへお邪魔してご挨拶してまいります。

投稿: 小林信也 | 2005/02/24 10:16

小林さん、まあ、いいじゃないですか。

それにしても、先生、ここにたどり着くのにご苦労なさったみたいですね。わたしのコメントにリンクが貼ってありますから、そこをクリックすれば、簡単にこのブログにやってくることができます。また、何度もみるページは、「お気に入り」に入れておくと便利です。

投稿: 高尾 | 2005/02/24 12:49

沼田順義という国学者につて調べています。
埼玉県立文書館林家文書も少ししらべました。
日記類にこの名前がでできたというような記憶はありませんか?

投稿: きみひこ | 2005/02/24 15:33

きみひこさん、こんにちは。林家はさいきんご無沙汰でして、しかも最近忘れっぽくって、記憶が確かではありません。ごめんなさい。院生時代なら即答できたのですが。

沼田家は川越鍛治町に住んでいませんでしたか?たしか沼田順義は沼田一斎のお父さんでしたよね。信海と一斎は親しい仲でしたから、両者の往復書簡は数多く林家文書にあります。これは結構多いのでみるのがたいへんです。順義、ちょっと記憶にないのですが、そのなかに出てこなかったですか。

また、入間郡石井村井上家文書(埼玉県立文書館)はごらんになりましたか。どうでしょう。

投稿: 高尾 | 2005/02/24 16:12

丁寧なご返事ありがとうございました。沼田順義は嘉永二年に亡くなっています。一斎の書簡は嘉永五年が最も古く、又林家文書の目録の表題を見てもあまり関係なさそうだったのでまだ閲覧していません。これから細かく見たいと思っています。それから鍛冶町の件、これははじめて聞きました。当時の記録に高澤町或は志儀町とありますあの膨大な日記類の中に記述があるのでしょうか?年代はいつごろの日記でしょうか?井上家文書の件まだ閲覧していません。調べてみたいと思います。お忙しい中ありがとうございました。また宜しくお願いいたします。

投稿: きみひこ | 2005/02/24 22:28

鍛冶町の件は失念ください。記憶違いかもしれませんから。
嘉永2年まで生きていたのなら、信海日記に出てこないでしょうか。可能性があるとすれば「他出雑記帳」でしょうか。文字が小さくて読むのがつらい日記です。
石井村井上家文書は面白いです。順義はともかくとして、知識人をご研究されているなら、一度はご覧になってください。まだ誰も本格的にやってないのです。井上多蔵は信海の従兄弟で、維新後、大学中助教にまで出世します。
成果が出ることをお祈り申し上げます。おもしろいことがわかったらご教示くださいませ。

投稿: 高尾 | 2005/02/24 22:53

はじめまして。リンクありがとうございました。
自分のところでもコメントしましたが、リンク集に加えていただいていいのでしょうか。もちろんありがたいことだとは思っていますけど、浮いているような気がするのですが。

投稿: shig | 2005/02/25 21:17

申訳ございません。都立大史学科の件について注目させて頂く意味もありますから、お役立ちのリンクに加えさせて頂きました。ご迷惑でなければいいのですが。

投稿: 高尾 | 2005/02/25 23:11

謝ってもらうようなことではないです。最初のコメントの文体が悪かったようで、こちらこそ申し訳ありません。

ともかく注目して頂けるだけでなく、リンク集にも残してくださって感謝しております。私はリンク自体については互いに勝手にやっていいものだと考えていますが、今回の問題はデリケートなので取り扱いにはちょっと神経質になってしまいました。

今後とも宜しくお願いします。

(自己紹介を読ませていただきましたが、共通の知人が何人かいそうです。やはりこの世界は狭いですね)

投稿: shig | 2005/02/25 23:50

どうもありがとうございます。共通の知人がいる、そうですか。こちらこそよろしくお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/02/26 00:47

はじめまして。
毎回、楽しく拝見させていただいております。
江戸の住人で、江戸時代のことを色々調べています。今、江戸の都市計画で、溜池の造成について調べています。寛永以前はもっと広大だったようで江戸後期には埋め立てていき切絵図にみえるような形になったという。いつの時期から、またどこから土砂を運んできたのか、そういうことが詳しく分かる史料を探しています。
麻布や飯倉あたりは愛宕山につらなる台地、山だったそうですが、それと関係があるのでしょうか。切絵図にはこの近くが土取場だったと見えます。

投稿: 江戸の住人 | 2005/02/27 12:38

「東京市史稿」という便利な史料集があります。事項別索引で溜池周辺の記事をあさってみてください。

投稿: 高尾 | 2005/02/27 14:38

ブログ「本とCDとDVDとココログ」(「ココカコ」運営者による)の「ココログ最近の書き込みより」のシリーズに当ブログが紹介されています。何でもない記事なんですけどね。

高尾善希(世代論)30歳の話 (学問・資格 : 2005-02-27)

http://usukage.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_246.html

投稿: 高尾 | 2005/02/27 14:43

 大学院に合格しました、早速お祝いのコメントをいただき、ありがとうございました。もういいおじさんですが、博士号目指してがんばります。
 ところで、私のブログに書いたのですが『戦国武将・合戦辞典』はご覧になりましたか?『国史大辞典』を転用したような感じです。いろいろと出版事情が厳しいと思いますが、やっぱり最新の成果が欲しいと思いました。

投稿: 渡邊大門 | 2005/02/27 20:37

合格おめでとうございます。今後のご活躍をお祈り申し上げます。

『戦国武将・合戦辞典』みておりません。そうですか。出版社の編集者もある意味「素人」で、研究者もある意味「素人」なのだと思います。お互いさまなのですが、両者が補いあうかたちで仕事ができないものでしょうか。

投稿: 高尾 | 2005/02/27 20:52

溜池の埋め立ては、東京市史稿では明治しか該当がありません。江戸期では堀浚や火除地などのみ。
土取場の史料は知りませんか?

投稿: 江戸の住人 | 2005/03/01 01:38

Yくん、どうも。今月はお疲れ様でした。土取場ですか、「東京市史稿」にわからぬもの、浅学なわたしにわかるはずもありません。何と申し上げたらよいやら……。どうもすみませんです。もちろん史料をみつけたらご連絡します。がんばってください。

投稿: 高尾 | 2005/03/01 02:53

学問ブログ「0x0a」の「研究者のWeb上での情報公開における「自由に書けない」という制約」(2月28日記事)を読みました。理系の方のブログらしい。
わたしのブログの記事「『学問サイト』はどうあるべきか」にリンクをひいて頂いています。http://svslab.jp/0x0a/
ここでは学問ブログについての言及があります。

「……「学問サイト」はどうあるべきかを読んでからだとなおさらそう思うが,堅過ぎるタイトルはまずいな.それはともかく.……」

わたしの文章にふれた箇所はこの程度ですが、

「私も自分の現在進行中の研究の中身がばれないように,微妙なところを突いて議論を展開しているつもりではあるが,それでも読み取れるものは読み取れてしまいそうだ.……何をWeb上に書いてもよいのか,については将来のことまで考えると難しい.」

といいます。情報合戦の理系だとこのへんがなかなか難しいらしい。それにコンピューターの難しい事柄を一般のひとにもわかりやすく、というのも無理な注文かもしれません。わたしの属する人文系は、特に世間様とのおつきあいが大事な稼業ですから、ブログも有用性をもってくるわけです。


投稿: 高尾 | 2005/03/01 11:56

いま書いている原稿、図表抜きで25枚まで作成完了。40枚くらいまで書いたら、いっぱいいっぱいになるでしょう。10日をめどに仕上げたいと思います。その次は、今月中に2本の論文と3つの講演をこなさなければいけない。どうなることやら……さてさて。

投稿: 高尾 | 2005/03/03 19:49

高尾さん、はじめまして「カイエ」の管理人Stone Seeker です。このたびは、リンクを頂きまして誠にありがとうございます。さっそくリンクに加えさせていただきました。今後ともよろしくお願いいたします。

私は縄紋時代の研究をしていますが、文献史学をもっと学んでおくべきだったと、学部を出る今ごろになって思っています。有史でも新しい時期は、考古学の学史からみると、比較的最近までなおざりにされてきた感がありますが、最近は考古学の対象としても脚光を浴びていますよね。後輩にも江戸時代の廃棄行為について考古学的に研究しようとする者がいますが、いちばん文献史学と考古学の協同ができる時代・領野ですし、非常に面白いと思ってみています。

投稿: Stone Seeker | 2005/03/05 14:24

Stone Seekerさん、こんにちは。勝手にリンクをひいてすみません。実のあるブログ、楽しみにしております。考古学はすごいド素人です。勉強させて頂きます。

先史時代の専攻のひとからみれば、有史時代の研究なんて、つい最近の出来事を研究しているようにみえるでしょう。まして江戸考古学なんて……。江戸考古学はあまり認知が進んでないようです。

それはそうと「縄紋」なのですね。佐原さんのいうように、縄文じゃなくて「縄紋」…。最近の学術論文でもそうですか。

投稿: 高尾 | 2005/03/05 14:52

高尾さん こんにちは。ラン2です。
お節介を承知で申し上げます。
無料の掲示板を試してみてはいかがですか?
この掲示板では、有益な情報も話題にされていても、いかんせん読みづらいですう!
たとえばリンクしてくださっている私のブログ「平家物語」のサイドバーにつけいている掲示板見てくださいませ。
無料版なので広告が入るけれど、壁紙とかも自分で設定できるし、気に入ってます。
このコメント機能で十分と思われているのなら、聞き流してくださいませ。。
ホントわたしってお節介です(汗)

投稿: ラン2 | 2005/03/05 18:33

おせっかいだなんてことはありません。こちらこそ利用しずらい掲示板ですみません、ご教示ありがとうございます。

無料版! いいですね。是非利用したいですが、サーバーとかを借りてこなくてもいいのですか?

投稿: 高尾 | 2005/03/05 22:45

少々風邪気味。軽いのですが念のため病院に行って薬をもらってきました。

俗に「馬鹿は風邪を引かない」といいますが、これは「誰でも風邪はひくものだ」ということをいいたいのでしょうか? アエラの記事によると「あほう風邪ひかず」という文言が江戸時代の文献にあるそうです。案外古い言葉なのですね。

投稿: 高尾 | 2005/03/05 23:04

ここ近年、近世考古学の分野は大名屋敷跡などの発掘調査でかなり進展してきていますね。
特に江戸屋敷絵図面が史料として残されていると遺構との対照ができて考古の人たちからは重宝がられます。

このブログを訪れる歴史の分野の方々も文献史学だけでなく他分野からも多くなりましたね。
ますます発展するIT社会に歴史の世界も入り込んできました!まさにライブドアが目指しているものが目に浮かびますね。
高尾さん、今後の活躍を祈念致します。私も頑張ります。

投稿: 江戸の住人 | 2005/03/06 03:02

江戸の住人さん、ありがとうございます。いま遺跡と絵図史料との比較をやっています。まあ、だいたい符合する、といっていいかと思います。

ブログリンクはどんどん充実させたいと思っています。考古学もあれば引かせて頂きたいと思っています。

投稿: 高尾 | 2005/03/06 10:21

無料掲示板は、広告が入る代わりに無料でサーバーをレンタルできるサービスです。
ブラウザ上で簡単な申込をするだけで、すぐに掲示板が作れます。
ココログに貼るには、ブログランキングへのリンクを貼るのを同じように自分の掲示板のURLへのリンクを設置するだけです。

teacupなんて超有名ですよね。
http://www.tcup.com/
少しタグとかわかるようでしたら、自分でデザインをカスタマイズできる無料掲示板とかもあります。わたしが使っているものがそうです。

投稿: ラン2 | 2005/03/06 20:01

サーバーもくれるのなら簡単ですね! 早速試してみます。ご教示ありがとうございました。

投稿: 高尾 | 2005/03/07 08:03

高尾さん、こんにちは。
江戸考古学の認知度ですが、大学にいると年々上昇してきているように感じますよ。もちろん先史から比べると、まだまだということなのでしょうが、いまは概説書もかなり出ていますし、仲間内でも近世考古学は人気が高いです(とくに女性の間で)。

縄紋は学史的にみても「縄紋」が正しい(という言い方も変ですが)のだと思います。時系列で並べれば、Cord mark→索紋→縄紋→縄文と名称の変遷がありますが、「縄文」とするのが一番新しく、「紋」を「文」に変えた経緯というのは不明瞭です。

同じものを別の名称で呼称しているわけですが、学術論文とかの使用頻度でいえば「縄文」を使用する人が一般的だと思います。しかし、ぼく自身は学史をも含めて批判的な継承を考えているので、「縄紋」と記述します。最近は「縄紋」と書く人も増えてきました。

瑣末なことに映るかも知れませんが、実は大きな問題で、この名称問題を取り上げた論文というのも多々あります。佐原眞さんの話は、また別の説明というか、学史を踏まえたうえで、さらに自身の考えを強く投影されたものだと思います。

投稿: Stone Seeker | 2005/03/07 11:11

くわしいご教示ありがとうございます。
「江戸考古学の認知度ですが、大学にいると年々上昇してきているように感じますよ。」そうですか、それは嬉しいですね。「とくに女性の間で」。それはわたしも感じました。

「縄紋」ご教示、納得いたしました。たしかに「縄紋」の方がわかりやすい言葉です。言葉の問題、明瞭さ・正確さが求められていますね。

投稿: 高尾 | 2005/03/07 12:42

はじめまして。というか、お久しぶりです。大学院で高尾氏の1学年上、江戸の考古学をやっている仲光です。覚えていないとは思いますが・・・
 今同僚になっている清水氏から、面白いとうかがい、のぞいてみました。今回、豊島区の講座ラインでも一緒させてもらってます。ホントに面白いですね。とりあえず挨拶まで。

投稿: 仲光克顕 | 2005/03/09 16:07

近世考古について、興味深い関連記事を見つけましたので、ご紹介しておきます。

http://blog.concon.jp/item/123

高尾さんも、一度調査に参加されては?私も若かりしころは、えんびとばしとか、ねこむすめとか、いろいろやりました(^_^)v 江戸が無言のうちに語りかけてきますよ。

投稿: くま | 2005/03/09 16:16

落ち着いたらやりたいこと、それは天体観測と考古学発掘。一時期、公文書館勤務のあと、豊島区の深夜の発掘を見学させて頂いておりましたが、「すごいなあ」の連発でございました。

投稿: 高尾 | 2005/03/09 17:23

仲光さん、コメントありがとうございます。よく覚えておりますよ。仲光さんとはちょっとだけお話しさせて頂いたこともありましたね。報告だって拝聴したことがあります。泥メンコのご報告でした。
考古はまったくのド素人、豊島区遺跡調査会のひとから教えてもらっています。いろいろご教示下さい。

投稿: 高尾 | 2005/03/09 17:27

豊島区原稿、400字詰めで38枚まで完成。あと細かい史料を補うから、40枚ちょっとにはなりそうです。それに加えて図表が多いから、結局50枚以上にはなるのかもしれない。きょうの夜のうちには完成するかどうか。

投稿: 高尾 | 2005/03/10 12:23

ココログ・ガイドに当ブログが紹介されるみたいです。14日です。

投稿: 高尾 | 2005/03/10 15:33

…といいつつ現在45枚突破。なんだかすごくつかれた。このあとは…47・48枚くらいになるのかなあ。

投稿: 高尾 | 2005/03/10 21:38

江戸遺跡はまだまだたくさん掘り出されそうですね。
今後の成果が期待される。(^-^)/
よく都内を縦断していて気づくことがあります。それは江戸の切絵図を見ていて当時の道が現代でもそのままになっているところが多いことです。特に坂道には由来を書いた標柱があり、多くは江戸時代からの坂です。
国際都市東京の都心にあっていつも人と車が多く賑やかで雑然とした中にも神社仏閣や雑木林など、旧大名庭園があり緑も少なくない。特に皇居(江戸城)は広い森林だ。高尾さんの職場の近くにも紀州藩下屋敷や浜御殿があった場所は庭園ですね。
現代は東京は国際都市ですが、江戸時代は大名が参勤交代してきたから全国的に文化交流がさかんで江戸は藩際都市と言われる。これは造語で、大学の時の授業で聞いた話です。その先生は何度も言うものの活字には一切していない。
そもそも藩という呼称自体、公的に使用されるのは明治以降。
ちなみに大名領国は領分と言った。例えば松平大和守家領分と言えば川越藩(江戸中後期)。藩とは言わずに領分、家中と呼んでいた。
ともかく江戸遺跡はおもしろいですよね。文献史学と考古学が互いに補完しあえばさらに詳細が分かってくる。

投稿: 江戸の住人 | 2005/03/11 03:05

江戸の住人さん、ありがとうございます。いま切絵図で東京の町中をあるくのがブームです。健康にもいいし歴史の勉強にもなります。

投稿: 高尾 | 2005/03/11 08:03

豊島区遺跡調査会『巣鴨町Ⅵ』、拙稿「「巣鴨町軒別絵図」と近世巣鴨町の諸相」ほぼ入稿。一安心。しかしひどい風邪をこじらせた。これからは養生につとめる。

投稿: 高尾 | 2005/03/12 21:32

(書評)『週刊 日本の伝説を旅する』(世界文化社)3巻・4巻
東京都公文書館高尾善希

 3巻・4巻が拙宅に届きました。本の体裁や編集方針についてはまえに述べましたので繰り返しません。
 3巻、北海道の特集。わたしは北海道に足を踏み入れたことがないので、旅情をかきたてられました。武田信広の文章、志苔館埋蔵金の話は興味深い。江戸時代、松前の交易は特に盛んになるのですが、中世の北海道流通史もおもしろそうです。
 4巻、鎌倉の特集。こうしてみると鎌倉も何と伝説の多いことか。文章をよむと、特に鎌倉幕府創業のころの人々については、史実かどうかは別にして人物をいきいきと描く伝説が多いのです。とても個性的でドラマにするにはうってつけですね。平家物語など物語の登場人物にされることが多いためでしょう。またこの巻で「金太郎」が紹介されていることはうれしい。伝説であるにしても、所領争いの話などは東国武士団のふんいきをよく伝える話です。

 さて、毎週連載の井沢元彦さんの文章について少々コメントをさせて下さい。以前書き忘れたので。
 井沢さんの文章には「政敵の怨霊を鎮魂する」日本史という切り口があるようですね。たとえば1巻で井沢さんは、源氏物語は政敵の源氏をせめて物語上で勝たせて鎮魂するための話だったとか、六歌仙選出も藤原家以外のひとが選ばれているのは藤原家が排斥した他氏を鎮魂するためだったとか仰る。
 たしかに源氏物語は、政治的には「源氏が勝つ」のですが、源氏の人間的苦悩の部分はどう説明つけるのか。そして六歌仙選出については、高位高官の批評はさけている(古今集仮名序に「官位高き人をば…入れず」とある)ことを考慮に入れなければいけません。ひとつのファクターで全てを括りつけることは強ちわるいとはいえませんが、時と場合によるのではないかと思います。
 また2巻で井沢さんは、記紀の「神話」を歴史教科書で、といいます。しかし評価定まらないあやふやな「神話」について、歴史学の研究の対象にするのならまだしも、教育の場でというのはおかしい。教育の場で教えるのは明瞭な事実に限るべきです。また「神話は『大和朝廷がその支配を正当化するためのデッチ上げ』という一方的な決め付けがなされ」という一文には全く納得がいきません。津田左右吉以来の記紀研究を無視した暴論です。もし記紀について歴史教育で教えることがあるとすれば、まず「大和朝廷がその支配を正当化するためのデッチ上げ」た話が多いということでしょう。
 ただ4巻、義経の母は美人だったという説には賛同したい。いろいろ読むとどうやらそういうことらしい(特に保立道久『義経の登場』 72頁以降を参照のこと)。別にたいしたことはない事柄で、井沢さんのオリジナルでもありませんが。

投稿: 高尾 | 2005/03/13 23:38

三村先生とのエピソード、大変楽しく読ませていただきました。
私たちアマの囲碁仲間は、プロの棋士には敬意を表して先生とよびます。
メドロ先生が、いかに年長でも、分野が違うと、「さん」ではよべません。

投稿: メドロ先生 | 2005/03/15 01:26

わたしは囲碁とは全く関わりがないもので、つい失礼してしましました。たしかに囲碁の先生の中にはお若いひとが多いです。

投稿: 高尾 | 2005/03/15 07:54

ついに2本目の論文を入稿。いま3本目の論文に着手。3本目は前から書いていたので、すでに29枚くらい書けている。図表があるので本文はあと6枚程度か。文章・図表をきれいに整える必要がある。

投稿: 高尾 | 2005/03/22 21:38

3本の論文、木曜日ですべて入稿しおわりました。なんと、1ヶ月で3本の論文を書きました。自分でもちょっと信じられないペース。もっとも、前から準備してあった文章がたくさんあって、それを繋げていったわけですが…。

それでもすごい疲れました。そのためか木曜日の夕方激しい腹痛。夜中の3時まで点滴していました。6時起床で出勤して職場を終わってもまだ別の用事。過酷です。

きょう土曜日はゆっくりしています。あしたは講演なので体を休めます。

投稿: 高尾 | 2005/03/26 17:34

仕事で出張していたので更新が遅れました。申し訳ございません。

投稿: 高尾 | 2005/03/31 08:34

昨日木村剛さんにまたご引用頂きました。この場をかりてお礼申し上げます。昨日はすごいアクセス量でした。320人のかたがどっと押し寄せてきました。

http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/blog_of_the_wee_3.html

しかし人気ブログランキングは上昇せず。ウケも狙わず、順位も気にしていないとはいえ…。

投稿: 高尾 | 2005/04/01 12:49

滝田様、承知いたしました。お使いくださって結構です。ご希望通り、コメントは記録の上、削除いたしました。よろしくお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/04/01 14:23

きょうは長男の幼稚園入園式でした。桜咲くいいムード。どの子も泣きわめくことなく無事終了。

わたしはビデオ係。入園式会場では、長男を撮影できるいい場所を確保できなかったため、そのかわり、ビデオを撮り続けるお父さんたちを必死になって撮った(笑)。だからわたしだけビデオの向きが逆です。
そのためなんだかおもしろいビデオになりました。家族には笑って許してもらいました。

急にわたし自身の幼稚園入園の頃を思い出しました。お母さんがいないからって、すごい泣いている子がいました。まるで昨日のことのようにはっきり思い出せました。

投稿: 高尾 | 2005/04/09 21:02

多忙のため少々更新がおくれました。

投稿: 高尾 | 2005/04/13 07:46

一度ブルーの画面にカスタマイズしてみましたが、やはりレッドがいいと思ったので、レッドに直しました。ブルーはかるく見えてしまっていけません。重厚感がありませんね。

投稿: 高尾 | 2005/04/22 23:40

日曜日、子どもをつれてミッフィーの劇をみにゆきました。前列2番目です。しかしミッフィーの顔って「・」ふたつと「×」ひとつだけだから、近くから見ても、遠くから見ても、同じです。ほくろもありませんでした。

投稿: 高尾 | 2005/04/26 17:28

法事のためちょっと更新が遅れました。

投稿: 高尾 | 2005/05/02 16:12

久しぶりの書き込みです。

今年度、大学の古文書学実習で高尾さんの職場を見学、訪問することになりました。
その際はよろしくお願いします。

投稿: 江戸の住人 | 2005/05/08 17:57

そうですか。よろしくお願いします。江戸の住人さんにとって公文書館は今更って感じでしょうが……。

投稿: 高尾 | 2005/05/09 08:14

いえいえ、いつも新鮮な気持ちです。
ちなみに公文書館見学は江戸博のT先生の時以来になります。

投稿: 江戸の住人 | 2005/05/09 19:37

ぜひ足をお運びくださいませ。

投稿: 高尾 | 2005/05/09 21:07

初めまして、恐縮ながら投稿質問させていただきたく存じます。
私はつまらない漫画原作のようなものを制作する仕事をしております。
今、新吉原を題材に女郎の物語を書いているのですが、書き進めるにあたってどう解釈して良いのかつまずいている箇所があり、困っております。なんとか先生のお力をお借りできればと思って愚問をさせていただきます。
手持ちのおもな資料は石崎芳男先生の「洞房語園異本をめぐって吉原」田中夏織著「お江戸吉原草紙」などです。
知りたいのは享保中期(1730~)から末期にかけての女郎の階級とその仕事のことです。
資料によれば当時、太夫、格子、散茶、梅茶、切り見世の五階級になっていたそうですが、吉宗の政策により贅沢な太夫格子の揚屋遊びはかなり下火になっているようですね。資料でも揚屋は5軒ほどになっています。でも仲の町にはそろそろ安く遊べる引き手茶屋が建ち並び始めるともあります。安く遊べる引き手茶屋、これにはどの階級の女郎がつかわれたのでしょう?
散茶女郎がすでに引き手茶屋遊びを始めていたということでしょうか?それとも格子太夫が客の予算によって揚屋ではなく引き手茶屋にも安い客相手に出向いたのでしょうか?

資料には1762年に三浦屋の最後の太夫が消えてから散茶が引き上げられて呼び出しなどになり、そこから初めて散茶が茶屋にあがったの様にかかれている場合が多いのですが、実際はどうなのでしょう。
 私の勝手な想像では散茶の中に新造つきの花魁格があって、引き手茶屋を使い、リーズナブルな価格ですでに遊べる体制が1762年以前に出来ていたと解釈しているのですが。

そこで今書いているシナリオでは主人公が新造つき散茶で、引き手茶屋専門に呼び出しで向かう様な話を書いているのですがこれは矛盾しているのでしょうか?
たいへん稚筆乱文にて失礼ですが、どうかお時間があったらお答え下さい。

投稿: 真倉 | 2005/05/11 13:50

わたしは吉原についてくわしく調べたことがないので、概説的なこと以外、よくわかりません。ただ、散茶女郎の変遷について、宮本由紀子さん「遊里の成立と大衆化」『日本の近世』14(中央公論社)に詳しく跡づけられています。それには宝永期には散茶が太夫格子と同格に扱われていたとあります。のちほど何かわかったことがあったらご連絡します。

投稿: 高尾 | 2005/05/11 22:57

どうもありがとうございました。そうですか宝永期だと享保期にもそのような体制が続いていた可能性大ですね。私も宮本由紀子さんの著書を探してもう一度よく調べてみます。お時間をさいていただき本当にありがとうございました。
もし何か分かったらどうかお願いいたします。

投稿: 真倉 | 2005/05/12 01:15

どうもありがとうございました。そうですか宝永期だと享保期にもそのような体制が続いていた可能性大ですね。私も宮本由紀子さんの著書を探してもう一度よく調べてみます。お時間をさいていただき本当にありがとうございました。
もし何か分かったらどうかお願いいたします。

セキュリティの面が心配なのでこちらのメイルボックスにお願いします。上記の書き込みは削除してください。
どうもお手数かけてすいません。とても感謝しております。

投稿: 真倉 | 2005/05/12 01:50

こちらこそすみません。具体的なお話なので各々論文のうしろについている註・参考文献をあさってみるか、それについてご研究なさっているかたにお問い合わせすることをおすすめします。

投稿: 高尾 | 2005/05/12 08:30

私のブログへのリンクありがとうございます。
最近では近世史料をほとんど読まなくなっているので、勉強になるとともに、私自身改めて新鮮味を感じています。私のブログからもリンクさせていただきます。今後とも宜しくお願いします。

投稿: かわと | 2005/05/13 15:01

ありがとうございます。こちらこそ勉強させて頂きます。

投稿: 高尾 | 2005/05/13 21:40

書き込む場所を間違ってしまいました。
大変申し訳ありませんでした。

あ、逆でしたか、
疑問氷解です。
ありがとうございました。


投稿: 人猫 | 2005/05/16 13:11

どうもすみません。失礼しました。

投稿: 高尾 | 2005/05/16 15:17

当方のブログをご訪問いただきありがとうございました。
四日市市楠歴史民俗資料館(旧庄屋岡田邸)運営委員会(総勢11人)は、知識的には素人の集まりですが、郷土を愛する気持ちだけで活動を続けています。
今回、初めておじゃまさせていただきましたが、こちらの古文書などのページで勉強もさせていただきたいと思っています。今後ともよろしくお願いします。

投稿: hide | 2005/05/21 13:38

わたしも四日市が好きです。父方も母方も四日市です(父方の高尾家は四日市町年寄の高尾家と縁故らしいです)。四日市は幼い頃からよく知ってますが、わたしも四日市の歴史については素人なので、いつか貴館などを見学させて頂くなどして勉強したいなあと思っています。いろいろ教えてください。

投稿: 高尾 | 2005/05/21 19:25

きのう(日曜日)は、史料をコピーしなければならない用事があり、小平市の図書館へ。なんと女房・子ども2人も同行。コピーがおわるとそそくさと近くの小金井公園へ。みんな泥だらけになり遊ぶ。仕事と家庭サービスの両立した一日であった。

投稿: 高尾 | 2005/05/23 08:47

リンクいただきありがとうございます。(リンクされている皆さん専門の方ばかりで、何か場違いな気がして恐縮です。)小さな資料館ですが、ご利用いただく皆さんが、少しでも喜んで帰っていただけるよう努力していますので、もしお気づきの点などがありましたらご指摘いただければ幸いです。
また、四日市へお越しの節は、ちょっと足を伸ばしていただき、資料館へもお立ち寄りください。四日市町は天領、楠は桑名領と、背景の違いはありますが、精一杯ご案内させていただければと思います。(残念なことに、桑名藩ってあまり史料が残っていないんですよね)

また、余談になってしまいますが、深谷先生とご縁がおありとのこと。先生の著書や論文(藤堂藩をテーマにされたものだけですが)はいくつか拝見させていただいたことがあり、(先生の方は覚えて見えないと思いますが)論文の中に書かれた、確か無足人制度のことについてご質問の手紙を出させていただいたことがあります。先生、ご多忙にも関わらず、大変丁寧なお返事をいただきうれしく思ったことがあります。
それから、最後になってしまいましたが、私のブログの方からもリンクをさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。

投稿: hide | 2005/05/23 22:29

こちらこそリンクをありがとうございます。

わたしの先祖も親戚も、ほとんど四日市なのです。四日市の高尾家の者として、四日市の博物館はとても重視しております。かつて、四日市博物館にも史料閲覧でお世話になりましたし、市史編纂室(もう閉鎖されてしまいましたね…)にも足をのばしました。また、聞き取り調査に四日市市内を歩いたことがあります。ブログで貴館の動向などを確認させて頂きます。いろいろご教示ください。

そうですね、深谷先生も三重県久居のご出身です。仰るようにお心遣いの細やかな先生です。わたしも先生から頂いた「津藩」(吉川弘文館)を拝読させていただきました。わたしの母方の祖父は津藩無足人家の出身で、芸濃町から四日市に婿養子にやってきました。それで先生から「津藩」を頂いたわけです。

投稿: 高尾 | 2005/05/23 23:37

高尾さま、本日の歴研大会、お疲れさまでした。おぼっちゃん、かわい〜(#^_^#)。だっこして、ほおずりしたい欲求を我慢しました。でないと、アブナイ人になってしまうので・・・(^^;。12月に当会の大会を開催しますので、その際にでもまたお目にかかれれば幸いです。あ、託児所、考えておきますね(^_^)v。

投稿: くま | 2005/05/30 01:30

コメント、ありがとうございます。学会に子どもをつれていったのははじめてでしたが、なぜか子どもは喜んでいました。

帰りの快速電車では、尿意をもよおして泣いてしまい、大騒ぎでした。電車にはトイレもないし、快速だからしばらくとまらない。乗り合わせたおばちゃんやおねえちゃんから励まされて、ようやくとまった駅のトイレに、なんとか駆け込みました。お茶を多くのませたのが失敗でした。珍道中です。やれやれ。帰ってブログを更新せねばと思いましたが、やる気がおこらず、はやく寝ました。

次は、ほおずりしてみてください。本人は恥ずかしがると思いますが。

投稿: 高尾 | 2005/05/30 08:27

昨日更新日でしたが、部屋の大掃除に忙殺され、その暇がありませんでした。ほんと疲れました。

投稿: 高尾 | 2005/06/06 09:11

高尾先生
品川の古文書講座を受けているものです。本日の講座ありがとうございました。来週も楽しみにしています。先生のブログも楽しく拝見させていただきました。講座で気にかかった点をこの場で質問させていただいてもよろしいでしょうか?①農民は、都市やら他の場所へ移動して職につくことができたのでしょうか。イメージですと、先祖伝来の土地に縛られ身動きできないというものがあるのですが。仕事につけたとしたら、どんな仕事でしょうか。②一揆は多かったのですか?いつもそこらじゅうにあったのでしょうか。人の一生で何回もあるものでしょうか。③農民は時代とともに生活は楽になりましたか?また、余裕もできるようになりましたか?ひいては、ぜいたくになることもありましたか?たくさんの質問恐れ入ります。よろしくお願いいたします。

投稿: しかしか | 2005/06/10 22:41

 田舎から江戸に出てくるひとのつく職業はいろいろありました。百姓が借金をかかえて江戸に逃げた場合も、真木屋・古道具屋・古着屋の下働きなど、さまざまな職業につくことができたようです(拙稿「村の中の『江戸』」…竹内誠編『徳川幕府と巨大都市江戸』)。数え挙げればきりがありません。むしろ百姓が江戸に出てきて、いろんな労働に従事してくれるからこそ、江戸という都市社会がなりたっていた、という側面があります。
 百姓一揆の件数は、青木虹二というひとが計算してますが、1590年~1867年にかけて2809件の一揆がおこっていて、年平均にすると10件です。幕末、1861年~1867年の短い間で区切ると、1年平均件数は27.8件となります。だから、江戸時代もうしろになると多くなる傾向があります。ただ、いまの労働争議に較べれば、極端に少ないことはいうまでもありません。ちなみに、民俗学者の柳田国男は、「百姓のうち、一生の間で一揆事件に出くわさなかった者も多いであろう」といっています。
 豊かになったか。難しいです。もちろん江戸時代を通じて全体を概観するならば、生産力がどんどん上がってきましたから、時代がたつにつれて豊かになって生活がらくになった筈です。しかし東北地方などの村では、気候面での限界から飢饉の影響をうけやすく、様々な悲劇があったことはご存じの通りです。また、江戸時代後期になると、百姓もお金を得て積極的な商業経営をするようになり、商品作物をつくったり、新技術を導入して養蚕をおこない、店を開いたりするようにもなりましたから、まえと較べてずいぶん生活もらくになったでしょう。しかし、養蚕のためにほんらい田地だった場所に桑をうえたりすれば、もし飢饉になって食料物価が高騰した場合、暮らしがおおいに脅かされることにもなりました(そう書いてある史料があります)。だから「豊かになった」と一応はいえますが、問題がなかったわけではありません。

投稿: 高尾 | 2005/06/11 01:17

さっそくのお答えありがとうございます。江戸の農民については時代劇ぐらいでしか接することがなく、(しかもそれは必ずしも実際の姿ではないでしょうから)以外にというか、全く自分たちは知らないでいたと思います。とても勉強になりました。ありがとうございました。来週の講義も楽しみにしております。

投稿: しかしか | 2005/06/11 11:12

こちらこそ。
若年のわたしにとっても、江戸時代の百姓については、影絵のような印象でしかありません。史料に書いてあるほんのすこしの彼らの横顔を、追っているところです。

投稿: 高尾 | 2005/06/11 16:14

はじめまして(で、いいんですよね?)

リンクいだたいたようで、ありがとうございます
どこで、お礼を言えばいいのかわからないので、こちらに書きますね。

滝田誠一郎さんの『50代にもよくわかる「ブログ」入門』で紹介されていましたよね。
アレを見て、ボクもブログを始めようと思ったんです。

高尾さんの職場の某氏には、学生の頃からよく飲みに連れて行ってもらっています。
機会があったら、一緒に飲みましょう。

投稿: あるアーキビスト | 2005/06/18 21:35

ありがとうございます。本に紹介されたり雑誌に載ったりしたのでアクセスがふえています。 「高尾さんの職場の某氏には、学生の頃からよく飲みに連れて行ってもらっています。」 あれまあ、そうでしたか。この世界は狭いですね。 「機会があったら、一緒に飲みましょう。」 こちらこそ。ぜひ飲み屋でご一緒したいものです。その節はよろしくお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/06/18 21:43

ちょっと雑感を。

「史学雑誌 回顧と展望」は、その年ごとの研究史を、網羅的に紹介するという企画ものである。しかし、あまりに発表される論文の量が多すぎて、論文名を挙げるだけで紙数を消費してしまう。だから「『江戸の花火について』は江戸の花火を考察し…」などという、奇妙な紹介文が散見される。

やはり、各分野ごとで、筆者の主観によって、代表的な論文をいくつかあげて紹介する、という方針に変えたらどうか。その理由は、①どうせ研究論文リストは毎号出される「史学雑誌」の巻末に挙げられている、②各研究者でも自分の分野の研究史をすべて把握しきれないほど、論文数が途方もなく多量になってしまった、③研究者の問題関心が分野の枠を乗り越え多様化してきていること。

…筆者の主観によって紹介されたほうが、議論の対象とされやすくて、おもしろいのではないか。また無名論文に光をあてる、よい場所になるだろう(なぜか歴史の学会はそういう場がすくない)。そのときには、もちろん筆者の力量が問われることになるだろう。

投稿: 高尾 | 2005/06/23 08:49

昨日は多忙。むろんブログを更新する暇もない。妻のため病院2往復、病気の子どものため病院に行ったり、などなど、9時から4時まで常に車を運転。しかも暑かった。夕方には疲労でぐったり。

投稿: 高尾 | 2005/07/12 12:56

「見廻組というのは新選組が浪士結社であるのに対し、直参の子弟から志望者を募って組織されていた。そういう建前だが、直参の子弟でそれを望むのがすくないため、末期にはだいぶ浪人を召募したりしている。新選組なら近藤勇にあたる職の組頭というのが、大名であった。蒔田相模守広孝という者で、蒔田家はわずか一万石とはいえ、代々備中に所領をもっている。が、蒔田相模守の組頭というのはごく形式的なことで、直接指揮はしていない。」

と司馬遼太郎さんは書かれている。とありますがおそらく司馬さんは蒔田廣孝の所領であった岡山県総社市「角田家文書」を見ずに発表されたと思います。角田家文書で初期見廻組は家臣で構成し組員に対するパトロール注意書きを
「与頭」「勤方」に与えています。少なくも組織の長として指示を与えており、さらに寅五月付、京都見廻組之者相続之儀につき願書控でも蒔田相模守届けとなっています。この寅五月は所領総社門田の陣屋が第二奇兵隊に攻撃され炎上。これの処置により帰領している最中でした。
この相続者は西原邦之助でしたが連名で次の六名が記されています。
土屋助三郎、佐々木只三郎、大沢源次朗、大野亀三郎、坂本杢三郎、波多野小太郎
詳しくは、総社市史近世資料編(第五巻)を参照して下さい。

投稿: 第二奇兵隊管理者 | 2005/07/19 08:04

第二奇兵隊管理者さま、わざわざのご教示恐縮です。参考にさせて頂きます。ありがとうございました。

投稿: 高尾 | 2005/07/19 09:39

はじめまして。ドイツから書き込みさせていただきます。
今私は江戸時代の漆芸についての学術論文を翻訳しており、ネットで調べ物をしているときに偶然高尾さまのHPを拝見させていただきました。
海外には江戸時代の美術工芸のファンがたくさんいて、もちろん研究している方々もたくさんいます。
初めての書き込みで失礼ながら質問させていただきたいのですが、ある蒔絵師の名前について、「初誰」という表現があるのですが、実名でもなく、幼名でもなく、はて号でもないとすれば、一体何なのでしょうか?
お忙しいでしょうが、このような質問にお答えいただけると大変うれしく存じます。

投稿: バウムクーヘン | 2005/07/26 22:03

お書き込みありがとうございます。折角ですがちょっとわかりません。「初誰」とは、「初A」(Aに漢字が入る)さんということでしょうか、それともそう書いてあるのでしょうか。何れにしましても、わたしにはよくわからないだろうと思います。そのみちの方にお伺いしては如何でしょうか。わたしには知るべがありません。ごめんなさい。

投稿: 高尾 | 2005/07/27 07:51

今朝微熱。医者にいって薬をもらい帰宅、早速服薬、布団に横になる。夏風邪か。

病得て やつといとまの 蝉しぐれ よしき

きょうか明日中にはなおすつもり。

投稿: 高尾 | 2005/07/30 11:15

昨日は一日中床に臥す。三食をとり、そのつど服薬。きょうは平熱にもどる。

投稿: 高尾 | 2005/07/31 10:29

久しぶりの更新となりました。ごめんなさい。大阪方面に長い間出張に行っていたためです。人情もあつかったし天気もあつかった。大阪っていうのはおもしろいところですね。

投稿: 高尾 | 2005/08/05 08:41

調査お疲れ様でした。成果はどうでしたか?
大阪もいいところですが、京都も良いところです。特にお寺さんに泊まって京都見学するのが一番いいです。洛北洛東など郊外もいいですが市内の中心のなかでも歴史的なものもたくさん残っていて良いです。

投稿: 江戸の住人 | 2005/08/06 01:28

度々のコメント、すみません。
大阪の調査はどんな感じでしたか。また、内容は古文書でしたか。高尾さんのブログのなかで、その家の歴史や概要、史料の性格などについて、いづれ書いてもらえることを期待しています(^_^)b

投稿: 江戸の住人 | 2005/08/06 01:44

うーん。文章で書くと疲れるから、またお会いしたときに教えてあげましょう。

投稿: 高尾 | 2005/08/07 13:58

昨日の弟・高尾紳路の本因坊就任式に出席。
http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/igo/news/20050810k0000m040049000c.html

ものすごい参加人数。親戚は、父・母・わたし以外は、紳路の嫁さんのお父さん・お母さん・いとこの東京工業大学助教授S・いとこのお舅さんがきた。

わたしのブログをみている方々から、声をかけて頂くも(わたしはブログに顔写真をのせているから)、たいていどなたなのかわからず。毎日新聞社の記者のかたなどに名刺を渡す。

投稿: 高尾 | 2005/08/10 09:03

高尾さま、本日は後輩たちが大変お世話になり、ありがとうございました。私は一足先に失礼してしまいましたが、彼女たちはとっても満足したようです。

ご迷惑とは存じますが、今後とも彼女らにご指導のほど、よろしくお願い申し上げますm(_ _)m。まずは御礼まで。

投稿: くま | 2005/08/13 00:25

こちらこそお礼申し上げます。成果あったとのこと、よかったですね。いい史料がありますから、修論などに是非活かして頂ければと思います。抜刷もありがとうございました。植木屋のことにつき参考にさせて頂きます。

投稿: 高尾 | 2005/08/13 20:16

>管理人さま
ご連絡が遅くなりましたが、私のブログから高尾さまのブログへとリンク致しましたことをご報告いたします。
今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: ギエぽん | 2005/08/17 21:42

ギエぽんさん、ありがとうございました。実はいつも拝見しております(わたしにとってわかるはなしとわからぬはなしがありますが)。こちらこそ宜しくお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/08/18 08:03

更新がだいぶ遅れました。3日で更新したいと思っているのですが、最近多忙のため、どうしてもうまくいきません。

投稿: 高尾 | 2005/08/19 08:30

記事数116にのぼりました。随分書いたなあ…。左サイドの「カテゴリー」の学問・資格をクリックすると、すべての記事を一度ですべて読むことができます。興味のある方はどうぞ。

投稿: 高尾 | 2005/08/23 08:19

 何故か、
「(大学)ハッピーキャンパス ―「レポートの心配はもういらない」―」
http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2005/08/post_ae61.html
の評論の売れ行きがよく、あちこちにこの記事のリンクがあり、このところアクセス数が急増している。何ということはない文章なのだが。人気があるのは「江戸時代研究」とは何も関係ない記事ばかりである。
 トラックバックを辿っていったら「大学とは知識の量で勝負するところだから結局googleに負けるのだ」という勇ましい(?)ご意見もあった。しかしその論で云えば、国史大辞典を「あ」~「わ」まですべて暗記すると優秀な歴史研究者になれる、ということになる。もちろんそうではなくて、大学は知識の量を望まぬでもないが、自分で考えを巡らすということに重点をおく。レポートでは自分で考えたという努力をみせてほしい。わたしは、レポート剽窃がgoogleで簡単におこなえることを指摘し、「大学冬の時代」論に絡ませながら「大学の脇の甘さ」を指摘しただけです……。
 それにしても、わたしのブログこそレポート剽窃のいい材料を提供しているのではないか。そう思って恐縮の毎日である。

投稿: 高尾 | 2005/09/01 13:05

うわあ、すごいなあ、これ。明日から新聞への目がかわる。

http://northarch.exblog.jp/2603719/

投稿: 高尾 | 2005/09/03 21:47

リンク有り難うございます。現在、港区(芝愛宕下)にて江戸-東京<遺跡>の調査中です。先月から西新橋(田村町)の一関藩田村家上屋敷跡地の表門相当部分を掘っています。(今日は台風接近による降雨で現場は作業中止です。)第2考古学的近世考古学の構築を目標としていますが、第1考古学の基礎がないものですから四苦八苦しています。文献から見た近世考古学あるいは<遺跡>観についても興味があります。

投稿: 伊皿木 蟻化 | 2005/09/06 14:52

わざわざのお書き込み、ありがとうございます。わたしも豊島区巣鴨の報告書を書き上げたばかりです。そのくせ考古学はなにもわかりません。勉強させて頂きます。

投稿: 高尾 | 2005/09/06 16:01

関東近世史研究会月例会

9月17日(土)14時~
法政大学ボアソナードタワー5階0502教室
石山秀和「江戸時代の「教育」言説」(仮)
宮原一郎「近世前期の幕府裁許と法理」(仮)

同会大会は10月30日(日)法政大学にて。

投稿: 高尾 | 2005/09/08 08:50

小山市立博物館企画展示
「ゴミか?宝か?」
「当館では、このチラシに別の視点で注目し、平成6年(1994)から毎日収集・保存してきました。チラシは、私たちの生活の一部になっています。したがって、そのチラシを経年保存することは、その時々の世相、小山の歴史を反映する貴重な資料となるはずです。それは、小山市にとって宝にもなるでしょう。収集を始めてから10年が経過しました。今回は、その一部を展示します。また、小山市では、このチラシを図書館が、昭和62年(1987)から曜日を決めて収集していました。昨年、そのチラシが当館に移管されました。これも併せて展示します。」
http://www5.city.oyama.tochigi.jp/hakubutu/

おもしろそうな。ネーミングもよし。

投稿: 高尾 | 2005/09/08 17:18

高尾さま

歴史系ブログ一覧に載せていただき、ありがとうございました。当初の目論見からどんどん離れ、今はただ、大学での出来事やゼミ生への連絡事項を書き連ねているだけのお恥ずかしいものですが、これを機に、貴ブログのように情報量の多いものになるよう頑張ります。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

投稿: 稲本 | 2005/09/12 01:13

わざわざお書き込み、ありがとうございます。「大学での出来事やゼミ生への連絡事項」であっても、みるひとによっては、研究者の日常を知り得る貴重な情報になると思っています。これからもよろしくお願いします。

投稿: 高尾 | 2005/09/12 08:14

1周年を迎えるにあたり、けっこういい加減だったカテゴリーをきれいに整理し、表紙部分も新規リニューアルしました。カテゴリーを表紙部分でもわかるようにしました。

カテゴリーは、「学問・資格」と「××」のみ、というふうに、2つのみが指定してあります。したがって、「学問・資格」をたたけば全記事が出て来ます(でも全記事だからけっこう重いですよ)。この階層関係を表紙でひとめでわかるようにしました。

あと右サイドの歴史系ブログ一覧を分野別に整理したいと思っています。少々お待ちを。

投稿: 高尾 | 2005/09/16 08:52

当ブログが「Yahoo!JAPAN」の登録サイトになりました。すごいですよ、アクセス数が。宣伝したいひとに登録をおすすめします。

投稿: 高尾 | 2005/09/24 16:51

リンクに加えていただきまして、ありがとうございました。高尾さんのBlogは以前からちょくちょく読んで勉強させて頂いていました。自分のBlogが"歴史系"に分類されるのか自信が全くありませんが、光栄です。更新も滞りがちなBlogですが、宜敷お願いいたします。

投稿: 杢左衛門 | 2005/09/25 04:47

こちらこそよろしくお願いします。ご先祖様の古文書、よかったですね。うれしいおきもち、わたしにもよくわかります。できればブログでご紹介ください。

投稿: 高尾 | 2005/09/25 09:59

26日、1日のみで驚きの548アクセスを記録。yahoo効果か。しかしこの個人サイトにしては途方もなく大きすぎる数字に恐ろしい気持ちもある。

投稿: 高尾 | 2005/09/27 00:22

昨日736アクセス。しかもこのアクセス数はユニーク・カウントである。お化けな数字だなあ、これは。
このブログをひらいた頃は、野心もあまりなかったのだが、それだけにちょっと信じられない。たとえこのアクセス急増が一過性のものであるとしても、宣伝効果はおおきいものがある。

投稿: 高尾 | 2005/09/29 08:31

 お礼のメールを拙宅から差し上げましたが、拙宅のパソコンの不具合で届いていないかもしれません。失礼いたしました。今後の具体的な予定はいまだたっておりません。拙宅のパソコンがなおり次第、またご連絡申し上げます。 

投稿: 高尾(古文書講座応募者の方々へ) | 2005/09/29 12:43

Googleの検索窓を左サイドにつけました。これで自分のサイトのバックナンバーがみやすくなりました。よかった、よかった。
しかしやり方をみつけるまでがひと苦労。作成方法はブログ「いかんともしがたい」で紹介されていました。
http://music.cocolog-nifty.com/001/2003/12/google_2.html
しかしココログメインサイトではこれを公表しているのかな?

それで作成方法。
①マイリストでリンク・コーナーをひとつ設定する。
②「いかんともしがたい」で紹介されているタグをコピーし、リンク・コーナーの「メモ」の欄に貼り付ける。そのとき「YOURSITE.CO.JP」のところを自分のURLに変えなければならない。そして「保存して反映」をクリック。
③その次にマイリストの「設定」をひらき「メモの表示」の「テキスト表示」をONにし(わたしはこれがわからなかった!)「変更を保存」をクリック。
と、これでおしまい。しかしわかるまでが大変でした。

投稿: 高尾 | 2005/10/01 23:41

明日の授業の準備もおわり一段落。立正大学の事務の方々は親切で助かります。
さて当ブログもかなり模様替えをしました。合理的で快適に使えるようにいろいろ工夫してみました。こうやって部屋のお掃除みたいなことをすると気持ちがいいですね。さてまたそろそろブログの更新をしましょう。更新していなくとも500アクセスちかくを頂いており、ちょっと申し訳なく思えてきましたので。

投稿: 高尾 | 2005/10/03 22:22

お久しぶりです。高尾先生のマネをして、ウチでも「記事内検索」をつけてみました。参考にさせていただき、お礼を申し上げます。
今どき歴史の先生をなさっていると、いろいろ頭の痛いことも多いかと思いますが、頑張ってくださいませ。

投稿: 弓木 | 2005/10/06 03:38

「先生」はご容赦ください。
弓木さんのところも文字が多いから、検索があるときっと便利でしょう。 「いろいろ頭の痛いことも多いかと…」 そうなんです。ひと相手のことというのは。まあ頑張ります。

投稿: 高尾 | 2005/10/06 07:50

本日は、「第2考古学」ではなく、本務の方に関連して質問を少し。現在、田村家上屋敷跡の調査をしているのですが、幅30㎝ほどの角柱が斜めに傾いて出てきました。基礎には、長さ5m以上の丸太を横木として「X字」状にクロスさせたものと、角材を井桁に組んだものの2種類があります。愛宕山から写したベアト写真などから「火の見櫓」ではないかと推察しています。「元禄武鑑」に田村右京大夫が所々火消に挙げられていますので、それに相当するのかと。当時の武家屋敷で、屋敷内に火の見櫓を建てる際に、武家火消に限定されるといったルールがあったのでしょうか。江戸火消制度(特に武家火消の消長)に関する資料があるでしょうか。宜しくお願いします。

投稿: 五十嵐 | 2005/10/06 10:58

おもしろいですね。エックス状にクロスさせたやり方は、特別な丈夫な建物に使われるものだと聞いたことがあります。たとえば火の見櫓がそうです。
例のベアトの写真をみると火の見櫓が数え切れないくらいボンボンとみえますね(よく拡大してみるとわかります)。何処にでもありそうな。町方にも武家と若干形はちがいますが火消櫓が多くあります。
史料の詳細などは、―ひとにまわすようでわるいのですが―、左サイドのリンク「江戸・江戸・江戸!」の管理人さんにお聞きになっては如何でしょう(江戸火消制度が専門ですので)。そこに質問掲示板コーナーがあります。お急ぎならそちらのほうがはやいでしょう。

投稿: 高尾 | 2005/10/06 11:42

最近ネット上で所謂ウヨク(従来の「右翼」よりもっとひろい概念で、カタカナで記されることが多い)サイトを多くみかけるようになりました。この厖大なエネルギーはいったい何処からくるのかと圧倒されてしまいます。
ネットで元気がよいこと自体はまことにけっこうなことです。ただ、このウヨク論者のようなひとに実際にお会いしたこともありますが、とてもクライ感じで、元気がなくて、何かに鬱屈しているような印象をうけます。つまりあくまでサイトとは逆の印象なのです。
きっと、その思想信条というよりもむしろ、それをもつ人間そのものにもっと注意をはらうべきなのでしょう。経済格差や外国の経済的進出によって「日本神話」が怪しくなり、このどうしようもないリアルな現実をまえにして、どんなふうにひとは行動するのでしょうか。これはとても興味深いことです。実際にひとりひとりにインタビューでもして纏めれば、きっとノンフィクションとして面白いものが書けるでしょう。

投稿: 高尾 | 2005/10/08 23:57

最近疲れやすくなった。きょうははやく寝ることにしよう。

投稿: 高尾 | 2005/10/12 22:10

やっと論文の校正を出す。なんだか論文の文章より、ブログの文章のほうが、おもしろいって感じがするんだけど、どうしたものかいな……。

投稿: 高尾 | 2005/10/15 00:32

歴史学関係ブログ集成なるものをつくってみました。右サイドのリンク集をはてなアンテナ化したものです。
上から更新順にならべられるので、使いやすいと思います。かつ、分野別にしてみました。ご愛用くださいませ。
なお上の姉妹サイトの欄にもリンクが貼ってあります。

http://a.hatena.ne.jp/yoshikitakao/

投稿: 高尾 | 2005/10/15 21:03

はじめまして。
共感してもらいリンクしていただき大変嬉しかったです。
どうもありがとうございました!

投稿: 及川眞市の甥 | 2005/10/17 03:55

こちらこそ、貴重な記録を拝見し、勉強させて頂いております。戦没された方々のためにも、戦争の記憶薄らぐ今日や未来のためにも、重みのある情報だと感じております。どうぞよろしく。

投稿: 高尾 | 2005/10/17 07:47

ご無沙汰しております。さて、下記の通り、歴史学会大会が行われますので、ご案内申し上げます。よかったら覗いてみて下さい。

日時:2005年12月3日(土)
   10:00から17:30(受付 9時30分から)
会場: 成城大学 5号館 522教室
所在地: 東京都世田谷区成城6−1−20
資料代: 会員、一般は一人1,000円
    学生・大学院生は無料。
懇親会: 会費 5,000円
交通: 新宿駅より小田急線 成城学園前駅
   (急行約15分)下車 徒歩5分

・自由論題報告<10:00から11:30>
1 秦 惟人 氏 (筑紫女学園大学)
   「秦潤卿と上海の銭荘について」
2 鈴木 智夫 氏(元愛知学院大学)
   「日露戦争と中国  
     ロシア駐在公使 胡惟徳の活動」
3 青柳 かおり 氏(日本学術振興会PD)
   「イングランド国教会とアメリカ独立」

・シンポジウム <13:30から17:30>
テーマ「境界を超える 人の移動・流通・ネットワーク」
第1報告 関 周一 氏 (つくば国際大学)
   「対馬・三浦の倭人と東アジア海域」
第2報告 小林 亮介 氏(筑波大学・院)
   「清代、四川西部チベット地区における土司制度の展開
     チベット系在地有力者層の政治行動と帰属意識」
第3報告 帆刈 浩之 氏(川村学園女子大学)
   「中国人移民と帝国医療:近代香港の慈善と医療」(仮題) 
司会:千葉正史・加藤基嗣・坂誥智美

・懇親会<18:00より>
    会場:成城大学 7号館 学生ラウンジ

投稿: くま | 2005/11/01 15:39

お誘いありがとうございます。おもしろそうですね。昨今流行りの「境界を超える」論、聞いてみたいものですが、 
http://d.hatena.ne.jp/yoshikitakao/comment?date=20051031#c
ということですので、出席させて頂けるかどうかくるしいところなのです。ことしは関東近世史研究会大会もパスでした。盛会をお祈り申し上げます。

投稿: 高尾 | 2005/11/01 23:23

以前から江戸時代の本を読めるようになりたいな、と思っているオジサンです。第1回ワン・コイン古文書講座に参加させていただきたいと考えておりますが、可能でしょうか。

投稿: 板橋 | 2005/11/08 23:30

板橋さん、ありがとうございます。是非々々おいでくださいませ。

投稿: 高尾 | 2005/11/09 08:08

この場をお借りして申し上げます。
不適切な内容でしたら、大変お手数ですが、管理人様削除をお願いいたします。

たまたま高尾先生を検索したら、こちらを見つけました。

たいへんにご活躍なさっていますこと、お喜び申し上げます。

正直、驚きました。
「こころにちょんまげ」といっていた人がここまで
ビックになっていようとは・・・。
学生時代に、明け方まで酒を酌み交わし、無理やりにマージャンの牌を握らせたことが懐かしくもあり、気恥ずかしくもあります。
熊谷のあの下宿先は今もあるのでしょうか・・?

本屋さんに、著作が並ぶことをお待ち申し上げます。
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。

失礼かとは思いましたが、メールアドレスがわからなかったので、こちらの掲示板に書かせていただきました。

投稿: 大学時代の旧友 | 2005/11/11 00:30

 うわー、うおー、驚きました。「大学時代の旧友」、元気? 書き込みどうもありがとう。
 学生時代で熊谷時代がとくに懐かしいヨ(「熊谷のあの下宿先」。うーん、どうだろうね、ちょっとしらん。おれの下宿先は取り壊されている筈なんだけど)。熊谷時代は勉強・大学の授業・政治・スケベな話とたくさんよく話したよな……。麻雀もよくやった。おれは夏はパンツいっちょうでうってた(熊谷は死ぬほど暑かったからね)。きみにはいろいろ教えてもらったけどものにならなくてスマン。
 それからさ、「こころにちょんまげ」って「こころにちょんまげ、古文書研究会」(わたしの所属していた立正大学古文書研究会のキャッチ・コピー。わたしが考案)だろ? キミねえ、よう、そんなくだらんことを覚えているな。こわい、こわい。
 じつはみかけほど「ビック」にはなってない。まだ修行です。中身は全然むかしとかわってないよ。「ちょっとは成長しないと」って反省の毎日です。それから「先生」っていうへんな言葉使いはやめてくれ。基本的にはここではどんな偉い先生でも「さん」付けでやってますので。そのうち単著を書きたいと思ってます。共著本ならいくつか出ていますから(プロフィール欄参照)、ちょっと読んでみて。
 近況、メールでください(プロフィール欄参照)。どっかでお会いしましょう。語り尽くせないけど、お礼まで。ばいばい。

投稿: 高尾 | 2005/11/11 08:14

 突然の訪問お許しください。
 昨日、亡義父の短歌のサイトを開設しました。
 短歌は、くずし字(草書体?)で書かれており、読めない部分が多いです。そこで、筆跡を画像で掲載し、ネットで皆様のお力を借り、解読作業を他力により進めることを思いつきました。
 ご興味があれば、当ブログをご覧いただければ幸いです。

投稿: musuko | 2005/11/13 07:38

なるほど、それはよいお考えつきでした。拝見いたします。

投稿: 高尾 | 2005/11/13 22:55

私的なことにこのページをお借りしますことをお許し下さい。このページをお借りしまして、歴史畑の多くの皆様に広くお教えを乞いたく、書き込みさせて頂きます。江戸時代のとある日記(幕末)を詠んでおりますが、その記事の中に、「蘆眼石水飛」または「蘆眼石水飛了」という言葉が3~4回ほど出てきます。前後に文章はありません。「蘆眼石水飛」って、何のことかお分かりでしたらお教えください。宜しくお願いします。

投稿: 法政大学 | 2005/12/01 13:16

ちょっとよくわかりません。ごめんなさい。

投稿: 高尾 | 2005/12/02 08:34

総合歴史研究会・新潟総合歴史文化研究所の豊城です。runaさんとは知り合いだったそうですね。いいかげんな事ばかり書いているブログですが、今後ともよろしくお願いします。さて今日高尾さんのブログをリンクさせていただきましたのでご連絡させていただきます。総合歴史研究会の方でも高尾さんのブログを紹介させていただきました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

投稿: 豊城 | 2005/12/06 12:31

ご丁寧にご報告、ありがとうございました。こちらこそよろしくご教示ください。

投稿: 高尾 | 2005/12/07 08:27

はじめまして。
偶然このサイトにたどりついた者ですが、
この土曜日にくずし字の講座が開かれるとのこと。
知識がまったくない超・初心者でも、参加して大丈夫でしょうか…。
興味はあるのですが、独学ではすぐに挫折しそうなので、手をだせずにいました。
できれば今回、参加させていただきたく思っています。
また、当日持参したほうがよいものがあればお教えください。

投稿: tenko | 2005/12/07 10:04

むしろ超・初心者のための講座です。
持参したほうがいいものはありません。今後勉強されるのなら、古文書の字典(わたしのオススメは『近世古文書解読字典』柏書房です、くわしくは当ブログカテゴリー「古文書入門」参照)はお持ちになるといいでしょう。

投稿: 高尾 | 2005/12/07 11:32

はじめまして、茅ヶ岳歴史文化研究所の筒井と申します。
先日はコメント&リンクをありがとうございました。返信が遅くなりまして大変申し訳ありません。
先日、かやぶんのサイトをリニューアルし、こちらからもリンクを貼らせていただきました。ワンコイン講座、面白そうですね!古文書を学ぶ集まりは、当研究所の会員さんたちが行っていますが、私にはとても難しくて歯が立ちません…。

投稿: 筒井 | 2005/12/15 19:17

わざわざお書き込みありがとうございます。リンク、ありがとうございました。
まず「ワン・コイン」というと「えっ、どういうこと?」とひとは驚きます。それであとから「なるほど1回500円ってことなのね…」となります。
100円ショップの講座版という感覚でしょうか。

投稿: 高尾 | 2005/12/15 22:18

江戸博セミナ- 大変感動しました。人別帳のデ−タを江戸の地図に落とし込む事が困難とのことでしたがなぜ出来ないのか分かりませんでした、 少ししか残っていないとのことでしたがそれだけでも使えないのでしょうか?
少ない資料を活用出来ませんか     教えてください

投稿: 河野 | 2005/12/15 23:03

たしかに、わずかに残っている人別帳でも、ある一区画にAさん・Bさん・Cさん・Dさん……が住んでいたことまでは、ちゃんとわかります。
しかしその区画の中では、もしも現地の考古発掘などでどのような位置関係で建物が並んでいたかが判明したとしても、それらと人別帳にでてくる家がどのように結びつくのかまでは、判明しないのです。一戸ごとに或る空間におとすことは原則的にきわめて困難です。
江戸東京博物館研究紀要の四谷塩町の論文に地図が載っています、それをみて頂ければわかると思います。

投稿: 高尾 | 2005/12/16 00:05

西倉さま、コメント拝受いたしました。メールを送信させて頂きました。

投稿: 高尾 | 2005/12/22 17:01

今年もよろしくお願いいたします。
高尾さん、体調はいかがですか。

投稿: 江戸の住人 | 2006/01/05 22:37

ありがとう。何とか生き返りました。

投稿: 高尾 | 2006/01/06 09:22

四日市公害資料について

現在私は四日市所在の古代の官衙関連遺跡久留倍遺跡の保存、活用運動に取り組んでいますが、市民の方々がお作りになっている「久留倍遺跡を考える会」のメンバーに元四日市市史編纂室の森逸郎先生がいらっしゃいます。ひょっとしてご存じでしょうか。

先日今週末のシンポの打ち合わせにお見えになった際、「資料」のことを伺いました。

現在は公害関係資料だけ抜き取って、四日市市の(県にも同様の名前の施設があるそうなので紛らわしいらしいです)環境学習センターに保管してあるとのことでした。

但し大問題が一つあって、公害資料の重要な中核を為す資料が裁判に使用され、証拠品として押収されている上、既に廃棄の年限を過ぎ、どうなっているのか分からないとのこと。ついこの前までは分室に保管されていたが、この分室が建て替えられ、その再「処分」された可能性も十分あるとのことでした。

裁判により多くの資料が散逸しているのではという懸念もされていました。

さらにお詳しいことが必要でしたらお申し付け下さい。連絡先などお伝えいたします。

なお、高尾家のことについてもよくご存じで、本居宣長との姻戚関係があるのではとのご指摘でした。無知な私はただただ驚いていただけでした。

以上取り急ぎご報告まで。どうして連絡しようかと迷ったのですが、これでも連絡が付きましたでしょうか。メールでも頂ければ幸いです。

いつか四日市でお目にかかれる日を楽しみに。

投稿: 山中章 | 2006/02/08 02:53

ありがとうございます。裁判史料については詳しくないのですが、貴重なのだという説明をうけ、みせてもいただき、それで興味をもったわけです。わたしは旧市史編纂室にあった江戸・明治初期の史料のコピー群を閲覧させていただきました。

わたしの高尾家は、本居家と姻戚関係にあった高尾九兵衛(士分なので「くひょうえ」と発音します)以前に分かれた家ですから、本居とは関係のない高尾家です。御本家九兵衛家にも訪問したことがありますが、「史料は焼けてしまった」とのことでした。

近世初期ですが、高尾家はもともと「善左衛門」を世襲名とし、ほかにも「善太夫」など、「善」の字をつけていました。わたしの名前「善希」もその名残りで、一族の多くが「善」の字を冠します。わたしの弟は「善」の字をもちませんが、わたしの長男には「善」の字を与えました。

投稿: 高尾 | 2006/02/10 09:51

江戸博でのご講演大変有難うございました。
素人にも非常に解かり易くお話いただき、お蔭様で当時の赤尾の様子を立体的に垣間見ることが出来ました。
感謝申し上げます。母も大変恐縮しておりました。
また、時間をみて田島様にも是非ご紹介頂けたらと思います。
今後とも宜しくお願いいたします。

投稿: 林 信行 | 2006/03/03 22:07

こちらこそありがとうございました。赤尾は野も川もきれいでのどかでいい土地柄ですね。そこでむかしの百姓のいろいろなドラマがあったと想像すると、不思議な感じにとらわれます。以前来訪させていただいたとき、田島さんのおばあちゃんがおげんきでしたが、いまどうされているでしょうか。
これからいろいろご教示くださいませ。

投稿: 高尾 | 2006/03/03 22:19

こんにちわ。仙台ではNPOほっとスペース縁が残り少ない近世・近代遺産の活用を進めていることを知り体験してきました。とても面白かったです。小生は中世を勉強してるものですが、最近、古い町並みをめぐったりすると、近世が分からないとだめといまさら気がつき勉強を始めようとしてここにたどり着きました。よろしくお願いします。

投稿: kanjisin | 2006/03/06 10:54

ブログ拝見いたしました。おもしろそうな活動ですね。こちらこそご教示ください。

投稿: 高尾 | 2006/03/06 13:07

高尾さん、久しぶりです。
ワンコイン古文書講座は人数が増えてきていますね。次回はまもなく!

投稿: 江戸の住人 | 2006/03/23 03:48

ワンコイン古文書講座は今週の土曜ですね。
江戸東京博物館の企画展示もこの週末まで。
また今、憲政記念館で黒田家上屋敷跡遺跡の遺物が展示されています。
詳しくは国会・衆議院ホームページより。

投稿: 江戸の住人 | 2006/03/23 07:18

江戸の住人さん、どうも。
まあ、気を落とさずに頑張ってくだされ。でも、勉強しなきゃだめですよ。

投稿: 高尾 | 2006/03/23 08:21

今日(金曜)、高尾さんの職場に寄るかもしれません。時間次第ですが…
以前お尋ねした土取場の話ですが、そこの資料館に午後行くので公文書館にも寄れると思います。
ついでに憲政記念館と江戸東京博物館にも行こうかと思うが、江戸博の方は夜間開館なので行けるが、憲政記念館は閉館が早い上に土日祝が休館。そのかわり無料なので気軽に入れます。

投稿: 江戸の住人 | 2006/03/24 02:26

金曜日(きょう)出勤しております。どうぞ。

投稿: 高尾 | 2006/03/24 08:18

初めまして。江戸時代のことを調べていて、こちらのブログに辿り着きました。
ひとつ質問なのですが、大名が移動のために乗っていた籠なんですが、「そこに亡骸を入れて運んだ」ということは(可能性としてでも)あるのでしょうか?
とても変な質問ですいません!
僕は、以前ふと思ったので。。。文献か何かで、そういう事例みたいなものが書かれていたらいいのですが。。

投稿: 又吉 | 2006/05/13 05:13

初めまして。江戸時代のことを調べていて、こちらのブログに辿り着きました。
ひとつ質問なのですが、大名が移動のために乗っていた籠なんですが、「そこに亡骸を入れて運んだ」ということは(可能性としてでも)あるのでしょうか?
とても変な質問ですいません!
僕は、以前ふと思ったので。。。文献か何かで、そういう事例みたいなものが書かれていたらいいのですが。。

投稿: 又吉 | 2006/05/13 05:13

ごめんなさい、わかりません。しっていそうなひとにちょっと聞いてみましょうか。

投稿: 高尾 | 2006/05/15 09:23

7月1日(土) ワン・コイン古文書講座 於立正大学大崎キャンパス
〇料金:500円(レジュメ代、その他一切無料)
〇講師:谷口眞子「赤穂事件を読む パート2」
〇講師から一言。浅野内匠頭が江戸城松の廊下で吉良上野介へ刃傷に及び、切腹・御家断絶を言い渡され、赤穂浪士たちが吉良邸へ討ち入った赤穂事件。前回は殿中刃傷でしたが、今回は、隣藩の岡山藩が派遣した忍びの報告などを中心に、赤穂城明け渡しをとりあげます。殿中刃傷から一ヵ月ほどで、赤穂藩士は家を追われ、藩士の身分を失い、離散することになりました。大名改易の具体的イメージが描ければと思います。
 なお先日、拙著『赤穂浪士の実像』(吉川弘文館、税込¥1785)が刊行されました。討ち入りの成功を前提に「勧善懲悪」の物語として赤穂事件を描くのではなく、御家が再興されるかどうかもわからない、討ち入りがいつ実現するのかもわからない、といったリアルタイムの感覚で、それぞれに人生を選択していく赤穂浪士の姿をとらえようとしたものです。宣伝部が考えたキャッチコピーは「忠臣蔵ファン必読の書!! われわれはまだ本当の”姿”を知らない…。いま明らかにされる赤穂事件、衝撃の事実!」です。
 ご希望の方には、講座当日受付にて285円割引の¥1500でお分けしますので、よかったらどうぞ。ただし、数に限りがあります。

投稿: 谷口眞子 | 2006/06/28 21:18

エントリーに書き加えておきました。ありがとうございました。

投稿: 高尾 | 2006/06/28 22:17

はじめまして。

私は文化財の修復を生業としています。
江戸時代の銅製品を修復するなかで、
ある調べものをしているうちに貴ブログにたどり着きました。
突然で失礼とは存じましたが、他に頼りになる所も人も居りませんので、思い切ってお尋ねします。
よろしくお願いします。

1、「はんだ」が何時から使われていたかを調べています。
貝原益軒に「はんだらしいもの」が出てくるようですが、これ以外には、「はんだ」あるいは「はんだらしきもの」についての記述と言うのはないのでしょうか?

2、江戸時代、特に初期の文献で、工芸や冶金など金属に関する資料というとどのようなものがあるのでしょうか?
 
3、江戸時代の庶民の生活について、紹介するような資料、例えば、江戸の庶民はこんな鍋を使っているなど、江戸時代の資料では、どのようなものがあるでしょうか?

投稿: 額田王猫 | 2006/06/29 02:39

はんだ……うーん、わかりませんね。辞書類や随筆索引やら古事類苑やらをめくってみてわからないのでしたら、もうその専門のひとではないとわかりません。とりわけ2の江戸時代初期というのも、史料がすくないので。

ご質問は、文献史学というよりも、考古学のひとにお聞きした方がいいと思います。インターネット界の考古学の諸賢、http://a.hatena.ne.jp/yoshikitakao/?gid=249686
これだけいらっしゃいますが、何方かにお聞きになってみては如何でしょうか。

投稿: 高尾 | 2006/06/29 08:30

早々の御返事ありがとうございました。

実は、鉱業史の方にも聞きましたが、
貝原益軒と歌舞伎のなかぐらいしかないとのことでした。

そして、「はんだ」そのものは、宝永七年の銘のある作品ですでに分析によって確認しています。しかし、そのはんだが当初から使用されたのか、後補なのかが問題となっています。

考古学的な層位学で確認するのではなく、文献上でのはんだの存在を確認しようとしているところです。

なにぶんにも江戸期のことには疎く、おっしゃられる「辞書類や随筆索引」がどのようなものかすらわかりません。「古事類苑」はわかりますが、特に「随筆索引」というと、どんな随筆があって、索引が存在するのでしょうか?
もしそのような分野のサイとがあれば、御教え頂けるとありがたいです。

何度も,不躾な御願いもうしわけありませんが、よろしくお願いします。また、もしご興味がありましたら,本作品についての資料をお送りいたします。

投稿: 額田王猫 | 2006/06/29 21:26

いやはや、困りました(^_^;)。 そうなるともう当方にとってはお手上げですね。これ以上お調べになるとなれば、個々人の研究・調査の領域になってしまいます。
ご関心の旨はわかりましたので、jこれからちょっと気をつけて史料を読んでみましょう。お役に立てず、申し訳ございません。
ちなみに、例示した索引のことですが、ちょっと大きめの図書館にいくと、「日本随筆索引」なる諸随筆の索引集(古い本なのですが)があります。

投稿: 高尾 | 2006/06/30 17:28

以前はんだの事でご教授頂いたものです。
その節はありがとうございました。
随筆の件で御礼を書いたのですが,うまくかきこめなかったようです。
そのご、日本国語大辞典の例文なども参考にして,探していますが、今のところ,大辞典の例文以外、随筆の中では見つける事が出来ません。大辞典の例文として「尤双紙」が載っていたので,見てみました。この「はんだ」は文脈からいって求めている「はんだ」のことかなという気がしました。
ぼちぼち,調べようと思っています。
ご教授ありがとうございました。

投稿: 額田王猫 | 2006/08/15 00:33

お役にたてませんですみませんでした。

投稿: 高尾 | 2006/09/07 09:16

はじめまして。場違いでしたらお許し下さい。

私の曾祖母の父(江戸時代後期)は、彦太夫という名前なのですが、当時は○○太夫という呼称は多かったのでしょうか。
もし何かご存知でしたらご教授頂きたく、書き込み致しました。
よろしくお願い致します。

投稿: 菅沼 | 2006/11/20 15:37

「太夫」は多いですね。珍しくありません。

投稿: 高尾 | 2006/11/21 08:36

高尾さん、ご無沙汰しております。

最近いかがお過ごしですか?

今月中、高尾さんの職場へうかがえると思います。(予告)

投稿: 江戸の住人 | 2007/01/05 16:07

こちらこそご無沙汰しております。ちょっと出張に行っていたので、お返事が遅れ、失礼しました。予告、ありがとう。

投稿: 高尾 | 2007/01/09 08:21

はじめまして.とてもおもしろいブログを発見したと感激し,
思わず書き込みしてしました.
 いま古地図や古文書をなんとか組み合わせて,江戸のまちの人口分布を推定したいと思っています.もうすでにそんなことは明らかになっているよ!とか ここにヒントがあるよ!といった参考になる情報を教えていただけると幸いです.

投稿: たにした | 2007/02/02 11:54

江戸の町の人口分布は、なかなか難しいようです。江戸全体についてさえ、史料が不足しているので、おおまかなこと以外は、よくわかっていません。とりあえず松本四郎さん「日本近世都市論」や南和男さんの本は如何でしょう。

手前味噌で恐縮ですが、わたしはちょうどいま、江戸時代の巣鴨町の景観復元を考えています(拙稿は「交通史研究」61号)。http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2006/01/post_c7c3.html
そのうえ、いろいろな古地図を比較統合することも考えています。

投稿: 高尾 | 2007/02/02 13:00

ありがとうございます.修景社の辻野様には大変お世話になっていて,巣鴨の商店街にもときどき足を運んでいます.
ぜひ一度お話を聞かせていただきたいと思っております.

投稿: たにした | 2007/02/03 20:30

そうでしたか。巣鴨も調査をさぼっておりますので焦っております。しかし先日貴重な発見がありました。

投稿: 高尾 | 2007/02/05 08:31

高尾さん、こんにちは。
つい最近こちらのブログを発見し、ワン・コイン古文書講座というものが開催されているのを知りました。
参加費がワン・コインというのも驚きですが、平日になかなか休めない社会人には土曜日開催というのもありがたい事です。
次回(第11回)はいつ頃の開催予定か決まっておりますでしょうか?

私が古文書講座に興味を持ったつまらない理由を聞いて下さい。
数年前から様々な時代小説を読みあさっていたためか、庶民が元気に暮らしていた江戸時代(とくに後期)に興味を持ち始めたのが最初になります。
小説を読み進めているうち、古地図を眺めながら登場人物の住むエリアから事件現場までの道筋を文中から探り、遠い過去の暮らしを思い描くという楽しみを見つけました。
そのうち、小説などの架空の物語ではなく、リアルな出来事を調べてみたいという欲求が生まれたんです。
学生の頃は、課題以外で自ら進んで調べようなんて熱心さは欠片もなかったのに、おかしなものですね(~o~)
今は、古文書を読めるようになったらもっと江戸時代に実際に生きていた人々の気持ちに近づけるような気がしています。

投稿: 深川文吉 | 2007/04/06 12:32

コメントありがとうございました。わたしも歴史小説から歴史学に入りましたので、深川さんのご意見に違和感はありません。ただし、歴史小説とリアルな出来事の間の差は、仰るように、確かにあるのです。それがどういうものか、実際に講座を聞いて感じて頂きたいと思います。
次回はちょっと決めかねています。ちかいうちに開講したいと考えています。

投稿: 高尾 | 2007/04/09 22:50

久しぶりに今度、高尾さんの職場へ行きます。

投稿: 江戸 | 2007/07/22 16:51

どうぞ。

投稿: 高尾 | 2007/07/22 17:20

このたび、豊島区郷土資料館より「A・LA・SUGAMO」ー中仙道と巣鴨地域ー」の企画展で林家文書ー「落着一札之事」の展示依頼ががありました。
巣鴨にお詳しい高尾さんからの紹介ではと推察いたしましたが…今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 林 信行 | 2007/08/13 21:21

こんにちは。お久しぶりです。
そうですか。いや、たぶん学芸員が秋山伸一さんだからではないかと思います。わたしにはどの史料なのかわかりますよ。秋山さんもよく探されましたね。

投稿: 高尾 | 2007/08/13 22:26

【郷土史研究に元気出る、先人紹介】
 『村守る、命かけても 聖農・高橋正作・伝』 
  秋田魁新報社 TEL 018-888-1859
 天保4年の大ききんで、秋田の人々は40万人のうち、10万人が餓死した。この時、村長・高橋正作は、全私財を、なげうって食料を求め、村人を餓死から救った。
 折しも院内銀山が燃料の炭不足で、営業停止状態。銀山がつぶれると、秋田の経済が破たんし、幕府も窮乏する。そこで正作は、村人に炭焼きをさせ、銀山に売った。これによって院内銀山は復活。日本一の銀産出量を記録。村人は、ききんにあいながらも、炭を売った代金で生きのびた。
 文久3年、19歳の石川理紀之助が、高橋正作と巡り逢い、その人間の大きさに感激し、「自分は正作翁のような農業指導者になりたい」と決意。以来、正作を師事。 秋田の四老農(農業指導者)の筆頭として、田畑の開こんや養蚕、わが国で初めて有機農法を唱えるなど農業の近代化に貢献。多数の著書を全国に配布。明治27年、92歳で没。恩師を失った理紀之助は、声を上げて泣いた。そして県内の92カ所で、高橋正作の追悼法要を行った。

投稿: 簗瀬均 | 2007/11/25 21:37

ご丁寧にメール有り難う御座いました。

投稿: 高尾 | 2007/12/06 20:31

こんにちは、お久しぶりです。

高尾さんの職場の方たちともご無沙汰なので、年内に足を運ぼうかと。

投稿: 江戸 | 2007/12/19 01:04

久しぶり。
おお、そうか。随分変わったよ。

投稿: 高尾 | 2007/12/22 00:13

ワン・コイン古文書講座特別企画「江戸東京の歴史散歩 第2回 上野から浅草へ」を、来る2月9日に開催します。詳しいご案内は、下欄の赤い字の「歴史散歩のお誘い:小林」の部分をクリックしてみてください(別に怪しいサイトへ飛んだりしませんから、ご心配なく)。
担当講師:小林信也

投稿: 歴史散歩のお誘い:小林 | 2008/01/18 13:54

お疲れ様です。同文をアップしました。

投稿: 高尾 | 2008/01/19 22:40

高尾様、宮崎県高千穂町の学芸員の緒方です。
平成20年度高千穂町古文書講座についてPRさせてください。
詳しくは
http://www.komisen.net/news.htm
をご覧下さい。
今年度のテキストは、「高千穂古今治乱記」という野史を使って、姓氏や周辺の中世山城なども説明しながら進める予定です。
遠方の方で、テキストのみ販売して欲しいという方々もよろしくお願いします。
ワンコインを参考に値段設定させていただきました。
これからも宜しくお願いいたします。m(_)m

投稿: 緒方俊輔@高千穂町歴史民俗資料館 | 2008/05/09 15:30

はじめまして。遠方からありがとうございます。地道なご活動で敬服の至りです。「江戸時代研究の日々」というブログで宣伝させていただいても宜しいでしょうか。当方もそろそろワンコインを再開したいと思っています。

投稿: 高尾 | 2008/05/09 23:53

はじめまして、山下明希と申します。
江戸居住者の一日一年の流れについて調べたいのですが、何か参考になるような文献・日記などありましたら教えていただきたいです。
よろしくお願い致します。

投稿: 山下明希 | 2008/05/18 22:04

斎藤月岑『東都歳時記』(ちくま文庫)なる史料、宮田登『江戸歳時記』(吉川弘文館)なる概説書があります。そちらからまず。

投稿: 高尾 | 2008/05/19 00:56

こんにちわ。
五月の「井関さんの江戸城のお勤めの話」では、
お世話になりました。愉快、痛快なる歴史講義に
拙者、感服次第也。当方、団塊の世代ど真ん中也。

また七月から江戸城歴史の講座の案内を知り、
早速申し込みました。楽しみにしておりますがや。
ところで幕末・東の龍と云われる河井継之助は、
どの様な印象を持たれておりますか?彼も江戸に
遊学と豪遊したそうですが。

投稿: 所 多四郎康隆 | 2008/06/24 10:29

河井蒼龍窟は司馬遼太郎『峠』(新潮文庫)に描かれたひとですね。ユニークなひとだと思います。スイスを意識するところなど、なかなかの感覚ですし、北越戦争のときの作戦などもみるべきところが多いと感じます。口語文の御触を作っているところも興味深く思えます。ただ、どうしてもうちょっと北越戦争の開戦を踏みとどまれなかったのか、そこが不思議なところです。わたしは実証的な研究を知りませんから、素人的な感想に過ぎませんが。

投稿: 高尾 | 2008/06/24 20:45

「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

投稿: 石垣眞人 | 2008/07/30 15:12

当ブログにはあまり関係ないご様子ですが、結構でございます。

投稿: 高尾 | 2008/07/30 16:11

こんばんわ。
変な涼しい雨が降っておりますね。(地震の前触れ?)
早速ながら、今月も先生の講座でお世話になります。
先生が以前講座で披露されていた江戸城本丸御殿の
DVDは絶版で、再発売はない様ですね。私は喉から
手が出る位欲しいのですが。版元も協賛者も、無いと
言っております。発売されないのは監修者の御意向も
あるのかもしれませんね。では講座で又。

投稿: 所 多四郎康隆 | 2008/08/17 18:16

絶版なんですか。ネットで調べてもなかったから、変だと思っていたんです。

投稿: 高尾 | 2008/08/17 23:00

はじめまして!
私は文化資料を集めるため、下に描いた絵の行方を捜しています(一枚ずつ別々です)。服装は江戸時代と見られているが、詳しくはよくわかりません。絵の中にいる人物の職業、演技やどこか似たものがあるなど先生がご存知の情報、教えていただけませんか?。

url: http://img24.imageshack.us/img24/1928/mokuhanox9.jpg

投稿: はじめまして! | 2009/02/12 14:32

むむむ…???

投稿: 高尾 | 2009/02/16 23:17

高尾様、宮崎県高千穂町の学芸員の緒方です。
昨年に引き続き、平成21年度高千穂町古文書講座についてPRさせてください。
詳しくは
http://www.komisen.net/news.htm
をご覧下さい。
遠方の方で、テキストのみ販売して欲しいという方々もよろしくお願いします。

投稿: 緒方俊輔@高千穂町歴史民俗資料館 | 2009/04/07 12:44

お久しぶりです。高千穂に行った際は見学させて頂きます。わたしはまだ九州大陸に上陸したことがないのです。

投稿: 高尾 | 2009/04/07 19:19

本日江戸楽セミナーで「幕末のアウトロー群像」の講座に参加いたしましたものです。先々週「もう一つの黒船騒動」も受講し、その時に名刺をお渡ししたことを、「ああ、歯医者さん」と覚えていただいていて嬉しかったです。
本当は先生の資料をよく読んで質問の投稿なんかしたかったのですが、浅学の悲しさ、適当な質問が浮かばないのでとりあえず、「ブログ拝見しました」というコメントだけ送ります。
私のホームページは
http://www11.plala.or.jp/mammie-dental/
です。江戸文検のページも作ってあります。もし、もしもお暇がありましたら、覗いてくださいませ。

投稿: 竹内京子 | 2010/02/28 23:28

ご無沙汰しております.
学生に滝沢馬琴の日記を整理してもらいました.
そのまとめができたので,ぜひ一度お会いして次なる展開についてご意見をお聞かせいただきたいと思っています.メールをいただけると幸いです.
今後ともよろしくお願いします.

投稿: 谷下(巣鴨) | 2010/03/02 09:32

高尾様、宮崎県高千穂町の学芸員の緒方です。
昨年に引き続き、平成22年度高千穂町古文書講座についてPRさせてください。
詳しくは
http://www.komisen.net/news.htm
をご覧下さい。
遠方の方で、テキストのみ販売して欲しいという方々もよろしくお願いします。

投稿: 緒方俊輔@高千穂町歴史民俗資料館 | 2010/04/14 13:29

はじめまして、ミクシィの方からお邪魔しました。
幕末から明治にかけて勉強しています…
まだヨチヨチ歩きのヒヨッコです。

先生の古文書の記事を拝見しました。
私は先月、大手町の逓信博物館で
郵便創始関係者の原資料(日記)を読んだのですが
すごく興奮したことを思い出しました。
自分の好きな(興味のある)人物がこれに触ったのかとか
酔っ払いながら…でも几帳面にこれに書いていたのだなとか考えただけですごく幸せでした。
全集収録コピーを持参して照会するつもりでしたが
殆ど魅入られるように読めないのに
原資料だけをじーっと見ていました。
そこでふと気がついたのですが
全集や関係文書など活字媒体になったものには載っていないもの、スルーされたものがあったりするのですね。
もっと勉強して読み取れたらと思います。

外国奉行所に興味を持って調べていますが
奉行でなく実務官僚(書翰掛や通訳方など)を知りたくて
探していますがなかなか見つかりません…
何か道しるべになるようなものがありましたら
ぜひ教えていただきたいです。

それでは、ながながとすみません。
失礼しました。

投稿: 井上 | 2010/05/16 21:29

高尾様、宮崎県高千穂町の学芸員の緒方です。
昨年に引き続き、平成23年度高千穂町古文書講座についてPRさせてください。
詳しくは
http://www.komisen.net/news.htm
をご覧下さい。
遠方の方で、テキストのみ販売して欲しいという方々もよろしくお願いします。

投稿: 緒方俊輔@高千穂町歴史民俗資料館 | 2011/03/24 13:13

お久しぶりです。どうぞどうぞ。

投稿: 高尾 | 2011/03/26 23:39

高尾善希様、今日初めて「歴史学関係ブログ集成」を見ました。すごいですね。私は、群馬県の伊勢崎で、小林多喜二奪還事件を顕彰・研究する伊勢崎・多喜二祭実行委員会の事務局をしています。まだ歴史的事実として不安定な、本事件の史実性を確定し、歴史的意義の究明をめざしています。ぜひ貴ブログ集成に入れてほしいと思いました。
多喜二奪還事件研究室あるいは伊勢崎多喜二祭ブログでお願いします。
http://www.takijidakkan.com/

投稿: 長谷田直之 | 2011/04/09 15:48

リンクをはりました。ご連絡が遅れ申し訳ありません。

投稿: 高尾 | 2011/05/10 18:56

はじめまして

 70歳の男性です。古文書が趣味です。先生の「やさしい古文書の読み方」を購入しました。入門書と銘うっていますが、奥行きがあってたのしめました。囲碁も趣味で、タカオシンジさんのNHK囲碁の解説を楽しみにしています。

 ホームページは、これから時間をかけて読ませていただきたいと思います。

投稿: えび | 2011/09/24 13:26

態々有り難う御座います。仰るように、入門書ではありますが、入門書の枠にとらわれないように書いたつもりです。弟ともども、宜しくご贔屓にお願いします。
お返事迄。

投稿: 高尾 | 2011/09/28 00:35

高尾様、宮崎県高千穂町の学芸員の緒方です。
昨年に引き続き、平成24年度高千穂町古文書講座についてPRさせてください。
詳しくは
http://www.komisen.net/news.htm
をご覧下さい。
遠方の方で、テキストのみ販売して欲しいという方々もよろしくお願いします。


投稿: 緒方俊輔@高千穂町歴史民俗資料館 | 2012/03/22 09:56

 平成10年から11年にかけて、忠臣蔵の題材になった事件の史実追及を雑誌に連載しました。
 小雑誌でしたが、今では私が書いたことがずいぶん広がっているようです。
 本所吉良屋敷の前主は松平登之助で、吉良上野介が移転した時点で館は築2ねんほど。松平登之助は将軍小姓で、彼と懇意の従兄・松平右京大夫は、次席側用人だった。

 松平登之助の屋敷だったときは表門は南にあったが、吉良屋敷になってから東に移設された。

 松平登之助は、下谷の町野酒之丞の上ケ屋敷に射抜きで屋敷替えを命ぜられ、翌日には受証を提出している。町野酒之丞はわずか7日前に加賀大聖寺新田一万石の前田采女利昌采女に預けられたばかり。その理由は家譜などでは「親不幸」となっている。

 元禄十四年の刃傷事件の翌月、四月から六月まで幕府軍隊の与力・同心による大規模射撃演習が行われたが、それに先立って「参勤交代の時に江戸に余計な従者を連れてくるなとの命が大名にあった。

 射撃演習が終わった翌日、大名・旗本が本丸御殿山吹之間に呼ばれ、武家諸法度他、元首事項をいい渡され、大目付・目付より、その写しがわたされた。

 刃傷事件を知った直後、近衞基熙公記のなかに、「密事」があったことが書かれている。
 
 近衞基熙の家司・新藤刑部大輔が、刃傷事件があったときに勅使らと江戸に参考している。

 亨保になって霊元上皇が、下御霊神社に呪詛の「祈願事」を認めている。倒幕の意思が「祈願事」にある。

 世に出ている忠臣蔵本では、こういったことを、まったく調べもせずに、忠臣蔵関係の史料集だけを頼りにかいているものが、あまりにも多いようです。しかも「多門伝八郎筆記」のような後世の別人が書いたと思われる「自伝小説」のようなものまで、資料として使っている人もいます。

投稿: 百楽天 | 2012/12/06 11:36

 誤字だらけ、失礼しました。

 築2ねんほど⇒ 築2年ほど

 射抜きで⇒ 居抜きで

 前田采女利昌采女⇒  前田采女利昌

 亨保になって⇒ 享保になって

投稿: 百楽天 | 2012/12/06 11:56

植田憲司先生の「侠客の史跡」が見れなくなってしまったのですが、何か事情を知っていたら教えて下さい

投稿: 嶋之助 | 2013/03/02 12:21

happy01高尾様、宮崎県高千穂町の学芸員の緒方です。
昨年に引き続き、平成25年度高千穂町古文書講座についてPRさせてください。
詳しくは
http://www.komisen.net/news.htm
をご覧下さい。
遠方の方で、テキストのみ販売して欲しいという方々もよろしくお願いします。

投稿: 緒方俊輔@高千穂町歴史民俗資料館 | 2013/04/09 10:50

突然お伺いします。秋田笹一分銀の発行年を判る方がおりましたらご教示願います。私は秋田県湯沢市の佐竹南家御日記の発刊に携わっています(第1巻には現存する公的記録として一番古いと思われる、天和2年のハレー彗星のスケッチが載っております)。現在10巻を作成中ですが、古文書翻刻の段階で笹極銀と思われる記述が延享年間の分にあるためです。どうか宜しくお願いいたします。なお、佐竹氏は源氏の流れをくむ大名のため、笹竜胆の由来が考えられております。

投稿: 阿部 | 2014/01/05 17:44

連絡をください。

投稿: 中元幸二 | 2014/04/26 13:41

ありがとうございます。

投稿: 高尾 | 2014/05/05 23:25

はじめまして。突然のコメントですみません。
私は、都内神田にある広告代理店、㈱シンクリ 松原と申します。
現在、麦茶に関する歴史を調べています。かつては麦湯という名で、戦国時代の武将も飲んだとか、麦湯売りの夜店が出ていたとかインターネットや時代小説では拾えるのですが、その出典はどこなのかわかりません。
そういったことを調べる術、あるいは麦茶・麦湯についてご存知でしたらお教えください。
メールをいただけますと助かります。

投稿: 松原 豊 | 2014/06/13 09:29

はじめてご連絡致します。
私は小田急新百合ヶ丘駅そばの小田急エルミロードにて開校しているカルチャーセンター新百合ヶ丘産経学園の清水と申します。
来春の新講座について先生とご連絡させていただきたくこちらにコメントさせていただきました。
大変恐れ入りますが上記記載のアドレスまでご連絡いただければ幸いです。
どうぞ宜しくお願い致します。

新百合ヶ丘産経学園 清水

投稿: 新百合ヶ丘産経学園 清水 | 2014/11/15 17:24

今日は。ネットの「古代ローマの瓦に猫の足跡が」というニュースで高尾君の名前をお見かけしてとても懐かしくなり訪問させて頂きました。
大学時代、高尾君の下宿にしょっちゅう遊びにお邪魔した事を今でもよく覚えております。
それでちょっと調べてみたら弟さんがあの囲碁の若手四天王の一人だと知って2度驚きました。
面白そうな本も出版されてるようなので、是非購入させて頂こうと思っております。
それではまた。

投稿: 山岡篤史 | 2015/08/08 21:39

お久しぶり~。お元気ですか? メールちょうだい。

投稿: 高尾 | 2015/08/23 20:53

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